2014/12/29

「個人的なことは政治的である」

松井久子編『何を怖れる―フェミニズムを生きた女たち』岩波書店。
同名映画に収録しきれなかったインタビューの文字版。

映画は、来月17日から渋谷シネパレスで上映。公開記念ティーチインが終了後開かれる(上映は10時~11時50分、その後12時半までティーチイン)。

WANの中西豊子さんが、組織で難しいのは「人と人とのいいつながりをつくっていくこと」と強調している。

今朝の東京新聞「本音のコラム」で宮子あずささんが「郵便屋さんありがとう」と題したエッセイを寄せている。
彼女は、訪問看護で行ったアパートのドアに、名前はおろか部屋番号の表示もなく、外から電話をしてドアを開けてもらった経験から、表札のない家が増えている中で郵便物を配達する郵便屋さんの仕事を「プロの仕事」と感動する。

我田引水か、「いい」以前に「つながり」が作りにくくなっている。


玄関マットで足を滑らせ、肩を強打。

2014/12/28

おもしろいお母さん

ねじめ正一『認知の母にキッスされ』。

48年生まれの著者に、米寿の母。
母のことを思い出しながら、笑いながら、一気に読んだ。

老人ホームでのできごと。
お母さん(みどりさん)の隣室に入居したおばあさん。認知症で、ドアの鍵で困っている。彼女を手助けしたあと、著者は彼女を事務室まで一緒に行くはめになる。

そのおばあさん、「手を引いてくれますか」
ねじめ「いいですよ」
「ああ、よかった。これで帰れるわ。お兄さんの手、温かいですね。これからも一日に一回手を握ってもいいですか」
「いいですよ」

一番好きな場面だ。

すぐに読めなかった「喚く」は、本書の最頻出動詞かもしれない。


装画を唐仁原教久(Norihisa Tojimbara)さんが担当。布地風の表面がいい。

2014/12/27

忘年会

吉祥寺で忘年会。
先日の忘年会では前立腺談義で湧いたがw、今日はもっぱら出版界の話題。
話題に上った本は、ピケティの『21世紀の資本』。12/8に出たばかりなのに既に4刷。
その場でみすずのサイトにアクセスすると、

[重版中です]まことにおそれいりますが出来までしばらくお待ち下さい

1冊6千円もする本なのに。

加藤晴久氏によれば、「フランス経済学界は意気軒昂である」。今年のノーベル経済学賞はフランス人のティロル(TSEの創立者)。IMFが発表した「いま世界でもっとも影響力のある45歳以下の経済学者25名のリストにフランス人は7人」(「ル・モンド」10月30日付)。日本人は含まれていない(『機』141号)。


出版社のPR誌で0円読書ができる。

2014/12/26

カフェで読んだ

堀口珈琲でコーヒーを片手に読んだ。
たまたま鞄に入っていた『カフェと日本人』(高井尚之著)。
懐かしい喫茶店、よく知っているカフェがいくつも出てくる。
MOF担が接待に使ったノーパン喫茶、打ち合わせでよく使った「談話室滝沢」……。
純喫茶が特殊喫茶に対して付けられた呼称であることを初めて知った。
現存する国内最古の喫茶店は「カフェーパウリスタ」(1910年12月12日開店)。建物も場所も変わっているが、行ってみたい場所に仲間入り。
国内のコーヒー飲用量は2012年で、1週間あたり10.73杯。この数字自体は頭打ち。外で飲む量(0.32杯)が減り、家庭で飲む量(6.85杯)が増えている。


著者が選ぶカフェ好きの聖地

2014/12/24

もうじき新年

今年最後の散髪。
客が多く、1時間ちょっと待った。
持っていた「」1月号も読了。

小湊鐵道に行きたくなる原武史の連載。
彼のコースは、東京駅12:24-13:25五井。
五井13:33-上総牛久14:00-養老渓谷14:39-14:46上総中野(39.1km、1時間13分)
駅名標のひらがな、かずさとかづさが混在しているとか。

「健康」が日本語であることも知った。語源である「健体康心」は「易経」に出てくる中国語。てっきり中国語と思っていた(高島俊男の連載)。


2014/12/23

暮れの一日

IKEA。
出口にアウトレットコーナーがある。
大半はテーブルや椅子。各商品に「分解はお客様で」と書かれた紙が張られている。
コスト削減の一環だろうか。
夜は月島へ。
帰り、地下鉄の改札口で「この人、数学が5なの」という、「おのぼりさん」4人グループに話しかけられ、みんなとはぐれてしまった。

