2015/02/27

「安心安全」希求の帰結

角幡唯介BE-PALでの連載、「エベレストには登らない」。

2月号の第17回。過度の「安心安全」が閉塞感を生み出している

以下、本文から。
リスクを回避する社会が健全なのかどうか。
監視や管理の強化、規則の徹底などが隅々まで行きわたることにより、我々の社会は少しずつ息苦しくなってきた。
実際に施行されると個人情報という言葉ばかりが一人歩きして、何でもかんでも個人情報を提供するのはよくないという雰囲気を一気に社会に蔓延させた。
取材もやりにくくなり、官公庁が個人情報を大義名分に情報を隠すようになったのは当たり前のこと、個人の取材先からも知り合いの連絡先を教えてもらうのが難しくなったし……
「安心安全」という交通標語みたいな4文字熟語が絶対的価値を帯びるようになったのは10年ぐらい前のこと……
「安心安全」を最優先してリスクを避けようとする社会は、行動を起こしたり他者と関わったりという要素を人生から減らすことを奨励する社会に見えてならない。

ときあたかも『過剰診断』。副題は、健康診断があなたを病気にする。
安心安全希求、リスク回避希求の最後は身体に行き着く。
安心安全に、これで大丈夫というゴールはない。状況はたえず変動しているから、次の瞬間にはそれまでの安全安心もご破算。となれば、リスク回避もさることながら、リスクへの対処方法が考えられなければならない。

2015/02/25

個体距離

日本語・日本文化研修の修了式に飛び込み参加した。

研修生は、中国と韓国の学生12名。

修了証が、学長からひとりひとり手渡された。
その光景がなんとなく日本の学生の場合と違う。気づいたのは以下の2点。
  1. 学長が研修生ではなく、聴衆の方を向いて読み上げたからかもしれないが、もらう本人も隣りに立って、いっしょに修了証を見ている。二人で並んで譜面をながめているようで、なんとも微笑ましい。
  2. 横に並ぶからかもしれない。二人の距離が、いまにも肩が触れ合わんばかりの近さなのだ。
学長がフレンドリーであることも関係しているのかもしれないが、かれらの個体距離は小さそうだ。

2週間の研修を終え、明日帰国する。


昨日から花粉症状が強まる。

2015/02/21

強いは弱い、弱いは強い

東京新聞のコラムで知った稲垣さん。
雑草以外の本を選んで読んだ。
弱者の戦略』。

内容は、一転二転したかと思えば、三転四転、n転する。

それぞれの種が勝手に生き延びようとして行っていること(その過程で「個」は犠牲になる、というか、そもそも個という概念が存在しない。個が顕在化する種はヒトぐらいか)が進化をもたらし、結果として全体が調和しているように見える。全体を見通して何かができる訳ではない。

2015/02/20

仕込み

3kg分の味噌を仕込んだ。
大豆700g、米麹840g、粗塩350g。
これだと出汁が要らない。

去年、仕込んだものをいま使っている。もちろんおいしい。

2015/02/19

名前に動かされるように

大震災前の気仙沼 本に 故郷の営み 記憶消えぬうち
東京新聞 2015年2月19日夕刊
 失われた街の日常風景や思い出を残したい。東日本大震災で被災した気仙沼市出身の慶大院生、小野里海(さとみ)さん(23)が、震災前の街並みの写真と、市民40人にインタビューした言葉でつづった本を自費出版する。3月の出版披露会に向け、「震災までは確かにあった、気仙沼の人々の営みを思い出すきっかけとなる本にしたい」と語る。(安藤恭子)
 小野さんは高校卒業まで気仙沼市に暮らし、震災発生時は米国留学中。海岸から1キロ離れた鹿折(ししおり)地区の実家は津波で全壊。周辺は大規模火災。震災から1カ月後、帰省した小野さんは避難所を回り、親戚の男性や同級生、近所の人たちが亡くなったことを知った。
 自身の名前「里海」は里山や漁港がある気仙沼の風景が由来。「大好きな故郷のため、何ができるのだろう」。もやもやした思いを抱えたまま時間ばかりが過ぎた。
 「ここ、なんだっけなあ…」。気仙沼に帰省した昨夏、建物がまばらな市内を車で走っていた父の秀一さん(58)が発した言葉に「故郷にずっといる父でも忘れてしまうんだ」と、はっとした。震災前の町や住んでいた人たちの記憶が消えてしまう前に、本にして残そうと思い立った。(一部改変)
ここにも紹介記事が載っている。
気仙沼の記憶を未来へ 大学院生ら本作り始動」河北新報 2015/1/5

