2013/03/31

逝去

大急ぎで戻ったが、間に合わなかった。
母逝く。93歳。

2013/03/30

容態急変

昨日11時前、酸素濃度の低下、血圧の低下で母が緊急入院。
「ちょっと具合悪くなってな」と、姪に話したらしい。
酸素マスクを着けながら寝ている。
病名は、肺炎球菌肺炎、心不全、深部静脈血栓症、血管炎。


2013/03/29

ブルッ!

あわただしいまま長野へ。
駅前の温度計は5度。だが体感温度は0度。

2013/03/28

2012年度業務の終了

友人(と呼ぶのは恐れ多いのだが、あえて)から、待ちに待った朗報あり。
大手術が無事終わり、土曜日退院の運び。
さて今夕は、花見客で賑わう市ヶ谷で評議会。
これで今年度の会議は終了。

2013/03/26

京都のスイーツ

社会心理学会の会報197号記事。
ナカニシヤ出版は山本あかねさんの「京都社会心理学散歩」から。彼女のお勧めスイーツにasarinさんがリンクを張ってくれましたm(_ _)m

2013/03/25

クラス会

5ヶ月ぶりの学部のクラス会。
出席者は10人。

千葉出身のKさんが孫の1歳のお祝いの写真を見せてくれた。背負い餅の写真だ。
弁慶のようにしっかり!立っている。
頼もしい。

おしゃべりの大半は、ボクも含め、老親自慢。

来年は大学卒業後40年。遠くまできたものだ。

2013/03/24

日曜日

今日の夕食は、先日の東京新聞に載っていたサバ缶のドライカレー。付け合わせはキャベツと納豆のサラダ

★サバ缶のドライカレー(2人分)
サバ缶水煮1、サラダ油大さじ1、カレー粉大さじ1.5
ショウガ10g、万能ネギ2本
A玉ねぎ1/2、ニンニク小さじ1、ショウガ大さじ1(いずれもみじん切り)
Bケチャップ大さじ3、水50cc、粉チーズ大さじ1

1.サラダ油を熱し、Aを色づくまで炒める
2.カレー粉を加えて炒め合わせた後、Bとサバ缶を汁ごと加え、汁気がなくなるまで煮る
3.ショウガの千切り(10g)、万能ネギ(2本)の小口切りをごはんと混ぜて盛る。カレーを添える

日曜美術館の再放送は石巻出身の戦没彫刻家、高橋英吉展(-4/14、宮城県美術館)。最後の最後の作品、不動明王がすごい。

辺見 庸『瓦礫の中から言葉を』、徐 明成『9年間、コンビニで見た日本人』読了。

2013/03/23

大震災と名前

3月20日の東京新聞に宮武外骨の「震災画報」の紹介記事が載っていた。

「関東大震災 生き抜く姿 反権力の編集者 宮武外骨 伝えた」

その冊子の中にある名前に関する一文が紹介されている。さっそく復刻版を借り出して、当該箇所を探した。

件の記事は震災画報の第4冊に載っていた。「樹下石上の産児」と題する記事だった(カットあり)。

「さて右の産児に名を附けるに、九月一日の大震を記念すべく『九一』とか『震吉』とか、女の児には『ゆり子』或は『しん』などとしたのが多いそうである」。

さらに繰ると、第6冊に詳報が載っていた。

■震時の産児の名  本書前冊所載「樹下石上の産児」に名を附けるに、九月一日の大震を記念すべく「九一」とか、「震吉」とか、女の児には「ゆり子」或は「しん」などしたのが多いそうであると記したが、東京市内の各区役所へ届出た名前の中には、山田震、鈴木震一郎、佐藤震吉、青山震治、伊藤震郎、山本震次郎、木下震次、米山震吉などいうのがあって、大震災を永く表徴せしめんとした親が多かった。(1924年2月「震災画報」第六冊、落葉籠より)
宮武外骨(1988)宮武外骨著作集第3巻 河出書房新社

