2015/12/31

2015年が終わる前に

家が悪くなるとき、大学も同じスピードで落ちていく。新聞もやはり国家と等速で落ちていく。

「2016年お正月かるた」(「ビッグイシュー日本版」278号)の一句。鶴見俊輔さんのことば。落ちていく大学で、学ぶことの影響、落ちていく新聞を、読むことの影響はじわじわと効いてくる。



って来るのは膨大な集団ではなく、個々の人間なのだ。

 本音のコラム 竹田茂夫「国家と難民(東京新聞2015年12月31日)で知った。発言の主はアンゲラ・メルケル首相(2005年就任)
 彼女は米誌タイムと英紙フィナンシャル・タイムズから「今年の人」に選ばれた。その彼女が所属政党「キリスト教民主同盟」(CDU)の党大会で行った演説の一説である。ドイツ流入の難民は今年だけでも100万人とか。その誰もが名前のある人、人、人。もちろん、日本にも「難民」はいる。

2015/12/30

展覧会2015

学内にこんな場所があった

3月
5月
6月
7月
10月
11月
12月

2015/12/19

銀と金

季節を感じに、歳末の浅草へ。

すき焼きをごちそうになったあと、浅草寺で参拝。

境内は羽子板市でにぎわい、仲見世は外国人でほどよいにぎわい。ちょっと今ではないような雰囲気が漂う、不思議な感覚。

散会までの時間を隅田川河畔で過ごした。風もなくぽかぽか陽気。ネコになった気分だ。

一見間近にみえる銀色のスカイツリーが、アサヒビール本社ビルの窓には金色で映っている。間に立つビルは墨田区役所か。

2015/12/17

KKに連れられて

久しぶりに懐かしい2文字を目にした。
KK
いつから使わなくなったのだろう。
気がついたら、使われなくなっていたという感じだ。意味がわかるのは何歳以上の世代だろう。
KKは株式会社(かぶしきかいしゃ)の略。いまなら、さしずめ(株)というところか。
出ていたのは、獅子文六の『コーヒーと恋愛』。原題は「可否道(かひどう)」。1963年発行。もとは新聞の連載小説。
以下は、ご本人のあとがき。
後半1/4は苦闘だった。病苦で、1回分を書くとグッタリ。こんな苦労して書いたのは初めて。古稀の老人には無理だったのかもしれない。新聞小説は五十代まで。それにしても、コーヒー小説はコリた。

登場人物の名前もいまや渋い。モエ子、勉(つとむ)、貫一、ミヤ子、アンナ(これは意外だ)、……。

洋行、インテリ、ミーちゃん、ハーちゃん、……かしら、と出てくる単語、言葉遣いが50年前にタイムスリップさせる。経験している時代だから、ね。

2015/12/14

プラグマティクス(語用論)

このところ、聞いたり見たりするものに語用論(的発想)がある。

たとえば、
人工知能 Artificial Intelligenceとは言っても、人工知性 Artificial Intellectとは言わない。
そこから知能と知性の違い、機会と人間の違いを論じる。

異文化コミュニケーションとは言っても、異文明コミュニケーションとは言わない。
そこから文化と文明の違いを考える。歴史を考える。

 意味をよく知らなくても聞いたただけで違和感が生じる。耳にしただけですぐ違和感を覚えるのは不思議と言えば不思議だ。その語の使用場面、使用例が蓄積されているからなのだろうけど。違和感は新しい用法を生み出すきっかけでもある。

2015/12/13

鏡開きのヒミツ

昨日は、コミュニケーション学部開設20周年記念シンポジウム、そして夕方から懇親会。

 懇親会は「多満自慢」の鏡開きで始まった。その末席に僕も加えてくれ、人生初の槌をふった。

 おかげで、樽のヒミツを知った。樽内部は上げ底になっていて、実際のお酒の量は1/3ぐらいであるとか、両脇の樽はダミーで軽いとか。一番のヒミツは秘密にしておこう。

写真は左から、田村名誉教授、猪狩名誉教授、岩本理事長、堺学長。

2015/11/23

「人々を排除しない参加型デザインへ!」

落ち葉舞う上野公園。
とびらプロジェクト 第4回オープンレクチャー「人々を排除しない参加型デザインへ!」へ現実逃避。
冒頭は、ジュリア・カセムさんの報告。
題は「インクルーシブミュージアム - 幅広い人々の関わりをデザインする」。ExtremeがわかればMainstreamがわかる。

報告では、いろいろな人のいろいろな試みが紹介された。
  • 子供たちにカメラを渡し、好きなものを撮影してもらう。それらの写真に本人と相手が別々にキャプションを付ける。もう一つの見方を知る機会。
  • 同じ家系の素足が並んだ写真。遺伝的に近くてもこんなに多様!
  • 処方箋の代わりに、ミュージアムのチケットをあげる。
  • Museum of Broken Relationship(クロアチアに行ったらぜひ!とのおすすめ)。誰にもある「別れ」がテーマ。ストーリーがいい。
  • Imperial War Museumは、銃の代わりに双眼鏡を置いている。銃で敵を狙う代わりに、双眼鏡で遠くに貼ってある小さなキャプションを見る。
ミュージアムを都市のどこに置くかも大事だ。それで思い出したのが、京都市立芸術大学の移転先。そして、磯崎新アトリエが設計したロサンゼルス現代美術館の建設場所。
別の話だったが、「よく読む雑誌と新聞を聞けば十分!」は「目から鱗」。でも、いまの若い人には何を聞けば、その代わりになるのだろう。

パネルディスカッションでは、娘さんのライラ・カセムさんも発表。彼女は「綾瀬ひまわり園活動している。二番めに話した松下計さんが紹介してくれたT-shapedはいろいろ使えそう。



2015/11/21

「仕切りなし」も「塀あり橋あり」も

ORF2015加藤さんのブースを訪問。フィールドワーク展に行けそうもなく、早めの研究室訪問。大道芸人やストリートミュージシャン、移動販売の屋台など、移動を前提とする活動のフィールドワークから、場づくりとコミュニケーションのあり方を問う、がテーマ。全国各地に出かけている。

脇の展示が気になって、チラチラ見ていたら、学生から「説明しましょうか」と声がかかった。別の研究室だった。仕切りらしきものがなく、いつの間にか石川さんのブースhajime.labに入っていた。

石川研の発表はキャンパス再発見がテーマ。構内を古地図や洋画で再現してみたり、色数に注目したポップアップを作ったり。GPSデータを加工したキャンパスマップがおもしろかった。こんな風に加工できるならGPSを持ち歩いてもいいと思う。加藤さんも、むかしGPSを小包に入れて、相手に届くまでのを可視化したりしていた。

いいなあと思ったのが、ORFのパンフレット。「次世代の芽」と題した冊子の表4に、クローバーを形どったシードペーパーが付いている。なるほど。どんな芽が出るのか。

六本木界隈をいくつか回ってから小平へ。「武蔵美×朝鮮大「突然、目の前がひらけて」」展だ。

塀を取り払うのではなく橋を架ける。違うから架ける。この発想に共感して、橋を渡りに行った。橋だからどちらからでも渡れるのだろうと思って、朝鮮大学校に行ったら、ムサビに行くように言われた。一停留所分歩いてムサビへ。

橋自体は渡りやすく作られていた。だが橋は橋でも、ムサビ側から渡って、ふたたびムサビに戻ってくるUターン型で、(ボクにとっては)行き交う橋ではなかった。それなりの事情があるのだろう。でも、ないよりははるかにいい。

2015/11/17

道の先が道とは限らない

いつも通る道の途中で右折した。
ここから先は、11年通っていて初めて通る道。
ふだんの道より一段高い。崖の上の道。
どんな世界が広がっているのだろう。
のぼりきると、道の両脇はちょっと凝った家々が並んでいる。
ながめながら、しばらく進むと、こんな標識に出くわした。

「この先、階段のため車両通行できません」

見ると、標識の先は長く急な階段。その分、見晴らしはいい。ジャンプ台のようだ。ダイビングした車もありそうな雰囲気が漂う。

2015/11/16

「半」

 社会性をもたない経済、社会性を持たない労働、社会性を持たない個人の誕生は人間たちに何をもたらしたのか。 
 私たちの社会では、必要だから生まれたものはそれほど多くない。多くのものは、それぞれの論理でつくりだされただけである。ところがそれが生まれてしまうと、そのことに適応した社会構造が生まれ、それなしには不便と感じる社会が発生してしまう。 
 社会のあり方と経済が一体化していない以上、つまり経済が経済独自の論理で展開している以上、経済は根源的な社会性を保持していない。 
 にもかかわらず、そのシステムの中で人は働いている。だからその労働は、根本的には社会性をもってはいない。 
 近代的な世界がつくりだしたバラバラな論理は、経済や労働を虚しいものにしてしまったのだと思う。 
 課題はどこにあるのだろうか。それは、経済が経済以外のものと結びついて展開するかたちを見つけだすことだろう。
 内山節さんたちは、それを「市場経済」として提示する。
 「」は大事なところを突いている。
 今川民雄さんは新刊『人とのつながりとこころ』の冒頭で、井上忠司さんの『「世間体」の構造』にふれ、ケータイで「世間」が潰されていったと書いている。世間とは「うち」と「そと」の中間(半うち、半そと)。いわば「半」の危機を感じている。
 「半」は、中間、あいだ、境目、中規模、中ぐらいを意味する。緩衝剤のようなものである。「半」のない状態は対立や衝突をもたらし、先に進めない。
 

2015/11/14

卒論の書き方13:彼/彼女

ときどき、He/Sheの流用で、「彼や彼女」とか、「彼らないし彼女ら」(英語ではどちらもThey)という表現を見かける。気にならないだろうか(英語でも気になる)。

性を意識(プライミング)させたいのであれば別だが、そうでなければ性以外のカテゴリーを使う。人々でもいいし、若者でもいい。学生でもいいし、市民でもいい。

「彼」が男性をイメージさせるのであれば「かれら」と書くとか。



パソコン上の辞書には、「彼」は「明治期まで男にも女にも用いた」とある。その後の経緯が気になる。

2019年7月14日改訂

2015/11/12

システムの破綻

いまや日常的風景になってしまった、トラブルによる電車の遅延。

ある駅の発車案内。といっても、どこの駅も変わらない。

ただいま10時13分。しかし10時4分の武蔵小金井行きはまだ来ていない。いつ来るのか。

いったん遅れてしまったら、時刻表を再現しただけの静態情報(絶対表示)はお手上げだ。遅れている場合、たとえば「5分遅れています」と出ることもある。しかし、その場合、本来の時間が表示されないので、何時に来るのかはわからずじまい。

これが気になったのは、台湾に行ったとき、台北市内のMRT(台北都市鉄道)の発車情報が相対表示、つまり電車が来るまでの時間表示(カウントダウン方式)になっていたからだ(undoさんのブログに写真がある)。

ベルリンの電車もそうだったような気がする。これであれば、時計も見る必要がないし、いつ来るのかも直感で分かる。

利用者としては相対表示(動態情報)の方がありがたい。その分、システムは複雑になるのだろう。

2015/11/11

買いたいのに……

暗い道。
自動販売機の前で、80すぎぐらいの女性が立ちすくんでいるように見えた。そのまま通りすぎても動かない。気になって引き返すと、130円のお茶を指差して、これを買いたいのだと言う。握りこぶしの中を見せてもらうと、ちょうど、その金額がある。お金が足りないわけではない。
1枚ずつコインを代わりに投入し、ボタンを押してもらった。ギリギリで手が届いた。手が届かなかったわけでもない。
結局、彼女は投入口がわからなかったようだ。確かに、暗い場所では投入口がどこなのかわからない。そのあたりがすべてメタリックで一様な色をしている。

2015/11/10

あいさつで終わらなかった

週末からずっと雨かどんよりの日が続いている。

エレベータの中での会話も天気の話題になる。

乗り合わせた同僚に「あいかわらず照ってくれないですね」とあいさつしたら、「そうなんだよ。昨年にくらべて、2割も晴れの日が少ない」。なぜ、そんなに正確にわかるのか、聞こうとしたら、こんなことばが返ってきた。

「2011年のあの事故の後で、ソーラーパネルを導入したんだよ。おこづかいを稼ごうと思ってね。最初は2万とか3万とかで買ってもらえて、よかったんだけど。今年はダメ」。