2015/02/18

パブリックデザイン

赤瀬達三『駅をデザインする』ちくま新書

駅は矢印の宝庫。厳密に言えば、日本の駅は、である。
なぜ矢印が多いのか。
理由はふたつ。
一つは(車内放送の多さと軌を一にする)おためごかし。
二つめは、それがないと行き方がわからないから。
本書は二つめにかかわる本だ。

第5章は「日本の駅デザイン」。

  1. JR新宿駅:わかりにくさ世界一
  2. JR名古屋駅:ピントのずれた旅客サービス
  3. JR京都駅:部分に留まった第一級の空間整備
  4. 東京メトロの駅:狭隘化と過剰表示の進行
  5. 東急東横線渋谷駅:誰のための駅デザインか

渋谷駅の再開発に関して、驚きというかさもありなんといったことが書かれている。JRと東急電鉄は商売「敵」で、いっしょにひとつの快適な駅を作ろうという、パブリックデザインの発想がない。乗客にとっては、どちらも同じ鉄道なのに。共存共栄という発想が見られない。

静かな駅、張り紙のない駅、見通しのいい駅。がほしい。
「土木」の原語は、なんとcivil engineering(市民のための技術)。似ても似つかない。

2015/02/17

フィクションとノンフィクションの間

韓国映画「国家代表!?」を見た。

1998年に開催された長野オリンピックに出場した、スキージャンプ韓国代表の知られざる物語をコメディタッチで映画化。冬季オリンピック誘致のために結成されたスキージャンプ未経験の落ちこぼれチームの奮闘をつづる(リンク先サイトから)。

スキー経験はあるものの、ジャンプは未経験。訳あってスキーから離れていた若者、5名をふたたびスキーの世界に戻そうとコーチが奮闘する。若者もコーチも、それぞれが固有の家庭事情を背負っている。誰一人スターではない。しかし、目標が明確になった瞬間から、それぞれが練習方法にくふうを凝らしたり、家の問題を克服していく。

どこまでが実話で、どこからが創作なのか。判然としない構成は、日本では受け入れられないかもしれない。映画では最後に実際の選手の写真や競技記録が流れる。

ユニークなトレーニングのシーン、猛スピードでの滑降シーンがいい。

2015/02/14

国際比較はむずかしい

WebLab研究会の第35回。

今回のゲストは、2回目の登場、北大のロブさん。

「SNSにおけるオーディエンス多様性と対人葛藤-ネット上の対人行動戦略に関する社会生態学的アプローチからの検討-」

東京に向かう機内で直前まで更新していたという、当日のスライド

SNSにおける対人機能(FBでいえば「いいね」ボタン、LINEでいえば既読マーク、mixiでいえば「足あと」)によってもたらされる対人摩擦とSNS上での行動との関連を日米で比較した研究。関係流動性がキーワード。

仮説通り、日米差は見出されたものの、それを説明するはずの関係流動性がうまく効いていない。

2015/02/13

江戸時代を想像しながら

鶏卵素麺(松屋)。
はじめて食べた。
340年前に誕生したという。
材料は、卵と砂糖のみ。
色は真っ黄色。
黄身の味が口中に広がる。

余った卵白で石村萬盛堂は「鶴乃子」を作った。

2015/02/12

旅先で

写真付き開花の知らせ梅一輪

※昨年より1週間遅い開花。


季語が梅の句

2015/02/11

自分で付ける機会

名前は与えられるもの。
だが、自分で付けるチャンスがない訳ではない。
戒名だ。
島田裕巳『戒名は、自分で決める』。
巻頭に戒名の作り方が載っている。
戒名は日本だけの習慣らしい。