今回の東日本大震災ではどうだったのだろう。地名も痕跡として大事にすべきだが、痕跡としての人名も大事だ。

※上の写真(企画展「災害記録を読む」より)は、関東大震災のあった9月に出た第1冊の巻頭直後の記事「尋ね人の貼紙」。

※「樹下石上の産児」の記事自体もおもしろい。当夜、上野公園内では70名の妊婦が産気づいて出産。過半は偶然の事象(あれっ、こんなところに「事象」が登場:引用者注)が産期を早めたものと見ねばならない。過去の統計をあてはめると、事変に因っての早産者は45名となるとも書かれている。

2013/03/22

学部の卒業式

今日はお昼から卒業式。

電車の中では、学生たちのはなむけの言葉を考えていた。Hさんも読んだという辺見庸の『瓦礫の中から言葉を』を読みながら。
昨夜、子どもに聞くと、T先生のことばが記憶に残っていると言う。内容を教えてもらったが、心理学以外の学生には通用しそうもない。撃沈。
で、コミュニケーション学部の学生へのはなむけの言葉となれば、やはり言葉に関する話だろう。辺見さんの著書にヒントをもらい、下車駅の手前で決まった。

足取り軽く、大学へ。

正門を抜けると、桜がなんと満開。その下には卒業生たち。

学部単位の卒業式の最後(4カ所に分かれて実施していたのを大きい教室に全員集まる形に変更した)、ちょうどうまい具合に時間が空いたので、ボクのあいさつは急遽、短縮版に変更して、出席していた教員全員に一言ずつお願いした。これがよかったと自画自賛。今日考えたあいさつは来年使おう。メモしておかないと。

16時から100周年記念館で祝賀会。ゼミ生からは「先生、いつ学部長になったんですか。びっくりしましたよ〜(笑)」。年輩のOBからは「色川先生の本を読んでいたら、先生の名前が出て来たので、経緯をうかがいたくて…」と話しかけられた。あの本(東北再発見)だ。色川ファンの多さをあらためて知らされた。

2013/03/21

昔の切り抜き

古いスクラップブックを整理していたら、名前に関する記事群があるのを発見。1999年10月だから13年半前のもの。
すっかり忘れていた。
このころから名前に関心があったんだ(関心は変わらない証か)。
前後のページには、「顔の好み、性周期で変化。排卵期は男らしい顔を選択」とか、「住民参加がしやすい仕組みになっている州ほど、住民は幸せに感じていた」というスイスでの幸福感調査結果の切り抜きもあった。
さらには「おばあちゃんと呼ばないで!介護の現場では名前の方が喜ばれる」という記事も。
捨てなくてよかった。

2013/03/20

映画「石巻市立湊小学校避難所」


石巻市立湊小学校避難所」の上映会で、なかのZERO小ホールへ。

ちょうど1週間前の今日、「津波のあとの時間割」を見に行った際、もらったチラシ群に入っていた映画だ。

チラシの裏面に掲載されていた村上愛子さん(70)の手紙がいかにも豪快で、これは見なくては、と楽しみにしていた。

笑いと哀しみと怒りが、さまざまな人物とともに交差する124分はあっという間に経ってしまった。

席を立とうとしたら、トークショーの案内が流れた。紹介された名前にびっくり。あの愛ちゃんと工藤さん親子、そして藤川監督。

3度となくあの世に行って来た私は妖怪!と、かくしゃく愛ちゃん。記憶は薄れやすい、だから記録は大事!と工藤さん。ひたすら被災者に沿い続ける藤川監督。最後に、ぜひ石巻を見にきてほしいと愛ちゃん。

出口で、愛ちゃんと藤川監督を撮影。

大学で自主上映会をできないだろうか。

2013/03/19

デジャビューも当然

先日、職場の人に「先生、色川先生の知り合いなの?」とたずねられた。なんだろうと思ったら、色川大吉さんの新刊『東北の再発見』に、私の名前が出てくるのだという。
その箇所をわざわざコピーしてくれた。
どんな文脈なのか、ちょっと期待しながら見たら、なんとなく見覚えがある。
それもそのはず。巻末を確認すると、この章の初出は彼が編んだ『心とメディア』の巻頭論文。タイトルが変わっていたので、すぐに気づかなかった。
おそらく色川さんはボクがいま、彼のかつての職場にいることをご存じないのではないだろうか。