数字が出てきた理由がわかった。

単なるあいさつのつもりが思わぬ展開をした。

見られていた

そこを曲がると、職場の正門が前方に見える。あとは直進するだけ。
その角をまがるところで、目の前で「こんにちは」と声をかけられた。
いっしゅんビックリ。
会うといつもニコニコしながら挨拶してくれる人だった。構内清掃をしてくれている人だ。
なぜ、すぐにボクとわかったのだろう。と、怪訝な顔をしたのだろう。
その人は脇に立っているカーブミラーを指差した。そこに、坂を上ってくる私が映っていたのだ。

2015/11/09

崖の上と下

帰りの飛行機で、平井玄さんの『ぐにゃり東京』。
副題がアンダークラスの漂流地図。
芳賀さんから指南いただいた視線(=「崖」は社会の崖、人生の崖)でも読める。
崖の上と下とでは、こんなにも世界が違ってきてしまっている。距離にしたら、たいしたことないのに。

2015/11/08

研究者の誠実

 ある本の合評会で報告をすることになり、まず浮かんだのが「ハビトゥス」という概念だった。

 佐藤先生の存命中に参加した科研費プロジェクト「情報化と大衆文化」で、『ディスタンクシオン』を知り、同時にブルデューという名前も知った。彼のアイデアは、自分の趣味を振り返っても腑に落ちることばかりだった。当時は、彼を単なるエリートとしか思わなかったが、加藤晴久の近刊『ブルデュー 闘う知識人』を読んで、自身の人生がいかに研究にかかわっていたかを知った。

 「序」でこんなエピソードが出てくる。

 東大での講演後、ひとりの学生が、ブルデューにぜひ聞いてもらいたいことがあると、通訳を務めた加藤さんに近寄ってきた。

 制度としての学校が、恵まれた階級の文化的遺産を伝達することによって、不平等を永続化する機能を果たすことはよくわかった。ならば、東大生である自分は何をしたらいいのか。

 自分で見出すべき問いではないかと思いつつも、加藤さんは質問を伝えた。ブルデューは遠くを見るような目をして考えたあと、こう答えた。

 「もし自分があなたの年齢で、こういう答えを聞かされたら、きっとがっかりするであろうと思う。しかし、わたしは社会学の仕事をやることによって救われた。社会的拘束を乗り越えることができたと思う」。

 終章「若い読者のために」は、若くない読者をも鼓舞する。

 これからの寒さに対する暖房具のような本だ。読後があたたかい。
終章では、「国際社会学会による(今世紀における)重要書アンケートの結果」(1997年実施)が紹介されている。『ディスタンクシオン』も入っている。いま調査すれば、『国家貴族』も「世紀の10冊」に入るだろうと加藤さんは言う。

2015/11/05

Street people

ホームレスの人を20年以上にわたって撮影してきた写真家、高松英昭さん。

意外にも「路上は社会のシェルターであり、失われた人間関係を回復させる場所だと気づきました」という。

人がホームレスになるのは、住む家やお金がなくなった時ではなく、社会や頼れる人間関係を失った時だとも。つまり彼らが必要としているのは、経済的支援だけではなく、当たり前の人間関係を築くことなのだと。

「支援する側の発想は、まず路上生活から脱しましょうというものがほとんどです。でも路上からの脱出を急ぐあまり、人間関係は置き去りにされることもある。僕たちは支援する、されるという一方的関係を越えて、立場の違う人たちと、どういう人間関係を築いていくのか。そのヒントは路上にあるのではないかと思います」。

ビッグイシュー日本版」No.274から。

2015/11/04

Backlight

中央線車内
目の前に女子高生が3人すわっている
それぞれもくもくとスマホにむかっている
背後から日がさし、床に3人の影ができている
それに気づいた一人が影絵をはじめた
それに気づいた二人も影絵をはじめた
影絵と言ってもたんじゅん
グーチョキパー
もくもくが表情にかわった

2015/11/03

『詩ふたつ』

長田弘著。
クリムトの絵を前に書かれたらしい。

書名について、あとがきにこうある。

詩は死、詩は志。
ふたつはことばと絵、ふたつは線二つの人。

「亡くなった人が後に遺してゆくのは、その人の生きられなかった時間であり、その死者の生きられなかった時間を、ここに在るじぶんがこうしていま生きているのだという、不思議にありありとした感覚」。

詩ふたつ』は亡き妻、瑞枝さんに捧げられた詩集。

亡くなってすぐには読めない詩ふたつだ。

たまたま「七草」

2015/11/02

初めて耳にした

エレベータに大勢乗り込んで来た。
その途端、こんな音声が流れて来た。
「たいへん混雑しております。しばらくの間ご辛抱ください」。
初めて聞く。
調べると、少なくとも10年前から流れているらしい。
いるのかなあ、と思う。

2015/11/01

「松隈洋の近代建築・課外授業」

住む。』の連載
  1. 神奈川県立近代美術館坂倉準三設計、特別展が2016年1月末まで、2016年3月末閉館)
  2. 神奈川県立図書館・音楽堂前川國男が初めて設計した公共施設)
  3. 八幡浜市立日土小学校松村正恒氏の設計によるモダニズム木造建築)
  4. 日野市立中央図書館(東経大図書館を設計した鬼頭梓の設計)
  5. 八王子セミナー・ハウス吉阪隆正設計)
  6. 法政大学55・58年館大江宏の設計、2019年4月~2021年1月、解体工事)
  7. 三里塚教会吉村順三の設計)
  8. 国立競技場片山光生設計、2014年5月閉鎖)
  9. 広島平和記念資料館丹下健三設計)
  10. 世界平和記念聖堂村野藤吾設計によるRC造、三廊式バシリカの教会堂)
  11. ホテル・オークラ谷口吉郎:ロビー、オーキッドルームほか、小坂秀雄:外観、2015年8月本館閉鎖)
  12. 藤村記念堂谷口吉郎博士設計)
  13. つづく
 今すぐ重要文化財にしたい!モダニズム建築ベストリスト


2015/10/31

ブログ発のブーム

こんにちの若冲ブームのきっかけを作ったのはブログらしい。
2000年、京都国立博物館が伊藤若冲展「没後200年若冲」を開催した。最初はガラガラだったのが、後半になって盛り上がり、館員を驚かせた。マスコミでの宣伝もなかった(若冲をワカオキさんと読む人も多かったらしい)。
ある大学生が、卒論でこのブームに取り組んだ。その結論は、偶然この展覧会を見た若い世代の人たちが、当時普及し始めていたブログで、「スゴイ」と発信したのが最大の理由だというものである。
とすれば、「若者が、先入観なしに自身の目で若冲を発見したことになる」(辻惟雄)。
』2015年11月号より
卒論の現物を見てみたいものだ。

2015/10/19

フォント

津野さんの『百歳までの読書術』が好評らしい。老人力の入門書にもなっているからだろうか。

売れ行きは高齢社会の指標でもある。

装丁はもちろん平野さんが担当している。で、確かめたくなった。

平野展の目録に付いていたコウガグロテスクで書名を組んでみた(写真の右)。左が実際のタイトル。

両者をくらべると、書名では「の」の形と太さ、名前では「郎」の形が違う。これらは全体のバランスを考慮した結果だろう。

文脈を考慮していないはずのコウガグロテスクフォントもいい感じで納まっている。どうやって納まりを確認するのだろう。


2015/10/17

何の変哲もない一日のはずなのに

特別なことなど起きそうもない日でも、いろいろある。

前橋に行こうと思って、新宿駅に着くと、両毛線で車両トラブルがあり、その影響で、高崎線直通電車が止まってしまった。大宮駅まで埼京線で行き、新幹線に乗り換えた。高崎駅で降りると、少しずつ動き始めていた。その高崎駅では、振替輸送でのぼりの新幹線切符を配っていた。こういう振替輸送があるとは知らなかった。大宮駅でも実施していたのかもしれない。

前橋では知り合いに声をかけられ、これはこれでビックリ。まあ、居合わせてもおかしくない人なので、驚きは中ぐらいか。

前橋市内は閑散としていて、飲食店は大半が休業。歩いていて目立ったのは、NHK大河ドラマのポスター。

前橋からだと桐生が近いらしいので、上毛線に乗るべく、中央前橋駅まで歩いた。ホームの車両を見てビックリ。止まっていたのは往年の井の頭線車両。懐かしい。しかし、桐生まで50分かかると言われ、断念した。ここの駅舎は妹島和世風だけど、彼女の設計ではないらしい。

帰りは、行きで乗りたかった湘南新宿ラインにしようと思ったが、あいにく、朝方のトラブルの影響で運休。上野東京ラインのグリーン車で赤羽まで行くことにした(帰りに新幹線を使う予定だった)。途中で、自民党のS議員がザック姿で乗車、途中で下車した。

トラブルの影響はこの線にもあり、途中、何度か駅で待機した。

長距離の「相互直通運転」のトラブルは広範囲に影響を及ぼす。空間も時間も。

2015/10/14

やる気

教授会が終わり、後片付けをしていたら、職員の人が近づいてきて、「先生のやる気はどこから出てくるんですか」と、質問された。
すぐに答えられる質問ではなかった。
抽象的だったことに加え、やる気があるように見えていたことにおどろいたからだ。
「ひまだから」では答えにならないし……。
「みんなががんばっているから」(社会的促進)という気もするし、ちゃんと給料もらっているからという気もする。
うまく答えられないまま、「近いうちに話す機会が来ると思うから」と継いで、別の会議に向かった。
では、なぜ、みんなががんばっているのか、説明する必要がありそうだ。

2015/10/10

ほめ言葉

「いい本を出されましたね。(こういう本を出すために、われら、生きているんだものね。)……」

 平出隆さんが『遊歩のグラフィスム』を刊行した際、出口裕弘さんから届いた葉書(scripa秋号)。

「原田知世は天才です」
 大林宣彦が角川春樹に書いた手紙本の雑誌10月号)。

「薬師丸ひろ子は天才です」
 佐藤純彌監督がロケ現場で角川春樹に言った言葉(本の雑誌10月号)。
ほめることは、重圧になることもあれば、自惚れさせることもある。ほめ言葉礼賛は、いわば技術決定論だから、言葉だけ抜き出さないで。

2015/10/09

卒論の進め方9:「反対」に思いを馳せる

研究テーマを練る際、「反対」ないし「逆」のことも考えてみよう。

たとえば、「コミュニケーション」。

「ディスコミュニケーション」について、ちょっと考える。それで、「コミュニケーション」に関する理解も深まる。

たとえば、「バリアフリー」。
「バリアアリー」のほうがいい場合もある。そう考えると、バリアフリーがすべてではないことに気づく。バリアってなんだろう、と考えざるをえなくなる。

ペアで考えることの陥穽もあるかもしれないけど、発想法の一つとして提案。

2019年7月14日

2015/10/08

学部20周年グッズ第1号

学務課のNさん(きっとコミュニケーション学部ファン)が、コミュニケーション学部開設20周年グッズを作ってくれた。

 ベースは大学のキャラクターキューピー。そのキューピーに「コミュニケーション学部20周年」と書かれた幟を持たせ、パッケージの上部には「祝20周年」のフラッグガーランド。頭の上には黄色い花リボン、タレには赤字で「祝」。

 それを「祝 コミュニケーション学部開設20周年」という熨斗でくるんである。

 予告はいただいていたのだが、ここまで凝っているとは予想もしていなかった。

 ありがとうございます。

2015/10/07

東経大のパリ

2時間め、芳賀先生の授業に参加、大学周辺を歩いた。

 まず、構内を観察。蝶やトンボが舞っている近くに独特の赤い萼の目立つ木があった。
臭木」と教えてもらった。夏、白い花を咲かせる。若葉はサラダにも使うらしい。もちろん、名前どおり、臭いはずなのだが、この時期、近づいても臭わない。
 パリ15区の街路樹にも使われている。また、薮のところに最初に成長することから、パイオニアの樹としても知られている。

 そのあと、野川に出、崖の上に出て、丸山通りを歩いた。途中、あのローズガーデンの前を通った。よく道をたずねられるスポットだ。国分寺も崖の上はちょっと雰囲気がちがう。

 ボクは用事があったので、ここで分かれ、大学に戻った。一行は殿ヶ谷戸庭園へ。

2015/10/06

うん、うん

「生きていれば、うれしいことも悲しいことも、波のように繰り返しやってくる。でも、それらは自分のせいではない。有頂天のときもどん底のときも、そのことを思い出して、ちゃんと元の居場所に戻ること」。

