2013/04/30

「地震と独身」

今日は、卒論ゼミ、ゼミ、修論指導。ゼミでは、3人から成るグループでインタビューの練習をした。見ると、どのグループも女2、男1。今年のゼミは女性が多い。

酒井順子さんが「小説新潮」で、独身者の被災がテーマのインタビュー記事を連載しているというので、第1回が載っている昨年の10月号を借り出した。ゼミの教材に使えるかもしれない、と。

自宅にいた彼女は、14時46分18秒、テレビを見ていた。ボクは当時、構内の庭に避難していて、その後も不思議とテレビは見なかった。見たのは新聞だけ。

それ以前から、ふだん見るのは、家族と一緒に見る「鶴瓶の家族に乾杯」ぐらいだった。それでも、あの災害だったら見てもいいのに、見なかったのは見たくなかったからなのかもしれない。といまごろになって思い出した。

2013/04/29

連休前半の過ごし方

学生時代、ゴールデンウィークは飛び石ではなかった。文字通りの連休だったことを思い出した。

日曜は、組合園芸部の行事で神代植物公園へ。この時期のメインはつつじと藤棚だが、温室内で開かれていた多肉植物展がよかった。一つ一つは小さいのだが、ユニークな姿に惹かれる。深大寺の周辺を初めて歩いたのだが、テーマパークのようで楽しい。お昼は深大寺蕎麦。蕎麦県出身者にはうどんのようで、ちょっと悲しかった。散会後、カワセミだるまを買って、その足でカワセミを見に、野川へ。

月曜は、大宅文庫のバックヤードツアー。単なる舞台裏見学かと思っていたら、みごとに予想を裏切られた。解説してくれたスタッフの知識も並大抵ではない。ここに書けない話もいくつか。創刊号も「少年マガジン」「少年サンデー」と、手に取って見ることができた。書庫見学で、「ロッキング・オン」の背表紙が1枚の絵になるようになっているのを発見。検索実習では「名前」で検索した。下位分類が充実している。これからも応援したい。

「女性週刊誌は注目すべし」というのがスタッフの一言だった。

2013/04/28

ティンバーゲンの4つの質問

レポートを書くときに役立つ「ティンバーゲンの4つの質問」。

動物行動学者たる彼は、動物行動を理解するためには、以下の4つの問いかけを行い、それらに答えなければいけない、と主張した。




  1. メカニズム
  2. 発達
  3. 機能
  4. 進化
至近要因(1,2:How)と究極要因(3,4:Why)

例「小鳥はなぜ歌うのか?」
  1. 身体や脳のどのような仕組みでなされるのか
  2. 個体の成長に伴ってどう歌が発現するのか
  3. 歌うことで何の役に立っているのか
  4. 歌う行動が世代を超えてどのように変化してきたのか
例「文系と理系の存在理由」
  1. 文系、理系というシステムが学校の中でどうやって作られていくのか(受験産業や募集方法)
  2. ある人が理系、文系を選ぶとき、どのような要因で決めているのか(受験勉強や手続き)
  3. 文系、理系という制度はいつできたのか(歴史)
  4. 文系、理系に分けることにはどんな社会利益があるか
(しかし、人間の興味は文系、理系に分けられない)

『「つながり」の進化生物学』読了。

2013/04/26

《金曜日》

今年度も、金曜日は母の受診のために空けていた。その事由が先月、突然消滅した。入れていた受診予約も連動して消滅、手帳のその日に大きな×を書いた。

今日は午後から天気が荒れると言うので、午前中、梅佳代展に行った。会場に入ったとたん、笑ってしまった。どんな写真か?って。それは見てのお楽しみ。

巨大な写真がところどころにあり、まるで大魔神が目の前にいるようで、一瞬足がすくむ。2つ目のコーナーの「女子中学生」は「自分も十代だったから撮れた」という写真群。確かにそうだろう、という気がする。30代では撮れないだろうし、相手が30代だったらしてくれないだろうパフォーマンスばかり。「じいちゃんさま」はほのぼのだし、「男子」は変顔の先駆け集。