2013/03/18

中綴じ専用器具


新入生向けの小冊子『教員紹介』を作った、Kさん、Oさんといっしょに。

A4判で冊子形式で、20ページ分を両面印刷し、5枚の紙を中とじ。

ここからが辛い作業と思ったら、Oさんが中とじ用の道具を持って来てくれた。なんとも原始的なしくみだが、手作り感覚が何とも言えず、いい。 


その名も「ナカトジータ」(笑)。

ボクはこれまで1台の回転ステープラーで綴じ位置を確かめながらやっていたので、これはありがたい。確実に中央に打てるし、時間も大幅短縮。

2013/03/17

読了『震災日録』

森まゆみさんの著書。「記憶を記録する」が副題に付いている。もとは彼女のブログだという。さっそく見に行くと、日記の日付と公開日とがずれている。彼女なりのプライバシー対策なのかもしれない。以下、本書からピックアップ。

2011/8/24の日記。北上川には追波川という名前もあった。「地名は歴史の証人である」。

2012/2/19の日記。こんなことがあるとは。脳梗塞で歩くのが困難になっていた野村さん。ボランティアでやってきたアフリカの人の太鼓で「リズムに乗って嬉しい感じがしてくるんだよ」。それで、震災のあとはどんどん元気になって、いまではすたすた歩いてる」。二人に1枚しか毛布をもらえなかった館山さん。「十何年ぶりに女房だいて寝たよ。寒くてやってらんねえもの」と、こんなこともある。小山さんは定年退職後、百姓をやっている。「今日はこれからシイタケのほだ木を取りにいくの。菌を植えたのをあげるというんだけど、それじゃすることがない。穴をあけて菌を植えるのが楽しいんです」。もっともだ。


2013/03/16

ツイッターで始まった一日

六車さんが、「本日3月16日13時から、東大東洋文化研究所にて、現代民俗学会第17回「『介護民俗学』という問い―六車由実氏との対話」が開催されます。一般にも公開。…心の声:心細いので応援お願いします」とツイート。

行くしかない。

アカパックンでの洗濯を済ませ、大急ぎで出かけた。現代民俗学会があるとは知らなかったし、そもそも、彼女の話がいきなり今日聞けるとは思いもしなかった。

建物は入口の両脇に大きな獅子が置かれていて、ここが東洋関係の施設であることが一目瞭然。

彼女の足元にも及ぶべくもないが、考えてみれば、ボクの名前研究のアプローチに近い。インタビュー自体は「思い出の記」として、本人(ボクの場合は本人「たち」)に渡し、聞き書きの成果を『驚きの…』として公刊する(こちらは未刊)。

会場では「思い出の記」の実物も見られたし、なによりもご本人にあいさつができた。

帰途、思い立って、御茶ノ水駅まで歩いた。先日、カラスさんも行ったニコライ堂に寄りたくなったからである。小さく見えるので歩くことを覚悟していたが、目の前だった。入口でローソクを手渡され、堂内に入る。落ち着く。6時からお祈りがあると勧められた。そんな風に見えたのだろうか。小一時間ある。

駅前の丸善で「経 Kei」をもらった。中にしょうが赤ワインの記事があり、花粉症にいい「らしい」。15グラムの生姜をスライスして200ccの赤ワインで一煮立ち。冷めたら、それを1日3回に分けて飲む。試してみようか。

夜、再配達でお願いしていた荷物が届いた。川上さんとの共著「日常生活における安心追求行動」の抜き刷りと、その掲載号だった。今年度最後の2つの「業績」の一つ。もう一つは下旬になりそうだ。

ツイッターを見ていて、すぐ出かけた会合がもう一つあった。同期メディアの恩恵にあずかっている。

夕食のとき、家族に「あれっ?」と言われた。見ると、セーターを後ろ前に着ていた。今日一日、この格好でいたとは。

寄付

妻が、ちょっとした病気になり、そのことでお世話になったから、ウィキメディア財団に寄付したいというので、ボクの気持ちも合わせて若干の寄付をした。
以下は、お礼のメール。