 木皿泉(キザライズミ)の連載「ぱくりぱくられし」の冒頭に引用されていた自著『6粒と半分のお茶』から。

「四十にして惑わず」と思っていたら、違うらしい。まず孔子の時代に「惑」という字はなかった。「或」ならある。不惑ではなく、不或。したがって、「四十にして或(くぎ)らず」となり、これは「四十にして自分を限定してはいけない」ではないか、というわけだ。安田さん曰く、「そんな風に自分を限定しちゃあいけない。もっと自分の可能性を広げなきゃあいけない(安田登「野の古典」第5回「ふつうの人のための論語」)。
 戦争の話もおもしろい。「自衛のためというもっともらしい理由づけがなされますが、孔子はそれを『言い訳』としています」(略)「いつの世も戦争は起こり得ます。戦争を始めるには何らかの『言い訳』が常に必要です。私たちはこれを回避するためにも『言い訳』を見極められなければなりません」。
「小人」も勘違いしていたようだ。
 五経の一つ『尚書』を読むと、小人というのは「ふつうの人」「大衆」という意味で使われている。したがって、論語の中で「小人は」と出てきたら、「ふつうの人は」と読めばいい。であれば、思い当たることばかりと、安田さん。
「君子」の解釈もおもしろい。

 以上、無料で手に入る『scripta』2015年秋号から。見開き部分は「紀伊國屋書店出版部60周年」の綴じ込み付録。

2015/10/05

クリンチさんの子どもたち

長女はジアンちゃん。名前の意味は「存在」。何になりたいの?「お医者さん!」。
次女のロジンちゃんは「太陽」。「警察官になりたい。『警視庁捜査一課9係』というテレビドラマがかっこよかったから」。
三女はベルフィンちゃん。雪の下に咲く「雪割草」という意味。弁護士になりたいという。
名前はいずれもクルド語

「存在」といった名前は日本では見たことがない。「在」とか「有」は近いのかもしれないが、深い
名前だ。3人の名前の共通点は「ン」で終わること。

メメトさんとエルマスさんの子どもたちだ。中近東の先住民族、クルド人の家族。クルド人は世界に2500万から3000万人いると言われるが、独立国家を持っていない。各国に分かれて住むため、どこの国でも少数派。エルマスさんはトルコから日本にやって来た。今年で15年。

クリンチさん家族は「法務省から在留特別許可をすでにとっている、きわめてまれなご家族です。トルコから逃れてきたほとんどのクルド人はいわば不法滞在で、本来であれば母国に帰るまで入管施設に入れられるのですが、収容人数に限りがあり、『仮放免』を申請してそれを免れている。たとえ国連が難民認定をした人であっても(母国で迫害を受けるおそれがある人を保護する制度)、トルコとの関係を優先する日本で難民申請が認められることはほぼありません」(クルドを知る会の松澤さん)。

森まゆみ「お隣りのイスラーム:日本に暮らすムスリムたち」第13回。「クリンチ・メメトさん&エルマスさん」。scripta 2015年秋号。

2015/10/03

宵闇の東京湾

父母の会イベント後の船上懇親会で、1年生から4年生までの親御さんと歓談。

あるお母さんから受けた相談は、内定はもらったものの、希望業種でなく、本人は迷っている。どうしたものやら、というもの。
いろいろ話しているうちに、内定先と希望業種との間に思わぬ接点が見つかった。「そうですね、確かに。商品開発にもつながりそうだし」と、少し先が見えたようだ。
モザイクをかけて再現すると、こんな具合だ。
本人の希望先は仏料理関連であるのに対し、内定先は日本料理関連。日本料理でワイン、があるように、仏料理に日本酒とか。いろいろコラボレーションがあるのでは。

就職も決まったので、つぎの課題は結婚、という親御さんも。一人っ子だから、と。

来年の秋卒業になりそうなのだけれど、その後の半年間をどう過ごせばいいでしょうか、とか。

入学式後の保護者向け講演会で西垣先生が集合知について話された。そのことにふれ、「おもしろかったです」と言ってくれたのは1年生のお母さん。

食べながら、飲みながらの話は尽きることがない。

2015/10/02

受験生人口

先日、都立高校を訪問する機会があった。
いちばん深刻なのは経済問題(と国籍問題)
大学進学したくても、お金に余裕がない。
受験料はなんとか工面できたとしても、入学金、通学費、教科書代が出せない。
授業料は、がんばれば、免除になる可能性はある。
しかし、それに先立つものが払えない。

こんな調査結果が報じられた

高校生の3人に1人が「お金の面から大学進学は断念すべきかも」と考えている

神奈川大学の調査である(詳報はまだ出ていない)

18歳人口と進学率の推移をもとに、志願者数予測はなされる。しかし、後者はいま出ている予測より、下がるのではないか。
進学率は頭打ちどころか、このままでは下がる。
教育機会の保証は国の大事な役割。未来を担う人たちを作るのだから。
教育の受益者は直接には本人のように見えるが、結局は社会。みんなで支えるのが筋だろう。
まずは費用を安くする(大学の補助を増やす)。税金はわれわれが払ったもの。

交通遺児のボクが大学に行けたのは、(国立大学の)安い授業料と奨学金のおかげだった(あとアルバイト)。そのことへの感謝がいまの仕事を支えている。いわば恩返しのような気持ちが根底にある。経済的理由で進学できなかった人たちが社会に感謝するだろうか。

2015/10/01

「ロッキー」に重ねる

 第153回直木賞受賞作、『流』(りゅう)を家族が買って来た。たまには受賞作品でもと、読み始めたら、止まらない。書名は、そこから来たのだろうかと錯覚するぐらい、流された。

 それを書いた東山彰良さんが「」10月号に寄稿している。

「ロッキーによろしく」

 内容も表現も痛快。そりゃ、作家なのだからあたりまえ、と言ってしまえば、それまでかもしれない。だが……

『流』の授賞理由が「わからずにいる」東山さん。
しかし、ふりかえってみると、このわたしだって当時のスタローンに負けず劣らず牌がそろっていたのではないかという気がしないでもない。
途中いろいろあって、以下が最後の一文。
つぎはわたしの番だ。
Eye of the Tigerが聞こえてきた。

30年前、映画「ロッキー」に出てくるフィラデルフィア美術館の階段に立ち、ロッキーが見たであろう光景を確認したことがある(ポーズはしなかった)。

 東山さんを重ねながら、もう一度映画を見てみたくなった。

 ついでながら「流」を東山さんが映画化すれば、彼はスタローン。
「Philadelphia Museum of Art」で画像検索した結果と、「フィラデルフィア美術館」で検索した結果が違いすぎ。

2015/09/30

エスニック幹事備忘録

チベット料理 タシデレ(曙橋)http://ichigaya.keizai.biz/headline/2215/
コロンビア料理 プントプンタ(恵比寿)http://ebisufan.com/news/puntopunta.html/
エチオピア料理 クイーンシーバ(恵比寿)http://www.queensheba.info
カンボジア料理 アンコール・トム(町田)http://www.angkor-thom.info
スリランカ料理 セイロン・イン(中目黒)http://ceyloninn.jp
パレスチナ料理 アルミーナ(神田)http://www.almina-restaurant.com
ハンガリー料理 パプリカ・ドット・フ(高輪)http://hungaryshop.jp/paprika/

2015/09/29

秋の花2つ

この時期は、通りのあちこちで、花が咲いている。

 名前がほとんどわからないので、道すがら、撮影しては教えてもらっている。

 きょう撮ったのは、ヒベリカム(左上の写真)とランタナ(同じく左下)。

 ランタナの和名は七変化。合わせたつもりなのに、ピントは葉のほうに合ってしまった。花がぼーっと写っていて、「正体は見せませんよ」と、ちょっとばかり神秘的。小さいけど鮮やか。

2015/09/26

したたか

「空気の読めない」KYではなく、「読める」YKトリオで大森に行ってきた(左は貝塚公園にあった白い彼岸花)。

帰途、予定外の場所で、こんなものに出会った。
善慶寺の「新井宿義民六人衆墓」だ。
詳しくはここに譲るが、このお墓の知恵にはビックリ。

1676年、圧政に耐えかねた村人の代表者6人が、死を賭して直訴を計画。浅草馬喰町で、その機会をうかがっている最中、密告され、計画が発覚。直ちに追手が差し向けられ、捕えられ、翌年斬首刑。
墓を建てることは認められるわけもない。そこで一計を講じて作られたのがこのお墓。ある村人が両親の墓という名目で建てたもの。表を両親名にし、裏に6人の法名を掘った。水入れは堀のように四方をめぐり、その仕切りに穴が開けられている。したがって、前面で注いだ水は裏側にも回り、供養できる。現在は、裏が表になっている。

LINE記念日

ついに陥落。
LINEに登録。
確かに便利だ。
メール、
電話、
アルバム、
コミュニティ
が、
シームレスで
できる。
スタンプの
やりとりも
一興。
ウェブ世代からすると、
アプリを入れないと使えないのが難点。
しかし、
アプリ世代には何でもないのだろう。
デフォルトがアプリなのだから。

2015/09/25

社会は産業ではない

6月に出された下村博文文部科学相の国立大への通知が問題になっている。
人文社会科学系、教員養成系を社会的要請の高い分野に転換すべし、というあれである。
これに対する反論は、もちろん強い。「社会的」要請だけで学問の軽重を決めるのはおかしい、……
しかし、問題は「社会」の中身にある。
上記の通知にある「社会」は「産業」の意味で用いられている。あるいは「経済界」の同義語である。
辞書を引けば、わかるように、どこにも「社会」に「産業」の意味はない。
だから、「社会」が本来の用法で使われているのであれば、「人文・社会科学系、教員養成系を社会的要請の高い分野に転換すべし」に異論はない。結局、「転換する必要はない」と同義だからである。
「産業的要請の高い分野に転換すべし」では露骨だと思ったのだろう。
言葉が、またもないがしろにされている。

2015/09/24

三分の一の確率

JBBY創立40周年記念連続鼎談「子どもの本のこれから」の再録、『角野栄子さんと子どもの本の話をしよう』には、4つの鼎談が収められている。

 1 幼年童話─物語がうまれるとき
高楼方子×富安陽子×角野栄子

 2 絵本・翻訳─世界に通じる言葉のリズム
荒井良二×金原瑞人×角野栄子

 3 児童文学─会話文のおもしろさ
ひこ・田中×令丈ヒロ子×角野栄子

 4 街や自然、動物からうまれる物語
あべ弘士×穂村弘×角野栄子

 鼎談には二つの共通点がある。

1. 事前打ち合わせなし
2. 一人3つ自己紹介をする。その中の1つだけがホント。それを残りの二人が当てる。

旭山動物園の飼育係をしていたあべさん。閉園期間の冬の半年はノアの方舟みたい。動物といっしょだと言葉をしゃべる時間がない。ペットじゃないから馴らしてはいけないし。そうやってずっといると、だんだん人間でなくなってヒトになる(社会心理学的にもおもしろい)。これを25年も続けたあべさん。

5人で会議してるとする。その休憩時間に、5人の名前の頭文字をつなげると「あいしあえ」になる、とか気になる穂村さん。

欧米の言葉にはオノマトペが少ない。「サーッと」雨が降る、はshowerという動詞に変わる。日本の家屋は、外もウチ。柱族と壁族の違い、と角野さん。

ビートルズが境。それ以後、イギリスにもジーンズ。言葉の意味も変わる。「みなさん、いまの日本で使われている言葉が、これからどう変わっていくか、よーく注意深く見たほうがいい」「言葉の意味は、用心深く考えたほうがいいと自分では思って暮らしている」角野さん。



2015/09/21

特集「非文字文化の魅力」

GRAPHICATION。200号は印刷版の最終号(表紙は、スズキコージさん)。裏表紙(表四)の児玉房子さん撮影の写真はすがすがしい。

学部20周年記念本が、その「編集者の手帖」に載った。

★先頃、次の書物をいただきました。記して謝意に替えます。ありがとうございました。

野本三吉『希望を作る島・沖縄』、津野海太郎『百歳までの読書術』の3つ後に、東京経済大学コミュニケーション学部編『コミュニケーションという考えかた』。

好きだった雑誌に学部の名前を残せた。粉川さんゆかりの雑誌でもあるし。
GRAPHICATIONは、次号から電子マガジンに移行する。
『希望を作る島・沖縄』の書評

2015/09/20

つくる文化人類学

ベトナムのファッションデザイナー、ミン・ハン(Minh Hanh)さんの講演を聞いた。ファッションショーをはさみながらの1時間はあっという間に過ぎた。

ベトナムで縫製産業は重要産業だが、それは輸出用工業製品を作るだけ。その現状を変えたい。そこで、ミンさんが注目したのが少数民族の紋織り

ベトナムには53の少数民族が住んでいる。もちろん国境で分割されたから「少数」なのであって、隣国にいる同じ民族の人を合わせると、少数ではない。

ベトナム国内で最も多いのがキン族の86%、残り14%を53民族が占める。

ミンさんのデザインは、少数民族の織物を取り込んだもの。そのために、彼女はかれらの村にその都度、滞在して、くらしのようす、織り方や裁縫を観察する。それはフィールドワークと変わらない。アウトプットだけが文化人類学者と異なる。エスノグラフィを残す人類学者に対して、彼女は衣装をつくり、残す(伝統を生かす)。いわば、彼女はつくる文化人類学者。