展覧会図録の裏表紙を見ると、「奥付」と大きな字の脇に奥付が載っている。これはいい。

半券で見られると言うので、「難波田龍起の具象」展にも寄った。彼の自宅は子どもの行っていた保育園の近くにあり、そのユニークな外壁が記憶に残っている。今回の展示で気になったのが「病床日誌」。亡くなる5ヶ月前から書かれた、絵による日誌だ。初日のしっかりした絵が少しずつ変化していく。絶筆となった32日目の「日誌」は母の絶筆と似た雰囲気が似ている。大画家には失礼だが……。享年93歳。

幸い、予報は外れ、午後もいい天気だった。

★おまけ ウィキの「梅佳代」に、こう書かれていた。「会議通訳者にも同姓同名、字も全く同じの『梅佳代』がおり、互いに会ったことがあるという」。


2013/04/25

後片付け

先日、母の部屋から持ってきた荷物を研究室に運び込んだ。
その整理と引き取りで弟が来てくれた。
荷物の中に手編みの上着があった。母の手作りだ。ボタンを見ると左前になっているから女性用だろう。ちょっと大きめだったので着てみた。着れた。

2013/04/24

たくさん来てくれた

新任教員による自己紹介企画「コミ部デビュー」の第1回目。

話し手は西垣通さん。これまでの人生を開陳されたあと、最後に、研究と教育は別もの、教育では相手つまり学生に沿う必要があるとしみじみ強調された。

この日の様子はいずれ、ダイジェストビデオで公開する予定。

教員室に寄ると、夕刊がもう並んでいた。ちらっと見ると、そこには見たことのある顔。そう、昨日、ゼミで見たビデオに出てきた大平京子さん(91歳)だ。
記事では小笠原民謡の名手(不覚にも知らなかった)として紹介されている。当然ながら名前に関する記述もある。

大平京子さんの情報


2013/04/23

「あっ!」というまの1週間

前回の日記が16日。そして今日は23日。引くと7。
以下は週記。

4/17(水)学部教授会。新任の3名にあいさつをいただいた。なんとなく華やぐ。そのあと、集合写真の撮影、そして全学教授会。

4/18(木)会議が4つ。最後の会議は理事会。今年度はオブザーバーに回り、少し気が楽になった。と書いておこう。

4/19(金)昨日できなかった仕事で大学へ。『新版 社会のイメージの心理学』読了。旧版が20年前。早い。その間に9.11と3.11。扱う社会的現実が苛酷になっている。6章「マスメディアとインターネット」がおもしろかった。ニュースのパーソナライゼーション。ネットは、それを促進している。やりとりされる対象は政策ではなく政局だし、争点ではなく人。

4/20(土)寒い。『コリアン世界の旅』読了。在日となれば避けて通れないのが名前。引用したい箇所がいくつも出てくる。名前とアイデンティティ、あらためてインタビューをしたくなった。著者の野村進さんはいま拓殖大の教員をしている。

4/21(日)今日も寒い。長野は雪が降ったらしい。『隅っこの四季』読了。「たんたん」という音が聞こえてきそうなぐらいに淡々。彼は毎日、納豆をしかもたれなしで食べている。同好の士あらわる。

4/22(月)大学院の授業ではM2韓さんの質問紙の検討。ボクが用意した教材はWired youthのレジュメ。この本、コンパクトでテキストに向いている。難をあげれば、著者がイスラエル人のため、例やデータもイスラエル関連が多めなこと、かな。東京新聞の夕刊に3月に行った日和山公園の写真。その麓に瓦礫となった車両の山が写っている。2年以上経っているのに、そのままだ。だが、キャプションは「積み上げられた車両の向こうで、日和山のサクラが美しく咲き誇る」。こういう見方もあるのか。

4/23(火)卒論ゼミは、学生3人にTAのYさんをまじえての談義。今日来た3人のテーマは、エヴァンゲリオン人気を解剖する、就職ってなんだろう、若者の投票率をあげる秘策(表現はボク流にアレンジ)。むずかしいものばかり。かろうじていちばん最初のテーマはなんとかなりそうだが、従来のエヴァ論とどう折り合いをつけるか、でむずかしい。

2013/04/16

学部授業開始

2限は「卒制・卒論」。
今年は6名。初回はいつもの話をして終了。制作と論文の違い(主語・述語の違い、方法論の違い)と、それぞれの特徴(センスに自信があれば前者だし、地道にこつこつであれば後者とか)。それぞれの進め方。