◯◯さま、

実に素晴らしいことです。ウィキメディア財団にご寄付いただきまして本当にありがとうございました。

私たちが各種の支払いを済ませられるのは、5ドル、20ドル、または100ドルをくださる、あなたのような方々のおかげです。去年、私が感銘を受けた寄付は、イングランドに住む小さな女の子からの5ポンドでした。彼女は自分の小遣いを寄付するよう、ご両親を説得したのです。その女の子やあなたをはじめとした皆様のおかげで、ウィキペディアは、浄財を下さった方にも、その余裕のない方にも、世界中の全ての人々に、自由で偏りのない情報へのアクセスを提供し続けることができます。本当にありがとうございます。

私たちのお願いを無視するのは簡単でしょうが、あなたはそうしませんでした。そのことをうれしく思います。私から、そしてウィキペディアを執筆する何万ものボランティアから、世界をよりよい場所にしようとする努力へのお力添えをいただいたことについて、御礼申し上げます。お預けいただいたお金は慎重に使わせていただきます。また、私達に信頼を寄せてくださったことについて、改めて御礼申し上げます。

ありがとうございました。
ウィキメディア財団事務長、スー・ガードナーより

お控え用: 2013-03-16にあなたがなさった寄付はJPY XXXXXでした。

この手紙はあなたが寄付をしたことの証明として使うこともできます。

この寄付の全体または一部分に対して、商品やサービスは提供されていません。

ウィキメディア財団は、アメリカ合衆国において501(c)(3)の税控除資格を持つ非営利の公益財団です。

私たちの住所は、149 New Montgomery, 3rd Floor, San Francisco, CA, 94105. U.S. です。税控除番号は20-0049703 です。

2013/03/15

有効期限のリマインダー

府中経由での帰宅。
せっかくだから、とアートマンに寄って「アカパックン」を購入。
浴槽用・緑のスーパータイプは2014年4月19日まで(400日間)。
洗濯用ピンクは2013年10月1日まで(200日間)。
それぞれ使用可能。
製品はどちらも手作りっぽい。
説明が添えられていた。
授産所で作られています」。

2013/03/14

戦争写真家二人

理事会終了後、長野へ。
車中では「グラフィケーション」185号。
特集が岡村昭彦。
なぜ今、彼なのだろう、と思ったが…
ヴェトナム戦争の報道写真で知られた岡村昭彦氏の未発表写真(アイルランド)が多数発見され、東京都写真美術館では来年開催される回顧展に向けて準備を進めています。「LIFE」誌が《キャパを継ぐ男》と名づけ、思索者であり社会運動家でもあり、「ことばの写真家」と呼ばれた氏について、その一端をいま改めてご紹介します。
宿で手にした信毎の夕刊では、井出孫六が定期コラムで、そのロバート・キャパにふれていた。内容はゲルダ・タローとの関係だった。


駅前の平安堂で「asta」4月号をもらった。表紙裏に内澤さんのエッセイ、中にはナオコーラさんのエッセイ「パフェ」が載っていた。お酒の好きな本人と、スイーツの好きな旦那が登場する。好対照な二人。

2013/03/13

検索語の推移に関するコメント

今日の「朝日」、1面にasarinさんの、あとの方の面にボクのコメントが掲載された。担当記者の奥山さんがデジタル版の一部を送って来てくれた。紙版も追って送ってくれるとのこと。

記事の見出しは「『節電』切実・前向き二分 震災ネット検索調査」。
震災直後の計画停電に全原発の稼働停止。電気は足りるのか、使用を抑える知恵は。強いられて始まった節電のネット検索の多い地域は、 東から西、西から北へと動いた。
実際に載ったコメントは、結局、当初の予告と違った。それはともかく検索語の変動を精査するのであれば、まずはニュースとの対応関係を調べることが先決だろう、と思う。

映画「津波のあとの時間割」

強風で、電車がつぎつぎと運転を見合わせる中、ポレポレ東中野へ。Mさんに紹介された「津波のあとの時間割」を見に。

3.11以降の門脇小(通称、かどしょう)の1年間を追ったものだが、その中で3年生の総合学習「よみがえれ石巻」の1年が紹介される。石巻再生のアイデアを出し合うというものだが、「スーパー堤防」の設置を提案するグループがいくつかあった。