村の女性たちは、いまの生活で事足りているのに、「なぜ、それ以外に織るのか」と、自分たち用以外に織ることをなかなか納得してくれなかったという。その意味では、ミンさんの仕事は村人の価値観を変えたとも言える。

講演ステージの両脇では、2つの民族の人が機織り。民族名は忘れてしまったが、地べたで織る姿は2000年前と同じ方法らしい(当時の織り棒と織物が遺構で発掘されている)。いわば生きた遺跡である。

今回は、日本のビンテージ着物を使ったファッションも見せてくれた。100年前の生地が甦る。

2015/09/19

未明の採決もどき

日付が変わって、9月19日の未明。
自民党、公明党、野党3党(次世代、元気、改革)は、前々日の参議院特別委員会の抜き打ち強行採決を受け、安全保障関連法案を参議院本会議で「可決」、成立させた。

法案に賛成した議員リスト
衆院》《参院



2015/09/17

軍隊からシベリアから「生きて帰ってきた男」の意見陳述

 小熊謙二(元シベリア抑留者)は、韓国の元日本軍人・軍属でシベリア抑留者だった呉さんの提訴(損害賠償と公式陳謝の要求)の原告意見陳述を行った。

「私が本裁判の原告になったのは金銭が目的ではありません」で始まる。
締めくくりは、「立法府と行政府が何もしてくれないとなれば、私共は司法に訴えるより術を持ちません。素朴な考えかもしれませんが、法の精神は生まれながらに与えられた人の権利を守ることにあると思います。同情はもう結構であります。どうか事実そのものを、又物事の本質を真正面から見据えて、論理にかなった判断をして下さる様、望みます」。

 謙二の人生を読み進んできて、この陳述を読むと、迫力を覚える。賠償することなく、平和祈念事業から、「慰労金」国債10万円分と「慰労品」(銀杯)で済ます日本政府(対象者は軍務期間3年未満の軍人恩給欠格者)。恩給も、勤務期間と階級で受給額に差がある。大将は年額800万円を超え、佐官クラスで500万円ほどだという。どこまでも軍隊の論理がついてくる。
小熊英二『生きて帰ってきた男』から。

2015/09/12

久しぶりに晴れたと思ったら

5時49分、大きな揺れで目が覚めた。

「すわっ!」と思ったが、今回は大きな被害はなかったよう。震度4。緊急地震速報は鳴らなかった(鳴る間もなかったのか)。

 豪雨の直後に大きな地震。災害大国であることを思い知らされる。

 先日、「コメントライナー」(9/1号)に掲載された芳賀啓さんの記事「地震とライフポイント」を読んだ。

 その記事ではじめて知ったのだが、関東大震災は災害の呼称であって、地震名は関東地震。判明している直下地震を並べていくと、「つぎ」の地震は関東地震ではなく東京地震。これまでのサイクルからすると、50年ぐらいの猶予はあるかもしれないが、その間に急がれるのは、地域ごとに独立した手押し井戸のような「ライフポイント」の構築。玉川上水の「上水」としての復活を、が彼の提案である。

 いざというとき、頼りになるのは、そこだけで対応できる、つまり分散であって、集中ではない。と、ボクも思う。
気象庁の長谷川洋平地震津波監視課長は記者会見し、「2、3日程度、最大震度4の余震が起こる可能性がある」として、注意を呼び掛けた。

2015/09/08

ときどき……

< >(不等号)を見つけると、
〈 〉(山括弧と言うらしい)に直したくなる
( の前にある は、
 )のあとに持っていきたくなる
『現代用語の基礎知識』、今年も1項目担当。

2015/09/06

コミュニケーション心理学

来年度後期、担当する予定の授業だ。

その準備で、齋藤孝の『コミュニケーション力』を読んでいる。

11年前、2004年刊行の本。「自己責任」「負け犬」が流行語に選ばれた不寛容の年だ。

本書には「○○力」が続出する。
コメント力もその一つ。
コメント力をつけるために心がけたい点をいくつか挙げておきたい。まずは、「人と同じことを言うのはやめよう」……
こう書かれてしまうと、ボクなどコメントできなくなってしまう。そもそも人と同じかどうかの判断はむずかしいし、第一、一字一句「同じこと」はないだろう。仮に「同じこと」だったとしても、答える側は、なぜ「同じこと」を言ったのか考える価値はある。

紹介されている、授業内のエクササイズは応用できそう。

本書の「コミュニケーション力」は「対話力」をさしている。意外だった。

2015/09/05

『民を殺す国・日本』

大庭健の新刊
副題は「足尾鉱毒事件からフクシマへ」。途中、日清・日露、大戦、チッソ(水俣病)を経由する。

「国が決めた」「すべてを考慮した」「検証のなさ」「誰も責任は取らない」「気の毒だが……」と、戦前と戦後が切れ目なく続く。
「国の定めたこと」という呪符によって追い払われ、聞き届けられずに漂っている呻きの気配を察したなら、とにかく立ち止まって耳を澄ますこと。これがポスト3.11を生きる者の課題である。
日本は富国強兵で欧米列強をモデルにしてしまったが、北欧を範にしていたら、国土を広くしようとか思わなかったのだろうなと大庭さんは想像する。自著に『デンマルク国の話』があるように、内村鑑三はデンマーク(農林立国、酪農立国)に注目していた。

2015/09/03

「喪」

帰り道。
獣医さんから出てきた中年夫婦。
奥さんが犬を抱きかかえながら、大声で泣いている。
号泣に近い。
亡くなったのだろうか。
心の中で参列した。

2015/09/02

官と民

ツイッターで、原武史さんが来春、放送大学に移ることを知った。
その彼の講義録が出ている。
知の訓練:日本にとって政治とは何か』。
授業は「比較政治学」。
毎回、「はい、こんにちは。授業を始めます」で始まる。

明治神宮で祈願する人は明治天皇に祈願していることをどのくらい意識しているのだろうか。はじめ、時間、広場、宗教(神道の特異性)、神社(靖国の特異性)、都市、地方、女性が政治の文脈で語られる。印象に残ったのが以下のくだり。
 たとえ政府が交代しても、権力が政府の側にあるという構造自体は変わらない。権力に吸い寄せられるようにして、何もかもが治者、つまりお上の周りに集まってくる。一方、被知者である一般民衆は権力と無縁な世界に生きていて、「官」と「民」との間には「高大なる隔壁が築かれている。ここから福沢(諭吉)は、「日本には政府ありて国民(ネーション)なし」という名言を(「日本文明の由来」で)残しています。
「官」は東京でもある。慶応で学んだの阪急の創設者、小林一三。福沢の思想を具体的空間のなかで実践しようとして、大阪を選んだ。
 本書は政治実用書であると同時に、格好の大阪入門でもある。
後編はいつ出るのだろう。
4月からの放送大学での授業「日本政治思想史」も楽しみだ。

2015/08/31

連載「下り坂をそろそろと下る 13」

 新国立競技場問題が深刻化する以前、日本のネット上では、韓国の平昌冬季五輪の施設建設の遅れが再三指摘された。長野などとの分散開催が検討されているという情報が飛び交い、日本のマスコミまでもがまことしやかに記事にした。これは、韓国のいくつかの市民団体が、そのような誓願をしたということに端を発した情報で、韓国の友人に聞くと、ほとんどが「はじめて聞いた」と答えるほどの小さなニュースが拡大された例である。しかもこの話題は、日本の新国立競技場問題が浮上すると、ネットではまったく流れなくなった。情けなさに、涙も流れない。
 北京五輪の際にも、その運営の稚拙さを揶揄する情報がいくつも流れた。おそらく、これから日本は、その痛いしっぺ返しにあうだろう。

平田オリザ「インターネットという閉ざされた空間—韓国・ソウル」から

 他国のアラ探しをしてどうなるというのだろう。

 この前のパラグラフは、同じ語を入力しても、検索結果が韓国語と日本語でこんなにも違うという話(『本』9月号)。
「韓国対イタリア」「サッカー」で検索すると、日本語では「買収」「疑惑」を含むページがヒットするのに対し、韓国語では同様の結果にならない。

2015/08/30

Kokkai-gijidomae Sta.

なんとか行けそう、で行った。

Kokkai-gijidomae Sta.(その下に「National Diet Bldg.」というシールが張られていたりする)を降りると、ホームからすでにごった返している。先を見ると、警官が改札付近でエスカレーターや階段の前で弁慶の立ち往生をしている。そのせいだった。

さて。国会前では、思いがけず、何人か知り合いにあった。12万人いれば、不思議はないのかもしれない。

都立大(日本語名は首都大に変わっても、英文呼称は変更なし)の関係者の近況を教えてくれたHさん。元気な人、元気でない人、亡くなった人と。退職後の生き方も教えてくれた。曰く、(辞めてわかる)肩書きがあることによる動きやすさだ。

なんと、オープンキャンパスで会った人にも会った。これにはお互いビックリ。

さすがに疲れ、座り込んでしまった。
3.11以来の集会やデモで、最寄り駅の利用者は増えているはず(日にち別で知りたい)。東京メトロも集会景気。一日あたりの乗客は増えている

たとえば、国会議事堂前駅。
丸ノ内線 2010年8,271人→2011年8,639人→2012年9,249人→2013年9,510人
千代田線 2010年8,573人→2011年8,820人→2012年9,271人→2013年9,375人

2015/08/29

嫌いな名前が人生を救う

 ある高校の同窓会誌のエッセイ。

 高二の学年末実力テストはクラス最下位、学年でもビリから数えた方が早い。当時の著者は精神状態も思わしくなく、自殺も浮かんだらしい。「それでも最下位はまったくの想定外」。
 大学に進学するつもりはなく、進路面接でも「就職したい」と告げた。先生からは、両親とよく話し合った方がいいとアドバイスをいただいたが、身の振り方は一人で考えた。

 そのつぎの文章だ。

「嫌いでたまらない自分の名前」。

 ? どんな名前なんだろう。冒頭に戻って確かめた。すると「千葉大学」とある。

 そのあとの文章だ。

「だが、高卒で『大学』という名前から逃げた先に、明るい未来が描けるという結論はどう考えても導き出せず、花を育てることだけに気持ちが救われていた私の進路は、消去法的に」園芸関連の学部に「決まった」。

「しかし落ちるだけ落ちた学力がすぐに向上するわけもなく、一浪してようやく私は名前に追いつくことができた」。

「大学4年間は楽しい思い出しかない。名前に対するコンプレックスもいつの間にか消えていた」。

 命名の由来はわからないが、この人は「大学」を機関としての大学と解釈していた。もしかしたら、「大きく学んでほしい」と思ってつけられたのかもしれない。


堀口大學(1892年生まれ)は、「出生当時に父が大学生だったことと、出生地が東京帝国大学の近所であることに由来する」という(Wikipediaから)。こういう命名もある。当時の学生数は400人ほど。

2015/08/26

改良できないのだろうか

 建物の脇で、学生が、何度もひっくり返した状態でポール台を一心不乱に振っている。下を向きながら、おはらいをしているようでもあるし、「しっかりしろ、大丈夫かっ!、死ぬんじゃない」と、倒れている人を起こすような勢いもある。

 ポール台にわずかに残っている水を完全に出そうとしている。

 湯たんぽも同様だが、わずかに残った最後の水、なかなか出てきてくれない。
「残ったままだと水が腐っちゃうらしくて……」。

 毛細管現象も試したらしい。しかし、内部でも1カ所に水が集まってくれない。貯まっている場所までタオルが届かない。で断念。

「結局、振るしかないんです」。

「ふたをしないで、乾燥させたら?」と言ったら、「この天気なので、それも無理」。
ざっと見たところ、20数個はあった。

2015/08/25

荷の積み方

あがってきた冊子を倉庫から運び出すため、20冊ずつの包みを台車に積んでいた。
タワーを作るような感じで、そのまま、4段、5段と積んでいた。
そこに、たまたま、経験豊富な職員が通りかかった。
「先生、これだと崩れちゃいますよ。組むように積むとしっかりしますよ」と教えてくれた。
試しにやってくれたのを真似して、積み替えた。
確かに、こうしたら、ちょっとした段差を乗り越えるときでもびくともしない。
なるほど。
これで、また賢くなった。
このサイト(行列のできるトラック相談所)によると、こうした積み方は「ピンホイール積み」と呼ばれる。つまり「風車」のような形というわけだ。