4限は「演習」。
今年度の受講生は、2年生9名、3年生7名、計16名。テーマは「名前」。自己紹介、ゼミ長・副ゼミ長の選出。最後に恒例の集合写真。最近、俯瞰撮影にはまっているので、上のような写真になった。

2限も4限もY君がTAとして参加してくれた。学生たちにいい感じで突っ込んでくれる。ありがたや。

2013/04/15

大学院授業開始

「個別指導」の第1回目。
中国からの留学生3名、日本人2名。
あるいは、修士1年1名、2年2名、博士1年1名、科目等履修生1名。
いずれにしても、5名でスタート。
今日は、研究の進め方という名のオリエンテーション。自己紹介の中で、たまたま「造反有理」というスローガンにふれたら、留学生にビックリされた。表情は「えっ、どうして知っているんですか?」。ボクらの世代であれば、まず誰もが知っている言葉。
来週は、論文の紹介とM2生の質問紙チェック。
再来週から論文の輪読。

2013/04/14

『アホかて生きているんや』

ホリ君から教えられた福井達雨さんの本。初版はいつのだろう。奥付には「昭和49年10月20日七版」としか書かれていない。

福井さんは福祉施設「止揚学園」の創設者。

本の中で、同僚の岩崎先生の話を受けて、
「ウン、ぼくらの仕事は、差別されている子供のためにする仕事ではなく、差別されている子供とともに歩む仕事や、……」(強調は引用者)。

調べたら初版は1972年刊だった。

2013/04/12

部屋の整理

朝早く、長野に向かい、昼前から母のいた部屋の整理をした。
介護ベッドと車椅子、歩行器、電子レンジ、紙オムツを社会福祉協議会に寄付。最後に残ったポータブルトイレはゴミとして出すしかなく、清掃センターに持ち込み。それ以外は基本的に東京に持ち帰ることにした。
母がいた老人ホームは部屋を貸すだけで、それ以外はすべて入居者が用意しなければならない。せめてベッドは備え付けにしてほしかった。何か法的制約でもあるのだろうか。一昨年までいた老人ホームは備え付けだったのに。
あとは、実家の部屋の整理が残っている。

2013/04/11

名前に「海」があるから


「なぜ五輪を呼びたいのか… 招致委幹部が涙したスピーチ」
産経新聞2013年 4月11日8時30分配信

 佐藤真海(まみ)=サントリーホールディングス=は東京にいた。激しい揺れ。ここでこんなに揺れるなら、震源地はどれほど大変だろう。
 やがてテレビが、津波の第1波を映し出した。故郷気仙沼が海にのみ込まれていく。鳥肌が立った。手をつくしても両親との連絡が取れないまま6日目。行けるところまで行こうと電車に乗ったそのとき、携帯電話が鳴った。
 母からだった。
 無事と分かるまでの長い時。本当に辛かった。地獄なら、もう見たと思っていた。でもあれは自分のこと。家族のことを思う今の方が、ずっと辛い。そのとき知った。あのころも、私より家族の方がきっと、ずっと辛かったんだ。
 一月後、初めて気仙沼に帰った。町に乗り上げた大型漁船。津波の到達点を刻む残酷な境界線。言葉も涙も出なかった。吐き気がした。ただ海は、静かだった。生活の一部だった漁港の海はいつも通り、チャプチャプ、キラキラ。あの日、一瞬化けただけの海。
 海を嫌いにはなれない。ならない。子供のころは意識しなかったが、名前にも海がある。