「スーパー堤防」という語が子どもたちの口から出てくるとは思いもしなかったし、校長先生がこどもたちへの話で、自分のことを「校長先生は…」と話しているのにもびっくりした。

2013/03/11

うめえ

午前中、確定申告を済ませ、思い立って、その足で近くの公園へ梅を見に行った。花のピークが過ぎたせいか、出足も落ち着いている。月曜だから、ということもあるだろうけど、ね。

脇のベンチに白髪の男性が座っていた。すると、別の男性がやって来て、「すみません。隣に座ってもいいですか」。「ええ」。

続けて、その座ろうとした男性が講釈を始めた。
「最近の人は、黙ってままどかっと座るけど、まったく失礼だよね〜」。白髪氏もうなずくしかない。

時計を見ると、ちょうどお昼。見回すと、あちこちでお弁当を広げている。ボクもならって、お弁当箱を取り出し、梅見弁当。こんな展開になるんだったら、お茶も持ってくればよかった。今日はミニステーキ弁当。

さて、出がけに寄ったJ信用金庫。ロビーに東京新聞が置かれていた。「『なぜ東京新聞じゃないの?』と、お客さんからけっこう聞かれるんですよ。それもあって」と。

2013/03/10

すわ黄砂か

気温は予報の25度を超えて、暑かった。
昼前、空一面がにわかに埃っぽいもので薄暗くなった。
一瞬、例の黄砂到来か、と思ったが、Twitterを見ると、単なる土ぼこりらしい。
被害の深刻さも伝えられるが、見える分、まだましだ。
と言えてしまうのもまったくおかしな話だ。

2013/03/09

汗ばむ陽気

名前のインタビューと、被取材で静かな大学へ。

前者のインタビューイは福島大学の学生。研究室に着いたのは約束の5分前。既に待っていてくれた。ていねいな受け答えで1時間があっという間に経ってしまった。

被取材の方はヤフーの検索データに関するもので、求められたのは検索件数のトレンドをどう解釈すればいいのか。1時間半ほど話した最後に、長谷部似の記者は「このあたりの発言を紹介したいと思っています」とまとめてくれた。こちらも納得。

今日、構内では、元学長、元理事長の村上勝彦先生の退任記念セレモニー。最終講義を聞きに行きたかったが、時間があわなかった。村上先生とは、彼の後輩が横浜市大にいて、それがきっかけで、何度か、お話をさせていただいた。お疲れさまでした。

制服の威力

ちょっと早い午後。
構内を歩いていると、向こうからおじいさんがニコッとしながらやって来た。ワイシャツ姿に水色と紺のレジメンタルタイ、綿パン。頭にハンティング帽。つまり、お洒落なのだが、誰なのかわからない。会ったような気もするのだが、確信がない。
「これから交替でーす」。
警備員の人だった。
制服姿を思い浮かべて、ようやく腑に落ちた。
制服で人の印象はがらっと変わる。

2013/03/08

『テレビという記憶』

2013年はテレビの「還暦」。

還暦にはお祝いの意味が含まれる。単に60年と言わず、還暦という表現を用いるとき、何を祝おう。あるいは、深い意味はなく、単純に切りのいい数字という程度かもしれない。そもそも「本来」の還暦は数えだし。

さて、賜った『テレビという記憶』。副題は、テレビ視聴の社会史。なぜ「記憶」なのか。

「テレビは、多くの人々に共通の娯楽と情報を提供し、記憶を共有する装置として機能してきたのである」(はじめに、より)。「テレビという記憶装置」とした方が編者の意図に近そうだ。

テレビの利用満足研究。その成果を絞りに絞ると、娯楽視聴と情報視聴に二分される(最終章より)。

テレビ離れは前者利用の低下で、後者はネットの隆盛とリンクして、現在の主流利用となっている。

ラジオからStand  by meが流れている。メディアで言えば、ネットが当たるだろうか。

2013/03/07

10時間

今日は10時から18時半まで、会議やらなんやら。
研究室に戻り、その間に届いていたメールを処理していると、8時を過ぎてしまった。軽いながらも食事をしたのに、猛烈な空腹感。
駅ビルの三浦屋でパンに手が伸び、買ったものの、ここで食べるわけにはいかない。結局、家までの道で食べながら帰った。見られないことを祈りつつ。

