2017/06/28

「きらら」ちゃんのインタビュー

「きららちゃん」が語るキラキラネーム差別
表記は漢字とのこと。

「まったく気に入っていません。普通の名前に憧れます」
「ゆかちゃん、りかちゃんみたいに違和感を抱かない名前にして世の中に溶け込みたいです」
「母は“まさよ”という名前なんですが、自分のよくあるありきたりな名前が嫌だったらしくて、子どもは派手な名前にしたかったみたいです」
「今さら、改名しましたってみんなに言うほうが恥ずかしいなと思います」
「もう23にもなると、自分の名前は好きじゃなくても、もうこの名前で生きていかなきゃという半ば諦めみたいなものも出てきているので」
「自分の子どもにつける名前は、ちゃんと漢字の読みどおりに読めて、日常生活で違和感を持たれない当たり障りのない名前をつけたいです」
「ギャルゲーのヒロインの名前です」
(略)雪菜(せつな)ちゃんとか、鈴羽(すずは)ちゃんとか(略)
「読み方は普通だけど、漢字が変わっていて、字面がかわいいキャラが多いんですよ」

セブ山『インターネット文化人類学』から。


2017/06/27

「自分の名前に潰されそうになった」

宇梶剛士(たけし)さんへのインタビューから

「剛士という名前は重荷だった。おあつらえ向きっていうか、デカいし、強い。それが確信犯で喧嘩ばかりして暴走族の上に上り詰めたのだから、廊下で『おお、こんにちは、久しぶり』って誰かの肩を叩いたときや、俺が重い物を持ってるときに廊下ですれ違ったときに女の子に肘が当たっちゃっただけで、女の子たちが真っ青になる。俺が『大丈夫? 大丈夫?』って聞いても答えられないくらい震え上がってる。そういうことの連続の中で、すごく自分の強さに息苦しさを覚えたりしたまま大人になってる」(『アエラ』2007年2月5日号の改稿)

藤井誠二 2009 『大学生からの「取材学」』講談社 から。
(同書は、徳間文庫カレッジで刊行されている)

2017/06/25

雰囲気?と名前

 しばらくして友人もできた。(略)同い年の男で岩間くんといった。「キヨシって雰囲気だね。漢字はセイケツのケツかな」。そう当てずっぽうにいうと彼は非常に驚き、どうして知っているんだろうとうろたえた。(略)そして「郎」が最後につけばよかったののにとつぶやいた。「どうして?」ときくと、「そしたら、“いわまきよしろう”になるだろ? 俺、RCサクセションが好きなんだ」。
 上等だ。ぼくもRCや忌野清志郎が好きなことでは負けていない。彼の下宿に行ったり自分の部屋に呼んだりして、音楽の話をしまくった。



 「昭和最後」の年、1989年のできごとだ。著者の原田さんは1970年生まれ。外見と名前の一致は意外に高いという研究がある。研究自体はイスラエルとフランスで行われ、名前の選択肢から選ぶというもの。

 原田和典 2017「書道セットとロックンロールオリンピックと私」『トラベシア』Vol.2, 84-86. から

2017/06/23

軍隊と漢字

 盧溝橋事件(1937年)以後、陸軍は増兵を重ね、40年には兵士は百万人を超えた。「このような中、兵器の名前も満足に書けない兵士というのは、陸軍にとって現実的に大きな問題となっていたのです。この問題を解決するため」同年、陸軍は兵器名称用制限漢字表を通牒(通知)する。同表は兵器名称に使う漢字を1235字に制限しただけでなく、84種類の略字を採用した。例えば、浅(淺)、囲(圍)。臨時国語調査会が編纂した『常用漢字新辞典』(三省堂編輯所)が同表にも採用された。
 同表作成の経緯を陸軍省兵器局長、菅晴次が国語審議会懇親会で発言している(以下、要旨)。
 現在陸軍で使用している兵器は2300種類に及ぶ。部品になると、もっと増える。それらには難しい名前が使われている。簡潔な感じを与える漢語、国粋主義に依る無理な翻訳語を用いる傾向がある。こうした軍隊語を簡易化したい。
 
安岡孝一 2011『新しい常用漢字と人名用漢字』三省堂

2017/06/20

よくしたいからと「わが国」

芦原義信『街並みの美学』。どのページにも、しかも複数、「わが国」が出てきて、そのつど思考が止まっていたのだが、読み進むうちに、忌憚のない記述が、それを克服してくれた。

『街並み』は1978年の本。もう40年前。この間、かれの提案が実現されていたら、と思わずにはいられない。

本書は、街並みガイド、建物ガイドである。街並みや建物の見方を教えてくれる。その先には日本社会への提案がある。隣地との50cmを道路側にもっていき、両側で1m幅の前庭をつくる。前面道路を内部化する提案だ。巨大な公共空間は道路にじかに塀を建てない。少なくとも5m、10mは後退させる(塀はないに越したことはない)。彼が注目した六義園の金網付き煉瓦塀(刑務所のよう。せめて生垣に)や、小石川植物園の万代塀は、いまどうなっているのだろう。

つぎの提案は、袖看板類の禁止。アマゾンなど外資系ショップは袖看板がない。そのため通りすぎることもある。しかし、そのぶん、建物が映える。街並みが落ち着く。電柱の廃止、路上物(街灯やベンチ、案内板)の調和も提案されている。
「身近な小さなものからでも実践にうつすことを提唱したいと思うのである」。

芦原さんの発想の前提にあるのは、自分の家の外側までを内部と考えること、あるいは家を外部と考えること。二領域の空間を同視することである。それですぐ頭に浮かんだのが、階段の上り下りの矢印だ。家の階段につけているという人はいるのだろうか。つけざるをえない混雑ぶりはわかるが、上下矢印をつけない選択肢もありうる。人間の学習能力に期待する発想だ。時間はかかるかもしれないが、試してみたい実験ではある。