2015/08/24

『なつかしい時間』

 2013年に出た長田弘のエッセイ集

 17年にわたって、NHKテレビ「視点・論点」で話した48回の原稿、別の論考3本が元になっている。3.11後の最初の回「一日を見つめる」の直前に、「詩五編」のセクションがある。その最初が「人はじぶんの名を」、詩集『詩の樹の下で』からの一編だ。この年の5月、NHKの番組で朗読されたらしい。

 人はじぶんの名を
 二〇一一年三月一一日午後、突然、太平洋岸、東北日本を襲った大地震が引き起こした激越な大津波は、海辺の人びとの日々のありようをいっぺんにばらばらにした。
 そうして、一度にすべてを失われた時間のなかに、にわかにおどろくべき数の死者たちを置き去りにし、信じがたい数の行方不明の人たちを、思い出も何もなくした幻の風景のなかに打っちゃったきりにした。
 昨日は一万一一一一人、今日は一万一〇一九人。まだ見つからない人の数だ。それでも毎日、瓦礫の下から見いだされた行方不明の人たちが、一日に百人近く、じぶんの名を取りもどして、やっと一人の人としての死を死んでゆく。
 ようやく見いだされた、ずっと不明だった人たちは、悔しさのあまりに、誰もが両の手を堅い拳にして、ぎゅっと握りしめていた。
 人はみずからその名を生きる存在なのである。じぶんの名を取りもどすことができないかぎり、人は死ぬことができないのだ。大津波が奪い去った海辺の町々の、行方不明の人たちの数を刻む、毎朝の新聞の数字は、ただ黙って、そう語り続けるだろう。昨日は一万一〇一九人。今日は一万八〇八人。
(二〇一一年五月三日朝に記す)

 ボクが名前インタビューを始めたときの気持ちに近い。

最後の出演 2013年07月10日 「季節とともに考える
追悼 2015年05月26日「詩人・長田弘さんからの贈り物」(落合恵子)
「イツカ、向コウデ」も、彼が亡くなったいま読むと、たまらなく切ない(『死者の贈り物』所収)。

2015/08/23

オープンキャンパス閉幕

今年のオープンキャンパスが終わった。
同時に夏も終わった。
きょうは、午前中、雨がパラついてやきもきしたが、大したことがなく、ふたを開けたら、昨年の2割増し。
学部説明役もきょうかぎり。
毎年、受験生の情報欲求に合致しているのだろうか、気にしつつやってきた。学生に聞くと、「授業のようすを知りたかった」。大学の授業は高校とどう違うのか、気になるらしい。今年度は、授業の紹介に全体の1/3を充てるようにした。
個別相談では「また来ちゃいました」とリピーター。
去年も、その前も、二度三度と足を運んでくれる人がいた。
昨日は昨日で、話しているうちに、親御さんの出身高校が同じことがわかり、その話で突っ走りそうになった。が、ぐっとこらえたw
オープンキャンパスはいろいろな出会いがある。

ちょっと了解不能

8時半ごろ。
向かい側のホームの端に男性らしき人が倒れている。
誰も気に留めていないふう。
傍観者効果!」
駅員に知らせたくとも、見当たらない。
そのうちに僕の乗る電車が入ってきた。
次の駅で、乗務員に言うことにした。
説明すると、
「朝から、そうなんです」。
その言葉にビックリ。
知っていながら、そのまま。
熱中症の可能性もあるのに。

2015/08/20

調査の基本

安倍首相の戦後70年談話に関する世論調査の結果が出ている(東京新聞)。

選択肢は、「評価する」「やや評価する」「どちらとも言えない」「あまり評価しない」「評価しない」の5件法(で聞いたのだと思う)。

結果は、評価する、やや評価する、あまり評価しない、評価しない、どちらともいえないの順番で示されている。「どちらとも言えない」が最後に来ている(正確に言えば、最後に来ているのは「分からない、無回答」、いわゆるDK,NA)。この選択肢はリッカート(段階)形式なので、「どちらとも言えない」は「やや評価する」と「あまり評価しない」の間に置くべきだ。そうしないと結果を見誤る。

こうした集計方法は他紙でもみかける。調査の基本を誤っている(「どちらでもない」と「どちらとも言えない」が設問によって使い分けられているのは、後者に揃えるべきだろう)。

調査ついでにもうひとつ。

今回の調査では、評価(する、しない)理由の選択肢のひとつに「反省とおわび(をした、が不十分である)」が使われている。反省とおわびは別物。分けて聞かないと、回答に困る人もいるだろうし(例、反省は十分だと思うけれど、おわびが不十分)、今後の対応に役立てようがない。ついでながら、「安心」と「安全」もセットで用いられる代表だが、この場合も同様。安心と安全を区別しないとおかしなことになる。前者は気持ち、後者は事実。

2015/08/14

長野も雨

久しぶりの雨らしい。これで暑さも一息。

今回は、お墓参りと卒後45年の高校同窓会。
お墓ではカンバを焚いた。前日、既に家で迎え火をすませているとのことで、ここではなんと歌えばいいのか。

さて同窓会。ボクのクラスは46人中11人の出席。「会いたかった」と言ってくれる人もいてうれしかったが、彼の話に出てくる自分の姿に全然覚えがない。謝りたくなるような内容なのだが、「そのおかげで記憶に残っているんだから」とフォローしてくれた。ありがたい。

席上、出欠回答のファクスがまわった。坊さんになった奴がいて、「開催時期をずらしてくれないか」と書かれていた。そりゃそうだ。

会場ではみんなの当時の顔が曖昧だったが、帰りの車内で、にわかに立ち上がってきた。
すでに他界した人もいる。5年後の次回はどうなっているのだろう。

2015/08/09

オープンキャンパス潜入ルポ

昨日、今日と、他大学のオープンキャンパスに行ってきた。

一つは総合大学。炎天下での開催に対応して、一人3本までの飲み物券付き。ミストファンもあちらこちらに置かれている。広いので、周回バスも運行。
建築関係の学科をたずねたると、ブリッジコンテストが行われていた。恒例らしい。

学園祭の研究発表のような雰囲気。来場者が最も強靭そうな模型に投票する。そのあと実証実験。ボクが行った時はあにく終わっていた。パネルを見ると、得票数と実験結果が符合している。素人もいい線を行っている。

二つ目は女子大学。学科単位で展示があり、コミュニケーション関係の教室では、学生と教員がいっしょになって説明している。雰囲気は手作り。お菓子が真ん中のテーブルに置かれている。これがミソらしい。教員も総出。心理の学科では、振り向きドラゴンという錯視物が随所に置かれていた。初めて知った。3次元なのがいい。
写真は、大学近隣にある自動車学校の看板。よくできている。

2015/08/05

Et alors?(でも、それがどうかしたのかね?)

1980年代初頭。フランスのミッテラン大統領が、就任まもなく、彼の隠し子についてたずねられたときの答えだ。

これはながらく開き直り発言と思っていた。
「愛人がいたら、いけないのか」「隠し子がいたらいけないのか」。

しかし、これは「誤解」だった。
小坂井敏晶さんの論考「〈開かれた社会〉の条件」で知った(「UP」8号)。
「正しい愛の形を決めるのは社会ではない。私生活の是非は当事者の判断に任せよ」。これがミッテランの真意であり、近代と宗教の分岐点が、ここにあらわれている。
個人の行動は他者の自由を侵害しない限り、是も非もない、という近代個人主義の思想のあらわれ。だから、日本では成り立たない夫婦間の強姦罪がフランスでは、加重事由で、より厳しく罰せられる。70年代の性解放運動以降の、強制(同意のないこと)が悪であるとの世論を受け、1994年の刑法改正で変わった。

2015/08/04

固有名の衰退

 長田弘さんが2年前に行った講演を聴いた。タイトルは「詩と固有名」(これで、ググったら『本についての詩集』がヒットした)。
 講演の前半は、ことば遊びのようだけど、「死と固有名」。タイトルは後半に相当する。
 講演はアメリカの小さな町をまわったときの話から始まる。
 その小さな町々の中心には広場があり、そこには戦死者の碑がある。そこには死者の名前と、どの戦争で亡くなった(was killed)かが刻まれている。
 日本に慰霊塔はあっても死者の名はない。明治政府以降、戦「没」したかれらは「御霊」になるからだ。しかし、明治政府に抗った白虎隊十九士の墓、薩軍兵士の墓「南洲墓地」、そして沖縄「平和の礎(いしじ)」にある刻銘碑は違う。
 ワシントンD.C.にあるThe Wall(ベトナム戦争で亡くなった兵士の慰霊碑 Vietnam Veterans Memorial)にも名前が刻まれている。その名前をなぞる人も多い。
《後半》
 近代詩は固有名がふんだんに出てくる。しかし現代詩になると、暗喩が増え、自分を語る詩が多くなる。(固有名ではない)言葉がふえると、言葉を失うことになる。時間とともに伝わらなくなる。
Vietnam Veterans Memorialのサイトは、人名で検索できるようになっている。身元が判明した場合の登録もできる。
 

2015/08/03

東京より4度低い

秋田竿燈まつり初日。
19時半開始。

270本の竿燈が一斉に立ち上がる。そのさまは壮観だ。この世のものではないようだ。

8時半までの1時間、休憩を挟んで3回の演技。

「竿燈は倒れることがあります。注意しながら楽しんでください」と会場アナウンス。
観客もけっこう難しいことを強いられる。
幸い、目の前では起きなかったが、近くで倒れた。防止用のワイヤーが張られているので、いきなりバタッと倒れてはこない。

終了後、「ふれあい竿燈」で竿燈を持たせてもらった。50kgという数字以上に重い。バランスを取りながらはむずかしそう。

お盆が近づいている。

ソンタグの言葉

「意見というものの困った点は、私たちはそれに固着しがちだ、ということである」。

高橋源一郎の講演記録に出てくるソンタグの言葉。それを受けて、こう彼は続ける。
 自分の考えや意見を持てといわない人はいないですよね。何で「意見を持つことに気をつけよ」なんてことを考えるのでしょうか。ぼくたちは、二度と戦争のない世の中を作ろうと考える。原発のない社会を作ろうと考える。それはいい。しかし、それが自分の考えだと決めてしまったら、それ以外の考えから攻撃されたとき、自分の考えを守ることに専念することになるのです。そのとき、人はもう何も考えていません。自分の考えを守らなければならない、ということしか考えなくなる。思考停止になるのです。(略)意見は作らねばならず、しかし同時にその奴隷になってはならない。なかなか難しいですね。努力したいと思います。
図書』8月号から

「自分の意見」って自分の意見なんだろうか、「意見」って意見なんだろうかという気もするが、守りの体制になったら、守ることが優先してしまう、というのはわかる気がする。

2015/08/02

「小さいことですけど……」

武田双雲のインタビューから(東京新聞)。

名前は、こういうきっかけでも受容できるようになる。

字は形。
今朝の1面。
「海外軍事企業買収認める 政府方針「厳に抑制」解釈変更」検討。
どう変更するのか。「厳に抑制」(1977年の福田首相答弁)から「状況に応じ適切に判断」へ。軍事産業依存を図る。

2015/07/31

猛暑の大手町散策

大手町サテライトの帰り道、思い出して「河鍋暁斎」展に寄った(三菱一号館美術館、写真は館内の階段)。暁斎はキョウサイと読む。
展覧会の正式名は「画鬼・暁斎—KYOSAI 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」。

有名な「鳥獣戯画 猫又と狸」は、猫又の鬼気迫る表情に逆に引き込まれてしまう。猫又の部分が切り取った紙に描かれていて、これもそれに貢献している。

暁斎は絵日記も書いていて、それが山口晃の「すゞしろ日記」を彷彿とさせる。時間順で言えば、逆なのだが、タッチといいセンスといい、似ている。
家人が那須のナスを買ってきた。

2015/07/26

巡り合わせ

酷暑のなか、今日は第1回オープンキャンパス。
学部説明を担当するようになって、初の立ち見が出た。
あきらめて入室しなかった人もいたとか。
うれしいのは言うまでもない。
終了後は個別相談に応じた。
隣にいた学生が「K先生」と声をかけてきた。
聞けば3年生とのこと。
「オープンキャンパスの日、K先生が応対してくれたのです。その節はありがとうございました」。
こっちこそ、ビックリ。
「そんなボクがオープンキャンパスで個別相談をするとは思ってもいませんでした」。
確かにね。
彼の回答はノリノリ、聞いている受験生も楽しかったのでは。