 ◆笑顔
 応援部のチアリーダーとして学生生活を送っていた早大2年の夏、右の足首が痛んだ。
 捻挫と思いがまんしていたが、耐えきれなくなって近所の医者に行った。大学病院を紹介され、ここでもがんセンターを勧められた。診断は「骨肉腫」。右足の切断は避けられないと告げられた。
 長い抗がん剤治療を経て2002年4月16日、20歳、手術で右足の膝から下をなくした。髪も抜けた。ないはずの右足がいつまでも痛む。「幻肢痛(げんしつう)」というのだという。泣いてばかりいた。なぜ私なのだろう。地獄だと思った。家族、患者仲間、看護師、友人ら、多くの人が支えてくれた。少し元気になったり、また落ち込んだり。そしてスポーツ義足と出合った。
 よたよたと、それでも初めてトラックを走った爽快感。スポーツを心から楽しいと思えたのは、このときからだった。
 彼女は走り幅跳びでアテネ、北京、ロンドンと3大会連続でパラリンピックに出場した日本のトップアスリートである。
 辛い記憶の多い、本当はもっとずっと長い話を、彼女はほんの一瞬涙ぐんだだけで、ほとんどの時間をとびきりの笑顔で語り続けた。誰かが少し離れて見ていたら、どんな楽しい話をしているのかと思ったろう。
「今が本当に楽しいんです。普通の人生に戻れるなら戻りたいと思ったこともあるけど、今が一番いい。義足で走ることで世界と勝負し、いろいろな人と関われるようになった。スランプも含めて充実しています」
 2020年オリンピック・パラリンピックを招致している東京に3月、国際オリンピック委員会(IOC)の評価委員らがやってきた。招致レースを勝ち抜くための重要な機会。プレゼンテーションでは佐藤真海も、英語でスピーチを行った。

2013/04/10

『「文化系」学生のレポート・卒論術』

出がけ、ポストを覗くと、『「文化系」学生のレポート・卒論術』が、入っていた。久々の出版だ。

今回、ボクが担当したのは、コラム「卒論の進め方」。以前、mixi日記で(その後ブログに準転載)書いたものを再構成した内容。たった3ページではあるが、エッセンスをぎっしり詰めたつもり。

担当箇所の確認を済ませて、散髪、出勤。

みぞおちのシクシクがなかなか消えない。少し早めに大学を出て、近所で受診。「お腹が固いですね」との見立てで、潰瘍系の薬が1週間分出た。

2013/04/08

「おめでとう」

青空。
駅に近い小学校から親子連れが出てくる。
どうやら入学式が終わったばかりらしい。
ちょっとはずれた植え込みの近くで、水色のランドセルを背負った少年とおじいさんらしい人がしゃがんで休んでいた。
少年は帽子を目深にかぶっていたので、おじいさんに「入学おめでとうございます」。
こういう場面だと言いやすい。
おじいさんが破顔一笑。

2013/04/07

広島→名古屋→東京

幸い、新幹線は止まらず、東京に戻れた。

今回の広島行きの目的は、
路上と観察を巡る表現史」展。

定点観測のようなカウント調査と、ある瞬間を切り取った観察とでは、後者の方が想像しやすい。ことにようやく気付いたのが収穫。


飯村昭彦さんの撮った、有名な煙突写真がほぼ実物大で展示されていた。麻布谷町の煙突のてっぺんから撮ったものだ。見ているだけで頭がくらくら。本のカバーと違い、字がないので、迫力満点。

それにしてもよく登ったものだ。命綱なしで。魚拓ならぬ煙拓も展示されていた。どうやって取ったのだろう。
矢印のいい写真もあった(目録にあることを期待)。


今朝は広島駅までの道を遠回りして、愛宕踏切で矢印収集(写真を後日掲載しよう)。開かずの踏切でも有名らしい。待っている人にインタビューをすると、矢印という言葉が何回でも出てくる。まさに矢印浴(笑)。

途中、名古屋で降り、大石繁宏さんの講演を拝聴。いくつか質問したいことがあったが、時間切れ。再来週の土曜日、東京で講演とか。

2013/04/06

『ちくま』4月号

膵がんを告知されたなだいなだが、ケストナーの言葉を引用している。
人生は一度しか生きられない。しかし、一度は生きねばならない。……そして、時が来たら勇気をもって横にどけ。
もちろん文脈は違うのだが、老親の死は「横にどけ」に近づきつつあることを示している。

斎藤美奈子は「スポーツ界に暴力がはびこる理由」。
日本人の42%を占める体罰肯定(推進)論者は、桑田(『新・野球を学問する』)に対抗しうる論理を構築できるだろうか。バカヤロー理屈ではない、というのなら、それこそ軍隊式である。
荒蝦夷(あらえみし)の土方正志さんたちが「2年目のいま読むべき」震災関連本リスト50選を作った。