ランクもある戒名。
「戒名に納得している人はいったいどれだけいるのだろうか」。

「宗教には、現実を肯定し、正当化する側面と、現実に疑問を投げかけ、それを批判する側面の二つがあり、その両者をともに含み込まなければ、宗教としての機能を十分には果たせないのである」。
「戒名問題を解決した仏教」が求められている。

人間も生物のひとつと考えると、あの世でも個を強調するようなシステムは死を受け入れがたくしているのかもしれない。

死後があるのは残された側。戒名は、亡くなったことを意識させる手がかりかもしれないが、覚えられない。使うチャンスもないし。

2015/02/10

植物の気持ち

 雑草学者、稲垣栄洋さんのコラムがあいかわらずいい(東京新聞夕刊「紙つぶて」)。

今日は「空を仰ぐ生き方」。

「植物はどうして動かないのか」。そういう質問に対し、彼は「そもそもどうして動かなければならないのか。光合成のおかげで動き回る必要がない。植物に言わせれば、どうして動物は動くのでしょう」と考える。

「植物は脳がないのに、どうやって生きているのか」と聞かれることもあるらしい。それに対して、彼は情報を1つの頭脳に集めて処理する動物のようなシステムは、生き物の中では少数派と説く。

人間は横を見て暮らしているが、植物は上を見て生きている。植物は太陽に向かって伸びていく。人間は横を見ているので、余計な物が目に入る。頭が良すぎるせいか、時に思い悩み、時に間違えてしまう。

「たまには空を見上げて、植物の気持ちになってみるのも悪くないかも知れません。うつむいている植物はないのです」

社会的存在たる人間の大変さか。日高さんも同様の主張。

2015/02/09

徹底した利己主義の先に

入試問題で、日高敏隆の文章が使われていた。
出典は『人間はどういう動物か』収録の「『人里』をつくる」。

「共生」に関するくだりがいい。
 自然界の中では、動物も植物もそれぞれの個体がそれぞれ自分自身の子孫をできるだけたくさん後世に残そうとして、きわめて利己的にふるまっているように見える。
 ある個体が自己の利益を追求しすぎると、そのしっぺ返しを受けて引き下がらざるを得ない。こういう形で結果的にバランスが保たれているにすぎないのだ。
 自然界に見られる「共生」についても同じ見方ができる。
 人間も動物であるから、利己的にふるまうのは当然である。しかし動物たちは利己的であるがゆえに、損することを極端に嫌う。(略)もっと先を読んでいるらしい。どのようにしてそれを予知するのかわからないが、これはどうも損になりそうだと思ったら、もうそれ以上進まないのである。その点では、動物たちのほうが徹底して利己的である。きわめて賢く利己的だと言ってもよかろう。
最後で、人間も「これからは自然が自然の論理でふるまうのを許せるぐらいに『賢く利己的に』ふるまうべきではなかろうか?」と締めくくる。

 問題は「賢く」にある。動物としての先を読む力が社会性で損なわれているからだ。とすれば、中途半端な利己主義をやめ、利己主義を徹底することで、はじめて共生とみなされる事態が生じる。
 社会心理学の授業で「共有地の悲劇」にふれるとき、これは中途半端な利己主義の悲劇でもあることを強調するようにしている。本当に自分の利益を追求するのであれば、一人だけ勝手に羊を増やすことはできないからだ。


 ローレンツとの対談。
ローレンツが「歴史に学ばなければいけません」と言うので、ぼくが「しかし、そもそも人間は歴史に学べるものですか」と返したら、「たしかにそうだ。歴史からわれわれが学べることは、歴史からはわれわれは学べないということです」と言った。
学ぶことばかりだ。