経済学部志望の受験生が個別相談にやってきた。なんでも偶然出席した学部説明会で、「コミュニケーション学部っておもしろそう、と思ったので」と。
今日の東京新聞朝刊は「防衛省 大学研究に助成:軍事活用へ初の公募」。文科省が締め上げた後に飴。

2015/07/12

きょうも1枚

学生たちと東京駅構内。

コインロッカーに英語のような表記が添えられていた。コアラの絵も不明だが、Coin Lockers Bで通じるのだろうか。

英辞郎で「コインロッカー」を調べると、こう出ている。

an automatic locker(駅・空港などの)、baggage locker(駅・空港などの)、a coin-operated locker(駅・空港などの)

coin lockerで、英語のブログがヒット。使用法がわかりやすく書かれている。いまや、coin lockerで通じそうだ、というのが結論。

2015/07/11

きょうの1枚

画廊を出ると、交差点の向こう側に形のいい家が見えた。
わたった先の一画は崖の上。大半が建築家仕立ての家。個人宅も集合住宅も。
教会もある。
その塀にあったのがコレ(左写真)。
PTA制作。

2015/07/10

「日本」の例

新国立競技場の決定過程に疑義を覚える人は多い。
ボクもその一人。
ズルズル、済し崩し、は開戦決定を彷彿とさせる。
「集団浅慮」も働いている。

社会心理学の教科書には、理解を深めるために実例が紹介される。
たとえば、この集団浅慮。
チャレンジャー号事故とキューバ危機が、実例の定番である。
大半はアメリカの例。
アメリカの論文を参考にしているからなのかもしれない。
実例や具体例に日本の事件やできごとを扱った本が出ないものだろうか。

2015/07/06

54歳

彼には「俳優」という程度の認識しかなかった。
『図書』797号の編集後記「こぼればなし」で、5月に亡くなった今井雅之の「こと」を知った。
 最初、なぜ、ここに彼の名前が? 思ったが、彼は岩波から3冊、本を出していた。
『若い僕らにできること』ジュニア新書
『特攻隊と戦後の僕ら』ブックレット
『“カミカゼ”公演記 in NY』

読んでみよう。

2015/07/04

同好の士

並河進さんのエッセイ。
「いつか、ここにあるもの。」の第1回は、「失ったものと存在するもの。」
その後半にカッコ書きで、こんなくだりが出てきた。

(特に、矢印の魅力って言ったら! 僕は矢印の魅力に数年来取りつかれてしまっている)

矢印好きがいた。

参考情報
矢印のすゝめ
矢印の力

2015/07/01

同じことがらなのに

昨日起きた新幹線車内での焼身自殺。
その予防策として、セキュリティ対策のエスカレーションをあげる人(焼け太り組、便乗組)と、貧困対策を検討する人とがいる。それは、今回の出来事を事件と見なす立場か自殺とみなす立場の違いでもある。前者だと、同じような出来事は再発する。予防に、防止にならない。有効な対策は後者だろう。
セキュリティ派も、監視カメラの増設を提案する人(ハード指向)と、人による監視を強めようとする人(ソフト指向)とに分かれる。前者はメーカーが潤う、後者は雇用を生む。

2015/06/29

森林浴

帰途、遠回りして戸隠泊。

小さい頃、家族で何回か行った場所だ。小学校の遠足でも行ったはずなのに、50年ぶりの戸隠は記憶と違う。もっとも、アルバムに写真があるから、行ったことがわかる程度なのだが。

宿坊では、信州サーモンの刺身が出た。食べるのははじめて。生臭くなくさっぱりしている。手打ちそばは汁もおいしく言うことなし。そばはだいたいどこでもおいしいので、決めては汁。岩魚の塩焼き(淡白)、カルビのバター焼き、……。


朝もたっぷり、いただいた。

宿泊客はボクだけ。と、久々にリフレッシュできた。



善光寺からのバスはスゴい。「七曲り」はじめ、急カーブの連続。ハンドルさばきは拍手をしたくなるほど。運転手にお礼を告げて下車した。このバスは乗るだけでも価値がある。しかも、戸隠連峰、鹿島槍の山並みが車窓から楽しめる。

2015/06/24

線は線でも

家の脇の架線が途中で切られたままブラブラしている。
ブラブラ部がけっこう長く、気になるので、電力会社に処置をお願いした。
翌日、連絡があった。
「確かめましたが、あの架線はNTT回線です。NTTの担当者に連絡しました。数日以内に作業するそうです」。
恐縮した。
よく考えれば、架線すべてが電線ではない。架線の見分け方を知りたい。

2015/06/23

老子か荀子か

いま学部紹介のパンフレットを作っている(昨年はゼミ編)。
今年度版のテーマは「ワークショップ」。
去年は、ゼミを「大学教育の、コミュニケーション学部の」とした。
考えた末に浮かんだのは、
「ワークショップは、大学教育の、コミュニケーション学部の」。
粋が通じるか、肝が通じるかという心配はある。
ワークショップをどう説明しようか困っていたときに、稲垣さんのコラム(東京新聞)が目にとまった。
私は大学の農場で全国の学生に農業実習プログラムを提供しています。「聞いたことは忘れる。見たことは覚える。体験したことは理解する」。実習をしていて思い出すのは、老子の言葉です。
「これだ、ワークショップの極意は」と思い、原文を確かめようとしたら、どうやら原典は「老子」ではなく、荀子らしい

しかし、荀子の言っていることは、「聞いた……」とはニュアンスが異なる。結局、よくわからず、パンフレットに「老子」を引用することはやめにした。

今日は「慰霊の日」。

2015/06/18

2015/06/15

個性の前に

桃井かおりとのラブシーンもあった。なのに僕の演技が下手クソで…」
は、財津和夫の弁(東京新聞、6/15夕刊)。

で、つぎのくだりに納得。
基礎が身に付いていれば、その上に自分の個性を載せればいいのですが、基礎がないのだから個性もクソもない。演技はほんとに難しいと実感しました。
自分自身にも言い聞かせたい。

2015/06/14

ゴミの行き場

使わなくなった品々をゴミ焼却場に持ち込んだ。
品川のゴミ工場しか知らなかったので、自分で直接、ピットに放り込む方式にビックリ。
足元は奈落の底。足がすくむ。
「落ちないように注意しましょう」という張り紙ですむような場ではない。
事故はないのだろうか。
ピットが閉じられていない。
ホコリが目にしみる。

2015/06/13

ザ銭湯

麻布の崖の「上」(別天地)と「下」(猫の世界)を散策してから、温泉銭湯「麻布黒美水温泉竹の湯」に行った。
タイムスリップしたような銭湯だ。
小学生や中学生がいる。
友だち同士でおしゃべりをしている。
お湯を出しっぱなしの子どもを注意する大人。
利用者同士の会話。

2015/06/10

ニューヨク

ある高校の掲示板に、ヨーロッパ研修に行った生徒たちの感想がKJ法風に張られていた。
その中の1枚。
「現地の高校生は、お風呂に2日に1回しか入らないが、なぜかきたなくない」

ちょっとビックリ。お風呂には毎日入るものと思っていることと、1日おきだと「きたなく」なるという発想に。

ところで「入浴に関する世論調査」によれば、2004年時点で「毎日」入る人は77%。

「毎日」派は多数派で、ボクのような非毎日派は少数派。

子ども時代を銭湯で過ごしたボクは、せいぜい一日おき。温泉に行ったら一日何回も入るけど。山に入ると、汗をかいても入れない日が続く。

2015/06/08

あぶない見直し

新聞社サイトで知り、びっくり仰天。
「その学部、本当に必要? 全国立大に見直し通知、文科省」(朝日新聞)
 主に文学部や社会学部など人文社会系の学部と大学院について、社会に必要とされる人材を育てられていなければ、廃止や分野の転換の検討を求めた。国立大に投入される税金を、ニーズがある分野に集中させるのが狙いだ。
「社会に必要」は誰かが判断しないと決められない。誰が判断するのか、いまの時点で判断できるのか。判断の基準は?
 さしずめ、集団自衛権を憲法違反と言った人は「必要ない」部類に入るのだろう。
 同質性は弱く、多様性は強いのに、そのことすら忘れられている。
 要不要の発想は、やがて「人」の分断、選別につながる。「必要な人」と「不要な人」。ナチスの人種政策を支えた優生学と同じ発想だ。

「必要な人」しかいない社会は無人社会かも。

2015/06/01

今は亡き二人の……

天野祐吉と多田道太郎の対話(『さよなら広告 さよならニッポン』、Pp. 223-251)。

「ネーミングは宇宙である」の中で、「名詮自性」が紹介されている。
多田 日本でも、江戸時代に「名詮自性」という言葉がはやったらしいのね。もともとは中国からきたものですけど、名前が自分のアイデンティティを明かしている。(中略)そういう思想が、江戸も後期になると出てきている。「南総里見八犬伝」なんかにも、それは色濃く出ているんです。
天野 親は子供に、ある願いをこめて名前をつけますね。名前というのはあとからつけた単なる記号のようでいて、その実、その記号にかなり支配されたりするものなのかもしれない。
多田 (略)親がある意思を押しつけると、子供はそうならざるえなくなったりする。それが親にとっては快感なんでしょうね。
命名の快感か。考えたことがなかった。これも名前経験に加えよう。

この「対話」では、ゴシップの語源がゴッドシップ(ゴッドマザー)という話も出てくる。

参考 『忌み名の研究』(穂積陳重)



2015/05/25

警報

2時半ごろ、地震があった(らしい)。
学内を歩いていると、近くにいた学生から「ウーン、ウーン」とサイレンのような音が鳴り始めた。一瞬「?」となったが、同時にあちこちから、その音が聞こえてきた。
ようやく事態が飲み込めた。
当時、空襲警報もこんな感じだったのだろうか。

2015/05/24

端艇部長の一日

今日は第37回全日本軽量級選手権大会、最終日。

今年の目標は「男子舵手なしクォドルプル」の連覇。
結果は2連覇ならず、でも銅メダルを獲得した。
優勝は昨年くだした明治大学。

「男子ダブルスカル」でも銅メダルを獲得した。

一日中いい天気で、だいぶ焼けた。

2015/05/23

非専門を話す

東洋大学ライフデザイン学部開設10周年記念
第2回 人間環境デザイン学科連続シンポジウム
専門と日常—専門家から見た非専門的な世界

中庭に屋根をかぶせてできた、したがって吹き抜けのホールが会場。3階建てのビルは、天井が低く、木が多用されていることもあり、落ち着く。ところどころに障子もある。設計者は同学部の内田祥士さん。

演者は内田さんも含め、3名。

「建築写真には、何故、人が居ないのか:記録と表現の狭間に現れる建築家の世界観」
 仲綾子(専門分野:こども環境)
 建物は人が使ってはじめて完成すると言われるものの、いざ、それらの写真に人が写っていると、興ざめしてしまう。なぜだろう。やはり建物はそれ自体で完成しているのだろう。人が使い始めると、予想外の使い方をされたり、使う人の持ち物で埋まり始め、そのようすが写ってしまうと、それは空間の写真と堕する。

「鉄道時刻表は、何故、読み物ではないのか:検索される情報と記録としての情報」
 高橋良至(専門分野:メカトロニクス)
 はじめて同じ読み方をする人に会った。下の名前が「よしゆき」さん。彼も、一度も正しく読んでもらったことがないと言っていた。
 今回、初めて知ったのが時刻表の動詞形だった。時刻表は「読む」でも「見る」でもなく、「引出す」。ある号にこうある。「時間(ママ)表の引出し方」
「時刻表」は史料の宝庫だ。地図同様、印刷物としての時刻表は残り続けてほしい。

「電柱・電線は、何故、埋めたくなるのか:信頼を保全性の側から支える電線の壮麗なる姿」
 内田祥士(専門分野:建築設計)
 ディテールの美しさを見せつけられた。これを見るためだけに双眼鏡を買ってもいいなと思ったほどだ。電柱間の架線は高さも揃っていて許容できるが、各戸への電線(欲望線)は高さも本数もまちまちで混乱の極み。ホーチミンで黒々した電線を見てからは、日本で空を見上げると、ベトナムにいるような気分になれるようになった。

 今日のシンポジウムはなぜおもしろかったのか。それは楽しむことを優先してくれたから。冒頭のあいさつは、「ここには少し変わった人がいるらしい」「楽しんでいただけれと思う」「今日は話したいことを話す」「マニアックなシンポジウム」と、のっけからこんな調子。

 メインスクリーンとサブスクリーンの使い方が効果的だった。一方は写真、一方は解説といったふうな使い分けがいい。スクリーンサイズも大きさが異なり、メインとサブがすぐわかる。

 紹介された本
あの日からの建築』伊東豊雄
対談集 つなぐ建築』隈 研吾
建築に何が可能か』原 広司
時刻表タイムトラベル』所澤秀樹
都市計画』五十嵐敬喜・小川明雄

カラスさんの記録
通学路の途中に斎場がある。限りある生を実感させられる毎日だろうか。むべなるかな、学部名もライフデザイン。

2015/05/20

バースデイケーキ

教授会の後、新人歓迎会が開かれた。

コミュニケーション学部はこの数年、中でやっている。いわば準手作り。何が並ぶか毎年楽しみにしている。

歓迎会のはずが途中でモードが変わった。

会議室に大きな紙袋が持ち運ばれ、中から出てきたのはケーキの箱。

出てきたのは,ローソク付きケーキ。

ローソクに火が付くと、消灯。

誰の誕生日だろう? と思っていると、ボクに消してほしいとの要請。
えっ?、違うのにな!?