2014/12/21

「作らない建築家」の本


坂口恭平『TOKYO一坪遺産』集英社文庫

もくじ
  1. 仮想野球場:二人で野球をするための分身術
  2. 隅田川の0円ハウス:人体の延長線上の家
  3. 宇宙の缶詰
  4. 隙間芸術:中野のパーキングガーデン
  5. 東京駅のエアポケット:パラソルの下の靴磨き屋
  6. 現代の楽市楽座
  7. 歌舞伎町のオートクチュール宝くじ売り場
  8. 世田谷のミニチュア天国
  9. 芸術的豆本作家
  10. 高架下の画家仙人
  11. 立体読書
  12. 見えなくても、ある。
小学生のころに著者(ただいまは国分寺在住とか)が作った「机の家」は、ボクにも覚えがある。押入の中に作ったこともある。

さて。

都市のすき間には、こんないい空間(目に見えない空間)がこんなにもある、と思って「間違いはない」(高架下の画家仙人の口癖)。この本で、宝くじ売り場ハウスの秘密も初めて知った。
日本は「本当に狭いのか? 僕にはそうは思えない。人々はあくせく働いても狭い住宅にしか住めないのに、なぜ国の建築物はあんなに巨大にできているのか」。
そして、路上生活者の家は排除されていく。路上で露店を出していた人々も追い出されていく。単純に言って、全ての人々は家を持つ権利があるはずなのだが、そこは平気で見過ごされている。 
霞が関界隈には「国有地に付き立入禁止」という面妖な看板がある。


わたしたちの島で』に出てくるスニッケル荘(スニッケルは指物屋の意味)、なぜ居心地がいいのか、その秘密がわかった気がした。

2014/12/17

サゲ

物語る私たち

ポーリー監督が、自身の出生の秘密、そして亡母の恋を半ドキュメンタリー風に構成した作品。父親によるナレーションがせつない。

カナダの社会事情もわかる。

最後の最後のシーンで、観客はずっこける。
カナダ落語のよう。
「えっ!?」で、終わる。

2014/12/15

0円経済

0円ネットワークが特集の「ビッグイシュー」253号。
悩みは、ネットオークションでの転売。それでもやる。


2014/12/13

天気予報の地域差

九州に行ってきた。
現地で天気予報では最後にPM2.5予報が流れる。
NHKの予測を見ると、確かに九州では欠かせない。
天気予報で流れる情報は、場所に環境変化に左右される。
花粉予想。天気予報ではないが、空間線量とか。

2014/12/11

「私は……」

ノーベル平和賞を受賞したマララさん。
その授賞式演説で自身の名前にふれている(訳はThe Huffington Postから)。
親愛なる兄弟姉妹のみなさん、私は、パシュトゥン人のジャンヌ・ダルクともいわれる「マイワンドのマラライ」にちなんで名付けられました。「マララ」という言葉は「悲しみにうちひしがれた」とか「悲しい」という意味ですが、それに「幸福」の意味を加えようと、祖父はいつも私を、「マララ、世界で最も幸せな少女」と呼んでくれます。 
さらに、中盤で、彼女は「私の意見は、私一人の声というわけではなく、大勢の人の代弁者なのです」と言い、つぎつぎと女の子の名前をあげる。
私はマララです。そして、シャジアでもあります。
私はカイナート。
私はカイナート・スームロ。
私はメゾン。
私はアミナ。私は、学校に行けない6600万人の女の子なのです。
何人もの女の子が目の前を歩いているようだ。

2014/12/10

スウェーデンの習慣

金曜日のお掃除:ちゃんとしたものは週に一度、週末前の金曜日に。

引っ越しがゆ:新しく引っ越してきた家へ、近隣の人たちが「引っ越しがゆ」を持っていく習慣がある。米粥やオートミール。最近は中身が菓子や料理になることもある。

タラ:間抜けとか馬鹿者のことをこう呼ぶ場合がある。

命名日:暦の日に、人名が付いている。誕生日と同じに祝う。変わった名前だと命名日がない。

リンドグレーン(1964)『わたしたちの島で』岩波少年文庫から。
同書は、先日見た『なまいきチョルベンと水夫さん』のノベライゼーション(本書の後半)。



2014/12/09

『OVER60 Street Snap』

サブタイトルが「いくつになっても憧れの女性」。
著者(撮影)はL'ideal
「ファッションがきっかけで少しでも多くの人が、おじぃちゃん・おばぁちゃんと関わる機会をもってくれたら」と著者