教養の役目はブレーキ。と、絲山秋子さんの解説。

2015/02/08

やはり野に置け

加藤ゼミの卒業制作「フィールドワーク展」に行ってきた。

桜木町駅から会場に向かう途中で牛鍋屋さんを発見。お腹をすかした同行者に引きずられ、早めの昼食となった。

お店を出ると、まさかの雨。

会場は元倉庫だろうか(と思ったら銀行だった)。天井が高く、豪快。

さて今回、矢印研究家のボクとして外すわけにいかなかったのが、伊藤さんの「駅の記号」という作品。駅構内で採集した張紙やサインのコレクションだ。駅員にインタビューも試みているのだが、なかなか協力が得られなかったようだ。ポスター1枚を作るのにも、いろいろな逡巡や工夫があったはず。それは教えてもらわなければわからない。

太い柱に貼られた「記号」を眺めながら思ったのは、記号には文脈が欠かせないことだった。それがどこにあるかで、記号の意味もおもしろさも変わる。作品としての扱い方はむずかしい(作品自体は写真集で、解説付き)。

やはり野に置け蓮華草」かな。


会場でもらったゼミ冊子『芬蘭風俗採集』がいい。芬蘭はフィンランド。2012年のゼミ合宿の記録だ。

  • メトロ車内の乗客行動を観察した竹下さん。最後に、電車内で過ごす時間について、日本では「何かをするために空いた時間」ととらえるのに対し、フィンランドでは「移動のための時間」だと感じた、という。そう考えるとスマホに熱中する姿も納得がいく。
  • 上地さんはひげを観察してきた。帰国後、日本でも今和次郎風に観察しようと思い立つ。しかし失敗に終わる。「日本ではマスクをしている人が圧倒的に多いのだ」。笑ってしまった。
  • ベビーカーに注目したのは水谷さん。2000年に行ったとき、フィンランドに限らず、北欧では男性も押していた。さてヘルシンキでは、ベビーカーを押して乗車する人は、「親であるか否かに関わらず、トラム、地下鉄、バスなどの運賃がすべて無料になるらしい」。調べたら、「らしい」が取れた。すぐにでもきる。日本でも実施してほしい。車椅子についても。現状は、割引どまりだったり、障害によって対応がちがったり、でややこしい。

2015/02/07

予備校の向こう側

今日は予備校での仕事。

いまどきの予備校もいろいろ観察してきた。

入口脇に、額のように紙が貼られている。

題は「年頭に祈る」。

新年おめでとうございます。
 今年は、「戦後七十周年」にあたります。日本人の八割以上が先の戦争を経験していないことになります。
 一方で、現在も世界各地で大小の紛争が続いています。日本の長い平和がいかに奇跡か、私たちは改めて自らの幸福に感謝すべきでしょう。
 この僥倖が受験生の夢の追求を可能にしています。自己の夢の実現がさらに多くの夢を育てる揺籃となります。
 代々木ゼミナールは、受験生の自ら信じる……

届いてほしい!

壁にはいろんなポスターが貼られている。

「大学生より、勉強してやろう。」(※大学に入っても勉強してほしい)
「この国に、受験生がいるかぎり。」(※全入時代で、いずれ絶滅種か)

地下の食堂の自販機に行くと、メニューに、日替合格ランチ460円、合格ラーメン410円、合格カツカレー390円と並んでいる。

これだけで予備校にいることがわかる。

2015/02/03

3本脚の椅子

島崎信+生活デザインミュージアムの『美しい椅子-北欧4人の名匠のデザイン』を読み始めた。

北欧では3本脚 Threelegged chairは珍しくない。その理由が書かれていた。

バランスのよさでは4本脚だが、
「作業場のような狭い所で使ったり、デンマーク人が好きな割り栗石の凸凹がある土間でも安定する椅子には、3本脚が適役だ」。

3本脚で美しいのはウェグナーの椅子とも。


落花生で豆まき。

2015/02/02

私かもしれない

平和主義に、積極も消極もないのに、
「積極的平和主義を推進」と、関連法整備に意欲を燃やす。

I am Kenji
その人を名乗ることで生まれる気持ち。それは「その人は私かもしれない」だろう。
そのとき、言えるだろうか。自業自得とか。

フルネームで呼んでくれてありがとう

スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。  ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。  シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...