間違いではないという。

見ると、ケーキの上のプレートに「おたんじょうびおめでとう」とある。
その下に書かれていたのはボクの名前ではなく「コミュニケーション学部」。

コミュニケーション学部20歳のバースデイケーキだった。

まったく予期していなかった展開で、うれしさも極地。

数えたら、ローソクは確かに20本あった。

ありがとう。


それ以外にも凝った企画があり、実行委員に感謝。教員の顔写真がペアで出てきて、共通点を当てるというもの。ボクの相方は潤さん。「髭」が正解かと思ったら(単純すぎ)、学部長経験者が共通点だった。


2015/05/17

銀座

ギャラリートークが終わってから、松屋銀座に寄ったら、こんな展示が行なわれていた。

Designer's Catalogue 2015 Vol.2 MISAWA Haruka

テーマは「生きもののいる景観」。
白い人工空間に赤い魚がよく合っている。

写真を撮ろうと思って角度を選んでいたら、向かいの女性にニコッとされた。それが主催者の三澤さんだった。

銀座の目抜き通りは中国人観光客でいっぱい。LAOXUNIQLO、……。

2015/05/16

セキュリティ「向上」

OSを10.9.5に上げて以来、キーチェーン"ログイン"パスワードの入力を求められる機会が増え、わずらわしかった。
ネットで症状を検索しても、該当記事にたどり着けない。
結局、解決したのはApple storeのジーニアスバー。
【メモ】
ユーティリティ→キーチェーンアクセス→ログインキーチェーンのロックを解除→編集→キーチェン"ログイン"の設定を変更(変更内容はお好みで)

今回の症状は不具合ではなく、OSのバージョンが上がって、セキュリティレベルがあがった結果だった。

「操作しない状態が5分間続いたらロック」になっていたのを解除して、代わりに「スリープ時にロック」を有効にした。

Macbook Airのキーボード不具合も診てもらった。診断結果は交換要。見積額は2万円を上回るので、外付けKBで対応するのが現実解だろうとの提案だった。価格高は交換内容がKBにとどまらないためだ。残るのは基盤とバッテリー程度ぐらいとのこと。最新機種だと、交換対象にバッテリー類まで含まれるため、5万円を上回るらしい。
5.15「沖縄復帰の日」。横田基地にもオスプレイ配備の計画。日本中を訓練場にしようとしている。

2015/05/15

2週間ぐらい前のできごと

会議が終わり、研究室のある建物に向かって歩いていると、ある先生に声をかけられた。役職から離れ、すっかり解放された表情だった。

「かわうらさん、ちょっと見てごらんよ。せっかく咲いているんだから、見てあげなくちゃ」。

目の先には赤いツツジの花。

いい気分転換になった。

2015/05/13

東京時代(140年)は臨界を超えている

午前中、芳賀先生の授業に出る。

さて。「人生は崖で終わる」で自己紹介を締めくくられた芳賀さんの著書『デジタル鳥瞰 江戸の崖 東京の崖』はコワイ本だ。正確には、内容がコワイのではなく、取り上げている対象が怖い。

「東京には岩がない」。

地名は文字ではなく、音に意味がある。漢字は当て字にすぎない。そもそも、ひらがなができる前までは字は漢字で書くしかなかったのだから。

最終章は、「愚か者の崖—「3.11」以後の東京と日本列島。
私たちに未来があるとすれば、それは「集中」と「依存」にではなく、「分節化」と「独立」にしかありえないのはたしかなことなのです。
上図はThe Rider Tarot Deckのもの。

2015/05/09

前例と違うとき

ああ、あのことかと思われないよう、少し時期をずらして書く。

これまでと違う対応をすると、前と同じでいいではないかと言われる。
なぜ違う対応をとらざるを得なくなったのか、その事由を考えようとしない。

2015/05/08

名前騒動

名前がちょっと話題になっている。
大分市の高崎山自然動物園がメスの赤ちゃんザルに、英王室の王女と同じ「シャーロット」と命名したところ、批判が殺到したという。曰く「王室の方の名前をサルにつけるのは失礼だ」。
なぜ失礼なのだろう。
当の王室からクレームが来たのであれば、話は別だが、当事者でもない人が言いがかりをつけるとは。
その後、取材に応じた英王室広報から「コメントは特にありません。赤ちゃんザルにどんな名前を付けようと、動物園の自由です」との回答があり、騒ぎは収まったらしい。

2015/05/07

演技と素の境界

 授業の下見で新宿へ。

「身体表現ワークショップ」の最後の3回(とは言っても2限続きなので、時間上は6回分)を、清水きよしさん(パントマイミスト)にお願いしている(チコさんによる紹介)。
 清水さんの授業のようすを見たくて、専門学校にお邪魔した。

 こんな授業だ。
「基本的な身体の動かしかたや意識に集中し、空間や物に対して身体がどのように感じ、反応するかを学ぶ」。

 今日は、その第4回。
 受講者は全員が声優希望である。そのせいだろう。あいさつも出席を取る時の返事もよく通る声だ。

 身体動作の基本練習(これ自体、結構ハード)の後、最後に、各自が自己流で壁のパントマイムをやった。他の受講者は、何をしているところかを当てる。
 ある学生のパントマイム。窓拭きをしているように見えたのが、途中から何を演じているのかわからなくなった。それを見ていた学生がこう推測した。
「最初は窓拭きだったのが、やっているうちに何をすればいいかわからなくなったようす」。
 正解。
 本人も他の学生も清水さんも爆笑。
 演技のようで演技でない。
清水さんの東京公演は6月19日。KAMEN(1983年初演)。

パントマイムショー(Youtube
 2013年《野外劇団 楽市楽座》東京・東大和市公演

2015/05/06

連休最終日

網戸の張替、できたことはできたが、きれいに張るのは難しい。
・網の目が枠と垂直水平にならない。
・はみ出た網を切りそろえるのがむずかしい。

今の仕事を辞めたら、格安の張替屋をやろうと思ったが、これではとても商売にならない。そもそもボクが頼む気になれないのだから。

プロの仕事を見てみたい。


2015/05/05

網戸

網戸の網を張り替えた。
初めてなので、まずは小さな網戸にした。
明日は大きめのをやろう。
没後、天野祐吉の本が立て続けに出ている。天野さんは、前の前の職場でやっていた研究会に、講師として気軽にやってきてくれた。上司が知り合いで。呼んでくれたのだった。

天野祐吉対話集 さよなら広告 さよならニッポン』。谷川俊太郎との対話で始まる(2001年の対談)。
久しぶりに目にした。スゴすぎたのか、選からもれたのがコレ。
「生きてるだけで丸もうけ」(ことばのちからコンテスト応募作品)。
君に捧げるラブ・ソング(浜田真理子)
君に捧げるLOVE SONG(岡林信康)

2015/05/04

矢来町体験

打ち合わせで神楽坂に出かけた。はじめての矢来町だ。

ボクの好みに合わせてくれたのか、場所は「かもめブックス」。ここは、書店、カフェ、ギャラリーと、いわゆる複合書店。すてきな空間はうわさどおりで、気持ちがいい。床、テーブル、椅子。本の並べ方。トイレ。

終了後、目の前に見える「la kagu」に寄った。のびやかなウッドデッキの階段をつぎつぎとのぼっていく人につられて、つい。

もとは新潮社の倉庫で、それを隈研吾事務所がリノベーションした。ここも本の並べ方がいい。一画が人ごとのセレクションで本が並んでいる。まるで、その人の書棚を見ているよう。そこから適当に選んで買ってもいいし、まるごと買ってもいい。

神楽坂もいい。
昨年、行きそびれた京都の恵文社一乗寺店にもいつか。

2015/05/03

名前の要素

2015年5月3日東京新聞「筆洗

サカタ・タネオ、タナカ・イサモ、ホリイ・サダオ、ヨシザキ・ゼンキチ、ヤマザキ・タカマサ…。無数に連なるカタカナ書きの名を、声に出して読んでみる▼70年前に戦争が終わった時、ソ連は57万人ともいわれる日本兵や市民を拘束し、収容所に抑留し続けた。過酷な収容生活で5万を超える命が消えた。その人たちの名前だ▼望郷の歌がある。〈逢(あ)えぬまま異国の獄舎に果つる身か子の名を壁に爪たてて書く〉内田久光。一方に、平和の世が来ても出征したままで安否不明の兵を待った人の歌もある。〈出で征(ゆ)きて君は帰らず五月雨のそそぐをみれば七年(ななとせ)を経ぬ〉松浦武子▼ロシアから提供された抑留の犠牲者名簿を基に、政府は新たに1万723人の名簿を公表した。うち身元の特定が済み、漢字で名が記された人は2,600人だ▼残る8,063人の名は、いまだ漢字という衣もまとえず、寒々としたカタカナ書きのままである。サト・タマヨ、アダチ・アイコ、クリバヤシ・ヘイイチ…。カタカナ書きの墓標がたち並んでいる▼〈やけあとのつちもめぶきてあをみたりほこなき国をはるふかみつつ〉金田一京助。矛(ほこ)なき国、戦争はしないと憲法で誓った国に訪れた、緑鮮やかな春。そんな大地を踏むことすらできなかった無数の人々の名がある。イトイ・ハルエ、マツザキ・ヨシコ、ハマダ・ミツコ…。

表記のわからない名前と読み方のわからない名前。どちらも名前になっていない。

2015/05/02

初校

髪を切ってサッパリした。
夜は校正をした。
学部創立20周年記念本の初校だ。
書名は『コミュニケーションという考え方』にした。
副題は「コミュニケーション学部の20年とコミュニケーション学の課題」だが、長すぎるかもしれない。要検討かな。
もっか、今月下旬の刊行予定で進行中。
最終的に、四六判250ページ強の見込みである。

2015/04/30

卒論の書き方12:使わない方がいい表現

以下、私が「使わない方がいい」と思うことばリストです。

「なる」:以下が本研究の結論になる→以下が本研究の結論であ

「わかる」:この表から…増えていることがわかる→この表によれば…増えている。あるいは、この表から…増えていることが明らかである。

「約」:4割→4割(もともと誤差を含む表現だから「約」は不要)

「など」:使わないか、「など」ですまさないで、ひとつひとつ列挙する

「さん」:原則、人名以外には付けない。「学生さん」は「学生」で十分。

「方」:人を敬っていう語だから、限定して使う。「留学中の」は「留学中の」か「留学」。

「思う」「感じる」:そもそも論文になじまない。言い切る。

「的な」:「的」だけで十分な場合もあるし、場合によっては「的」も不要。それによって係り受けが明確になる。例:実践的な英語→実践的英語→実践英語。

「わが国」:相対化できなくなるので「日本」。

接続詞を多用しない。

述語で締める(体言で止めない)。

表記については、接続詞と副詞は開く(ひらがなにする)のが基本。明るく(白くなるとも言う)、読みやすい文章になる。従って→したがって(同士の場合は「従って」)とか。

2019年7月14日

2015/04/29

祝日授業

祝日授業日は、自分の授業がない場合、会議がないので、人の授業に参加できる。
今日は芳賀さんの授業に出て、聴講、フィールドワークと三連ちゃん。
学生たちに朗読させると、読めない単語がわかる。
本を読めと言っても読まないだろうからと、貸出用文庫を用意。これには脱帽。しかも次回、内容を発表してもらう。
これ以外のくふうも楽しい。
ありすぎて書けない。