もちろん、みんなおしゃれだし、センスもいろいろなのだが、誰も髪を染めていない。
年とうまく付き合っている。

こんな本も昨年出ている。
Advanced Style—ニューヨークで見つけた上級者のおしゃれスナップ』。
著者は、NY在住のアリ・セス・コーエン(Ari Seth Cohen)。おばあちゃん子という男性とか。
サイトはここ


2014/12/08

あるインタビュー記事

私のスケジュールも、それに合わせます。彼らには彼らの信仰や信条がありますから、よほど不合理なことでない限りそれに合わせて行動したほうがいい。文化や宗教の違いをうんぬんするより、相手に合わせて「何か」を実現する。そのほうがずっと価値は高いと思います。
イスラム文化を尊重しながら、その枠内でできることはたくさんありますから。
x人も自然も 、一方的に変えようとしてもうまくいかない。だから自分から動いて変わっていくしかない。自然とのつきあいも、一種のコミュニケーションなのかもしれませんね。

2014/12/07

橋つながり

コミュニケーションを橋にたとえるようになってから橋が気になっている。

東京新聞で、中野京子さんが「橋をめぐる物語」を連載している(不定期だが、ほぼ月一)。ここでダンゴムシ橋(Rolling Bridge)も知った。

この連載の前に、北海道新聞で連載を書いていて、それが1冊にまとまっている。同名書『橋をめぐる物語』がそれだ。
30の橋が紹介されている。

ゴールデン・ゲート・ブリッジ」の項で、自殺の話が出てくる。
映画「ブリッジ」の中に出てくる若者の証言が紹介されている。
一命を取り留めた若者が当時を振り返って語るシーンだ。
70mの高み、最終落下速度120km。
彼は言う。「飛び降りた瞬間、死にたくないと思った」と。
必死で体勢を取り直し、どうにか両足から落下。

別の飛び降りを目撃した少年の談も示唆的だ。彼の証言と母親の証言が異なる。母親によれば「ふつうの娘さん」なのだが、少年は「お化けのようなすごく怖いおばあさんだった」と。中野さんは少年なりの自衛本能と解釈するが、実際にそう見えた瞬間もあったのではないだろうか。それはともかく、このエピソードはインタビューの極みだ。
「事実」を確かめることではなく、そう語っていることが大事なのだから。


新刊の『懸け橋(ブリッジ):オバマとブラック・ポリティクス』も気になる。ブリッジが懸け橋と訳されている。

2014/12/06

昔のこと

今日の研究会で、ついパソコン通信にふれてしまった。
いま思うと、NIFTY-Serveは、ボクにとって全体が内集団だったのかもしれない。
たとえるならば、ネット全体が内集団と言っているようなもので、一見アリエナイ話ではある。
当時は利用者が少なかった。利用は有料で、料金はクレジットカードからの引き落としだった。ユーザーをネットワーカーと呼んでいた時代の話でもある。

2014/12/05

森の中の図書館

農大アカデミアセンターを訪問(写真は、http://www.nodai.ac.jp/megumaga/vol137.htmlから)。

この春オープンした複合施設で、メインは図書館。設計管理を久米設計、施工を清水建設が担当。

外観も内部も木を強調した作りになっていて、周りの緑と合う。

1階に大学史資料コーナーがあり、ディスプレイ上で「農大新聞」が読める。いいアイデアだ。東経大の新聞(大倉高商新聞、東京経済大学新聞)は電子化されているのだろうか(復刻版のデータが使えると話は簡単)。


図書館が単独の建物がなくなったのはいつごろからなのだろう。

2014/12/03

社会心理学的歴史家

阿部謹也著作集の第9巻「自分のなかに歴史をよむ・北の街にて」を読み始めた(装丁がいいと思ったら、毛利一枝さん)。

冒頭は「自分のなかに歴史をよむ」

17年前、佐藤先生の葬儀で弔辞を読み上げたのが、当時、一橋大学学長の阿部先生だった。「この人が、あの『世間』の先生なのか」と、落ち着いた話し方が記憶に残っている。