2013/03/06

片思い

昨日は入試。受験生と教職員しか入れない。
正門を抜けようとすると、「職員の方ですか?」と呼び止められた。
ふだんよく見かける人で、あいさつも交わす人なので、「あれっ?」と思ったのだが、よく考えると、たとえ、ふだん挨拶を交わす中であっても、そのことと大学の教職員であると認知されることとは別問題だ。
彼は、正門を通る人には自動的に挨拶し、その時点で個体認識はしていないのだろう。こちらはしていても。目にする人の数は圧倒的に多いだろうし。

2013/03/05

11年前の卒業式

ゼミ活動報告書も提出し、今年度の仕事が少しずつ終わりつつある。成績の問い合わせにも回答したぞ。
そんなさなか、古い写真が出てきた。
2002年3月の写真だった。
このときの卒業生もいまや33。
ゼミは大半が女性で、男子学生は1名いたかいなかったか。
11年前のボクのヒゲは真っ黒。いまや真っ白。

2013/03/04

ああ、あとどのくらい待てばいいのか

電車の5分の遅刻を乗務員が謝る、のは日本人の美徳だ。

と、あるフランス在住の日本人が、ある本で書いているらしい。つっこみどころ満載だが、ここではふれない。

さて電車の「発車案内」。

京王電鉄は、種別、行き先、発車予定時刻。中央線も同じ。遅れても定時しか表示されない。だから遅れが発生すると、役に立たない。音声で何分遅れとか案内があるが、聞こえたり聞こえなかったり。そもそも時刻という絶対表示は時間という外的手がかりを必要とする。

世田谷線は当該駅前の3つか4つ前までの駅名が矢印付きで並んでいて、電車のいる場所を表示するようになっている。電車がいまどこにいるかはわかるが、あと何分で着くのかはわからない。ここの表示の脇にはデジタル時計が並んでいる。

ベルリンや台北の電車は、(確か)待ち時間が表示されるだけ。通勤電車であれば、本数が多いから、待ち時間と言っても大抵、数分程度。これであれば、時計で時間を確認する必要はないし、直感的にわかる。

各駅停車や急行とか、種別もいろいろで行き先も何種類もあり、複雑な事情はわかるが、他の手がかりを必要としない待ち時間表示方式の方が個人的にはらくだ。

伝えたいことは同じはずなのに、できあがったものが違う。利用者優先の発想と、システム優先の発想の差なのだろうか。

勘違いがあるやもしれない。鉄ちゃんの意見を聞きたい。

2013/03/03

ひな祭り

夕食は、子どもが自ら食べたいものを作ってくれた。ちらし寿司だ。鶏、ごぼう、しいたけ、絹さや、にんじん。錦糸卵。

せめても、とボクは材料の買出し担当。

よくぞここまで無事育ってくれた。うれしい。

2013/03/02

『終電ごはん』

急遽、夕食を作ることになり、『終電ごはん』にあったカレースープをアレンジして作った。
オリジナルのレシピに、ウインナーソーセージ、ブロッコリ、いんげん、にんじん、たまねぎを追加。その代わり、ミックスビーンズはカット(買い忘れ)。
仕上げにバターを大さじ1、黒こしょうパラパラ。
今週は、あと真鯛の煮付けをやった。味が表面にしかつかず、煮魚は敷居が高いことを痛感した。

2013/03/01

辞めるとき

今日は学部教授会の後、今年度最後の全学教授会が開かれた。その教授会終了後、今年度で退任される教員のあいさつがあった。

お礼の一言のみという潔い人もいれば、着任以来の経緯を思い出すように話す人もいる。大学への期待が大半という人もいる。人柄があらわれる。聞く側とすれば、饒舌すぎるのも困るけど、心境を聞いてみたい衝動には駆られる。

いますぐではないけど、ボクはどうしよう。いざとなれば(笑)、欠席という手もなくはないが。

来月から、9年目の国分寺生活に入る。もう9年とは。早い、早すぎる。

匿名のままでは死ねない

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