2015/04/28

喧噪

20年ぶりに自動便座を変えた。
シリーズの最下位機種にしたのだが、それでも人感センサーが付いている。
自動作動する機能をすべてオフにしたのだが、それでもトイレのドアを開けると何かが動く。何だろう。
入るのが億劫になって、2階の何もない静かなトイレへ急ぐ。


東京新聞夕刊「紙つぶて」の稲垣栄洋さんのコラムがあいかわらずおもしろい。
「寿命が短くなるように進化している」。と言われると、?と思うが、彼の説明を読むと納得できる。

2015/04/27

完了

午前中、引き渡しを行った。
みんなに銘を書いてもらった。

2015/04/24

『東京帝大宇野辺叡古教授』

「人が学ぶのは自分でものを考えるためだ」
宇野辺叡古(うのべえいこ)教授のセリフがいい。
(門井慶喜の同書から)

2015/04/23

「文創」

台湾は看板の島、と乃南アサさん。
漢字という表意文字だからだろう。
最近、「すっきり」した印象の地区が増えている。
老街もその一つ。
現役で趣があるのは、
大渓(桃園県)、
三峡(新北市)。
青田街もスッキリしている。
文創の例。
台湾は文創ブームだ。
文創とは「文化創意」。
「これまでにもあった素材や技術を生かしつつ、芸術品や生活雑貨、食品、設計、デジタルコンテンツなどといった分野で、新しい台湾文化と呼べる産業を生み出そうとする活動」(乃南さん)。
代表地区は、
松山文創園区
華山1914文創園区
「過去」を生かしつつの景観づくりが進んでいる。




2015/04/18

コピーライター

弟が母の遺品を持ってきてくれた。
その中に、旅日記や旅先でのパンフレットの入った包みが含まれていた。
それを覆っていた紙を取ると、その裏側に、大きな字で一言。

「旅は楽しい」

やられた(笑)

2015/04/11

第25回グリーンレガッタ

2月からボート部(正確には端艇部)の部長を務めています。まさか、まさかの就任。
その初戦が、グリーンレガッタ(中央、法政との3大学対抗)。
今年で25回(数字は3校になってからのカウント)、そして東経大が幹事校。
通常は29日、みどりの日なのですが、祝日授業の足並みが揃わなかったとかで、早めの11日の開催。その分、気温もあがらず、寒い中での大会でした。
結果? 強いですね、端艇部。総合優勝3連覇。悲願の男子エイトで、強豪、中央を破っての優勝。54年ぶりとか。おかげで、私も栄光浴にひたりました。


2015/03/31

一日早い入学

入学式は明日。
なのだが、スケジュールがきつく、今日は英語のプレイスメントテストやらガイダンスで、キャンパスは新入生でいっぱい。

天気がよく、準新入生が中庭や通路で食事。高校生がピクニックでやってきて、お昼をとっているような光景だ。

明日から、すべてが4巡めに入る。入学式で壇上に上がるのも、新入生オリエンテーションであいさつをするのも、そして、保護者に話をするのも、新人教員を紹介するのも。みんな、これが最後。

役職任期は今は2年任期だが、3年ぐらいがちょうどいいのかもしれない。ただし、再任は1年任期という条件付きで。


今朝、最寄り駅に向かう途中で声をかけられた。見覚えはあるのだが、すぐに思い出せない。困ったようすを察知したのか、名乗ってくれた。それ以降、話はスムーズ。実家が近所とか。

2015/03/29

原作読了

平田オリザの『幕が上がる』。

カンパネルラ あの、たくさん勉強をすれば、本当の幸せを見つけられますか?」
博士 うーん、さぁ、それはどうだろう。
カンパネルラ え?
博士 ただ、たくさん勉強すれば、本当の幸せを見つけたときに、それを逃がさないかもしれないね。

映画の中に忘れたくないセリフがあった。それをさがしたくて読んだのだが、それは見つからなかった。

原作。後半の後半、つまり最後から1/4あたりからは落涙的。

2015/03/26

万国博の日本館

安藤忠雄をどう論じているだろうか。ミーハー気分で『現代の建築家』を借りた。
残念ながら、あの1件にはふれられていなかった。

別の収穫があった。

坂倉準三

万国博の日本館。

(1867 パリ博 茶店:6畳敷きの茶室と土間)
 1873 ウィーン博 神社風の小屋と日本庭園 ※様式機械の展示も検討されたらしいが、西洋から見れば未熟に映ると判断し、見送られた。それ以後、手工芸品が並べられるようになった。
 1893 シカゴ博(平等院鳳凰堂の平面をなぞった)鳳凰殿
 1900 パリ博 法隆寺金堂を模したもの 
 1937 パリ博 鉄とガラスのモダンなパビリオン(坂倉準三設計)

1900年までの日本館は西洋に媚びた「エキゾティックな」建物。それが日本側事務局の意向だった。1937年のパリ博も当初はその方向だった。しかし、その慣例が偶然の理由で破られた。結果として破ることになったのは板倉だった。その後の1940年のニューヨーク博では、神社型の日本館になっている。その後もしばらく、この路線が続く。

 1964 ニューヨーク博 城壁の石垣をしのばせる
 1967 モントリオール博 校倉風

西洋では異国情緒を強調した日本。東アジアの旧植民地では西洋化された姿を見せつけようとした、という。

 1933 満州博 現代的建物
 1940 朝鮮博 モダンなつくり

2015/03/21

乙女 心

目の前のおばあさんがケータイで話し始めた。
「すもうを見ていて帰るのが遅くなっちゃった。もうじき新宿」。

電車が終点の新宿駅に着いた。
リュックを背負った、そのおばあさんが、ドア付近に立っていた大学生らしい4人組男性にいきなり話しかけた。

「みんなカッコいいね」
「もてるんでしょ」
「80すぎのばあさんから見てもカッコいいんだから」
「女の子、泣かしちゃいけないよ」

4人は苦笑。としか書けない。

そのやりとりを見ていたカップルが電車を降りてから、
「あのおばあさん、若いね。乙女心があるよね」

2015/03/20

もう卒業だから

井の頭線。
ある駅で、卒業式を終えたらしい男子中学生が3名乗り込んできた。
うち一人がカッコいい。
見ると、でも、ちょっと変。
学生服の金ボタンが5つともない。
ほかの2人はちゃんと付いているのに。

今でもこういう風習は残っているんだね。

以上、家族の報告。

2015/03/19

もう誰も前にいない

篠原先生の訃報届く。
院生時代の最後の恩師がついに逝ってしまった。
享年77歳。あまりにも早すぎる。
集まる機会を計画しようとしていた矢先だった。

2015/03/18

チュニジア

チュニスのバルドー国立博物館で襲撃事件が起きた。
以前、同博物館を訪れたことがある。
調べたら、もう6年経っていた。ジャスミン革命の前年。
目がクラクラするほどモザイクタイルが鮮明で、しかも間近で見られ、ぜいたくな博物館だった。撮影も自由。
あそこで、こんな事件が起きるとは。

2015/03/15

50年で10倍

母の遺品を整理していたら、父親の給与明細が出てきた。紙テープのような幅1cmほどの細長い紙だ。小さい頃、これを見る親の姿が目に焼き付いていている。

亡くなる直前の支給額は5万円台。調べると、50年前当時の国家公務員の初任給が2万円。大雑把に見て、10倍すれば現在の水準に近づく勘定だ。賞与は不明だが、月給だけで年額60万。600万円相当。これで子ども4人が育った。

母親はどう工面したのだろう。姉は短大、他の3人は大学まで進めた。大学に入ってからは奨学金と家庭教師のバイト代でまかなった。国立大学の授業料が年間1万2千円だった時代だ。今は国立でも54万円弱。高すぎる。教育の受益者は国民全員なのだから、無償でよい。

2015/03/14

初日の風景

北陸新幹線で長野往復。

ホームの放送が初日っぽさを醸し出している。
「撮影する方は、黄色い線の内側に……」

ホームを走るのも撮り鉄の特徴か。先頭車両を撮ったり、中間車両を撮ったり。
意外だったのが70代とおぼしき男性たち。撮影後、乗る人も多い。

長野に行く日が開業初日であるのに気づいたのが2週間前。混雑して座れないのでは、と危惧していたが、往きも帰りもなんなく座れた。帰り(上り)なんぞ、4割程度の乗車率。向かい側の下り電車を見てもガラガラ。で、ちょっと拍子抜け。報道と実際とがずれている感じだ。

この日らしい風景を確認しようと思って、長野駅前のホテルへ。

部屋案内板。
「北陸新幹線 長野ー(ママ)金沢開業長野駅出発式控室」
「しなの鉄道北しなの線開業記念出発式控室」
「北陸新幹線・北しなの線開業関係祝賀会来賓控室」
 ……

新しい長野駅舎は12本の木の列柱が印象的だ。善光寺本堂の柱を模した形状をしている。

信毎の夕刊を買った。トップは「新幹線、北陸へ発進」。


昨日から花粉症がひどい。つらっ!


2015/03/13

地域は住むだけの場所?

出勤途中、目の前を幼稚園の送迎バスが走り去っていく。それを見送る母親やおばあさん。なぜか、やるせない風景だ。

あの子たちにとって、自宅から幼稚園までの道のりは車窓でしかなく(実際には見ていない可能性も高く、とすれば車窓ですらない)、コミットする空間になっていない、のではという気持ちだ。
自分の家の周りがどうなっているのか、どんな人がいるのか、知らないまま大きくなる。小学校も中学校も電車やバスで通うような場所なら、事情は変わらない。地元が意味のある空間になりえない。

地域行事が衰退するのもやむなしという気がする。地元のお祭りに行っても知らない人ばかりなのだから。

「地域」が住むだけの「点」でいいのだろうか。「場所」の意味をないがしろにしつつある。

2015/03/12

30年前の職場

市立大学に行く前の職場が電気通信総合研究所。
そこでの大先輩(小林宏一さん)が、研究所の設立経緯を書いていた。
電話の積滞(電話の加入申し込みをしてもすぐ設置してもらえない状態)解消のめどが立ち始める一方で、情報化社会論が提唱され始めるという時代の転換を敏感に察知した電電公社(現、NTT)を中核に設立された、メディアと社会の相関をさぐる研究所であった。
経緯をいまごろになって知った。

2015/03/11

忘れる以前の話

2015年3月11日。
今日の東京新聞。

1面と最終面
復興途切れ途切れ」(小沢徹撮影)
18時半すぎの国道6号の上空写真。福島第一は明るく、その周辺は暗いまま。
黒い壁果てしなく」(梅津忠之撮影)
拡大する一方。

筆洗」子の一言。
震災を「過去」ではなく「明日」の出来事ととらえなおすべきではないか。被災地はあの日、時間が狂い、何年、何十年後の日本へ運ばれてしまった。突拍子もない空想だが、被災地で進む人口流出も極端な高齢化も日本全体がいずれ直面する痛みである。被災地は過去ではなく、今から起きる日本全体の姿。

2015/03/10

用なしに用あり

初めて絵を買った。

洋梨を描いたF0サイズの油絵で、作家は50歳の山崎さん。

たまたま寄った東日本大震災チャリティ展で飾られていた作品だ。洋梨の皮の雰囲気がいい。

30年ぐらい前のこと。今のようにものすごく有名になる前の舟越桂さんの即売展示会が新宿のデパートであった。そのとき、気に入ったリトグラフがあって、買おうかどうか迷って、結局買わなかった以来だ。まだ手が届く価格だった記憶がある。少なくとも今と1桁は違っていた。

2015/03/09

ついツッコミ

電車内の中吊りポスター。

わざわざ断っている。「お客様同士、鉄道係員への」と。

こう書かれたら、「鉄道係員同士」の暴力行為は犯罪にあたらないのかと言いたくなってしまう。

具体的に書けば書くほど、書かれていないことはやってもかまわないのか、と思ってしまう。だから、マニュアルも厚くなりがち。

ああ青春

青春映画「幕があがる」をシルバー割引で鑑賞した。

誘われて見たのだが、よかった。

対照的な二人の先生がいい。
使いたくなるようなセリフも多い。
舞台の裏側やワークショップのようすもわかる。

原作は平田オリザ。
高校の元「弱小」演劇部が舞台。

松江哲明さんのコメントを読んで納得。
「『幕が上がる』が一番突き刺さるのは、ももクロにも演劇にも興味がない人だと思う」。
 ももクロは名前しか知らなかった。

続きはここ


見終わったときの落差が大きすぎる。見渡すと、観客はたったの10人。ボクら以外はみな高校生ぐらい。



フルネームで呼んでくれてありがとう

スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。  ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。  シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...