大きいくくりで言えば、阿部さんは思想家。文章も内容もぴったり来る一人。関心が人に向いているからかもしれない。
私が知りたかったこと、それは西欧的社会(修道院という人間集団)と日本社会の違いがどこにあるのか。修道士がなぜ武器を持ったのか。これを論じた書物はいくらでもある。
聖地を解放するために武器をとったのです、と言われれば、「ああそうですか」というしかない。しかし、それでは「祈る人、戦う人、働く人」の3区分はどうなったのかといいたくなる。信仰と戦闘はどう結びつくのか。「汝殺すなかれ」を説く修道士が堂々と人殺しをする十字軍とはいったいなんだったのか、聞きたくなる。
この問いにいろいろな答えは出されているが、現代の修道士が武装している理由にはどんな本も答えてくれない(要約)。

この全集、2000年刊なのに、もう絶版。

『図書』12月号

伊藤毅さんの発言から。
私たちは災害は外から来る、外から襲われて傷を受けるというようなイメージを持っていますが、私は都市というのは初発の段階から危機を抱え込んでいると思うのです。そのことを忘れ、行政が問題を外部化して、自分たちの危機とは思っていないんですね。
近世都市には恒常的に地震や大火があり、荒れた土地は潰れ地、なだれ地などと呼ばれて、日常的に意識されていました。近世はまだ都市に内在する荒れ地性や危機のリアリティがうまくキープできていた時代ではないかと思っているんです。
地震は外から来る自然現象でも、災害は自然現象ではない。

『図書』12月号もくじ http://www.iwanami.co.jp/tosho/

2014/12/02

卒制・卒論

明日は、卒論・卒制の提出日。ただし、今週いっぱいは受け付けることになっている。

ボクのゼミ(9名)は、こんな風。

論文
  • ガン・サバイバーシップ
  • 子どもの貧困
  • 感情労働
  • 巨人ファンと阪神ファン
  • ミュージカルファン
  • 恋愛と結婚
制作
  • サッカーのムック
  • 駆け込み乗車図鑑
  • ドタバタ自分史
学生の解放感、如何ばかりか。まあボクもだけど。
ただ、このあと、発表会兼口頭試問、卒制・卒論集(CD)の制作が待っている。

卒論の書き方11:結果→考察→結論

先行研究、仮説、方法、結果、考察、結論はすべてつながっている。思考の順番でもある。

こういう先行研究があるから、こういう仮説が導き出され、こういう方法がとられ、そして、こういう結果が得られたのであれば、仮説や先行研究との関係から、一定の考察がなされ、その延長上に(暫定)結論が導かれる。

極端なことを言えば、それまでの部分を踏まえるならば、誰が書いても同じような結論になるはず 。つまり、結果の先(考察と結論)はなかば自動的に書かれる。まさに導き出される性格のものである。

研究者の顔が見えるのは、またまた極論すれば仮説から方法まで。

2019年7月14日改訂

2014/12/01

卒論の書き方10:役所言葉は不要

学生たちの文章で結構見かけるのが「等」「など」など。

スマホやガラケーなどの携帯機器は……

「等」「など」の多用も社会の非寛容を反映しているのかもしれない。習慣になっている人も見かける。

「等」「など」が何をさすのかわかっているのであれば、それらをあげるべきだし、はっきりしないのであれば、「スマホやガラケーといった携帯機器は……」で十分。

どうしても使いたいのであれば、たとえば「主としてスマホやガラケーといった携帯機器」「スマホやガラケーに代表される携帯機器」あたりか。

「等」を入れておくと、何かあった時に好都合なので、役所などでよく使われる。

予算で「切手など」1万円として計上しておけば、この費目で「はがき」を買ってもとやかく言われない。さすがに、この枠でお菓子を買う人はいないと思うが、論理的には可能。



2019年7月14日改訂

卒論の書き方9:有効桁数

社会が寛容じゃないからなのか、街のあちこちで「約」をよく見かける。学生の原稿も同様。

曰く、4割、30m。

「約」なしで書ける。有効桁数を思い浮かべよう。

「4割」は、この表記だけで3割5分から4割4分の間をさす。もし、この範囲外であれば、4ではなく、別の数値になる。

「30m」は、特に断らなくても、29.5mから30.4mの間。

堂々と、4割、30mと書こう。

約4割とか約30mって、どの範囲を想定して使っているのだろう。わからない。



2019年7月14日改訂

フルネームで呼んでくれてありがとう

スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。  ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。  シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...