穂村弘「絶叫委員会」の66回目は「名前の教え方」。
読者に本へのサインを求められ、
穂村 お名前は?
読者 みかです。
穂村 みかさん、えっと、どんな字ですか?
読者 びじゅつのびにちゅうかのかです。
穂村 ……
彼は、なぜ「……」になったのか。中華の「華」と、美術の「美」にもやもやした気持ちになったのか。
穂村 その教え方、わかりますよ。「美しいに華やか」とか、自分では云いにくいですもんね。
ボクは、三本川の川に、浦和の浦、健康の康に、冬至夏至の至。時に、家康の康に、どこそこへ至るの至。とも。

森達也のエッセイに出てくる、田沼さん(誰だろう?)の発言。
近代科学はWHYではなくHOWを探ることで発達してきた。……でもその結果として、人はどこから来てどこへ行くのかとの大命題が、手つかずのまま残されてしまっている。たとえば視覚については、「どのように見えるか」との問いかけはサイエンスになります。けれども「なぜ見えるのか」という問いかけについては、本質的に答えることができない。……死に関してはそうはいかない。WHYを解明しなくては前に進めない。
中下大樹「いのちと向き合う」3:死後一ヶ月の遺体が意味するもの
承認欲求や自尊感情が社会で満たされないと、ある人は他者に攻撃的になり、またある人は自分を守るために殻に閉じこもる。
少子高齢化が進む日本では、誰しもが孤立死予備軍である。そのことに、どれだけの人が気付いているのだろうか。
もちろん、岸本佐知子さんの「ネにもつタイプ」もいい。

今夜は広島泊。
(「ちくま」505号より)

2013/04/05

長野市内の宿

とりわけ、この十年、(旧)市内のいろいろな宿を利用した。
今回はじめてJALCITYに泊まり、主なところはほぼ使ったことになる。
これまでに利用したのは、メトロポリタン、サンルート2カ所、犀北館、信濃路、国際21、アイランド?、東横イン、長野セントラル、清水屋、森と水、……。
JALCITYは、もともと三井ガーデン。昔のホテルの雰囲気が残っている。一定レベルには達しているのだろうが、個性がない。
よく利用したのは、駅近にあるメトロポリタンとサンルート長野。

久しぶりの大学。一通り回ってお礼。夕方、昨年お母さんを亡くした同僚と話しながら帰った。喪は一通りではない。


2013/04/04

帰宅

31日死去、1日18時通夜、2日12時納棺(火葬)、3日11時葬儀。
4日お寺参りを済ませ、帰宅。

帰りの車内では、残された日記を読んでいた。平成16年4月から同18年6月までの分だ。日記は、生前も、読む機会は何度かあったものの、その日の前後の分だけだった。

最初のページには「今日より又書く事にした」。そして最後のページには「皆んな有難う。何かの病気は皆持って居ると思う。人それぞれだ」。

晩年、母は、交通事故で痛めた足と帯状疱疹の後遺症に悩まされ続けた。

日記によく登場する人名からは日常的に世話になっていた人がわかる。その人たちに礼状を出したい気持ちでいっぱいだ。

明日は大学。

2013/04/03

滞在4日め

朝から雨。
家族と合流。
葬儀、お斎、自宅でのあいさつ。
長野駅で家族を送ってから、宿へ。
中央通りを上がって、かつていた桜枝町まで行き、母と食べたこともある北野家のお蕎麦で夕食。人影の絶えた善光寺さんへ、と一人供養。
寝付けない日が続いている。今日は眠れるだろうか。

2013/04/02

過去形

現在進行形がとうとう過去形になってしまった。
今日、荷物の確認で老人ホームに行ってきた。いつもであれば、入口で「母はいま、どうしてるかな」とか、「いま食事の時間だな、見に行こう」とか思っていたのに、思い浮かべることが何もない。老人ホームの一見学者でしかなくなった。

母が老人ホームに入ったのは2007年3月末。それ以来だ、ボクが介護らしきことをするようになったのは。ちょうど6年。心残りも反省も多い。しかし、できるだけのことはしたと思うことにしている。

匿名のままでは死ねない

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