古書をアマゾンで買うと、最低でも250円する。古本屋では、それがアンカーになり、これよりも安いものが見つかると、買ってしまう。古書店に行く機会も増えた。芦原さんのこの本(同時代ライブラリー)は、正続2冊で210円。

2017/06/17

Jetten et al. 2017:経済格差のインパクト

「経済不平等に対する反応と社会的アイデンティティ」
Jolanda Jetten, Zhechen Wang, Niklas K Steffens, Frank Mols, Kim Peters, Maykel Verkuyten
2017
A social identity analysis of responses to economic inequality
Current Opinion in Psychology, Volume 18, Pages 1–5
https://doi.org/10.1016/j.copsyc.2017.05.011

ポイント
・不平等の進行は社会の社会的・政治的活気を減じる
・経済不平等は財産格差を促し、「われわれ」対「かれら」という力関係を強める
・不平等を問題と扱うためには、不当なものとして可視化、評価することが必要である
・社会構造的文脈は不平等が不当なものとみなされるかどうかの認識を形成する
・不平等に対する反応の貧富集団差は関心のちがいを反映する

Highlights
• Growing inequality has hidden costs for societies’ social and political vitality.
• Economic inequality enhances wealth categorizations and ‘us’ versus ‘them’ dynamics.
• For inequality to be seen as a problem, it needs to be visible and appraised as unfair.
• The socio-structural context shapes perceptions whether inequality is perceived as unfair.
• Wealthy and poor groups responses to inequality reflect different concerns.



同誌から2編。

Current Opinion in Psychology
Volume 19,   In Progress   (February 2018)
特集 Aggression and violence

「さまざまな文化や文脈における暴力の予防と抑止」
Aggression prevention and reduction in diverse cultures and contexts
Pages 49-54
Farida Anwar, Douglas P Fry, Ingrida Grigaitytė

Highlights
•Nonviolent social norms and values can play an integral role in reducing aggression.
非暴力という社会規範や社会価値は攻撃抑止にとって欠かせない働きをしうる
•Societies can promote peaceful values through nonviolent childrearing practices.
社会は非暴力子育ての実践をつうじて平和の価値を促しうる
•A well planned nonviolent resistance can win rights with little bloodshed.
十分に練られた非暴力抵抗はほとんど流血なく権利を手にしうる
•Media coverage can promote nonviolence as a promising alternative to violence.
メディア報道は暴力の有力な選択肢として非暴力を促しうる

「武器効果」
The weapons effect
Pages 93-97
Arlin James Benjamin Jr, Brad J Bushman

Highlights
•The mere presence of weapons increases aggression—called the weapons effect.
武器の存在そのものが攻撃を増す(いわゆる武器効果)。
•Weapons prime aggressive cognition.
武器は攻撃認知を促す
•Weapons influence primary and secondary appraisal processes.
武器は一次的にも二次的にも状況判断過程に影響を及ぼす
•The weapons effect is replicable both in the US and internationally, across student and non-student samples, and in both lab and field experiments.
武器効果は米国でも国際的にも見られる。それは学生サンプルでも非学生サンプルでも、実験室実験でもフィールド実験でも

2017/06/16

改名の判例

日本は改名の敷居が高い(最近の申請件数は年間で7千件台)
一度つけた名前(戸籍名)を変えるには、戸籍法により家庭裁判所の審判で「正当な理由」があると認められた場合に限られている。正当な理由とは、以下の5項目。

(1)珍妙な名前や、難しくて正確に読まれない名前
(2)同姓同名がいて不便
(3)異性、外国人とまぎらわしい
(4)神官、僧侶になった場合や商売上の襲名
(5)通称名を長く使っている

言葉尻?をとらえると、たとえば、珍妙とは?、たとえば不便とは? ときりがないが、認容率は7割台にとどまる。他のアジア諸国で見られるような運勢による改名は認められていない(たとえば、台湾は3回まで変更でき、その理由に運勢も含まれる)

実際は裁判官の考え方にも左右され、安岡孝一さんの日記記事 「玻南ちゃん命名事件」の判例解説(2011年1月31日)にもあるように、改名承認の基準は一貫していない。中期的戦略としては(5)がありうる。

法学的には、命名は本来、本人が行うもの。しかし現実には無理なので、誰か(多くは親かな)がそれを代行すると解釈されている。したがって、本人の意向で、上記以外の理由でも改名できるようになってもいいのではないだろうか(日本の場合、改名申請は本人が15歳以上とされている)



韓国の改名(ハングルドットコム韓国語教室)


2017/06/14

犠牲!?

あるデザイン関係のシンポジウム、登壇者はデザイナー3名。

質問タイムで、フロアーから女性(同業者だろうか)が発言した。

「今の職業に就くために犠牲にしたことはありますか?」

ふられた2人の男性デザイナーはちょっと考えて、「ないですねえ」と応じた。
残った女性デザイナーは「ある」と言い、「結婚です」と続けた。

そのあっけからんとした発言に、進行役の男性デザイナーも驚いたのか、「ずいぶんはっきり言いますねえ」と笑いながら応じた。

会場からも笑いが起きたが、よく考えると、笑えない。

時間切れで、結婚を断念した理由に話は及ばなかったが、仕事が楽しくて、というふうには見えなかった。



こんな記事があった。
【デザイナーは結婚できない職業 !?】未婚が多い理由とは?

デザイナーが結婚できない職業とは知らなかった。

くだんのデザイナー(なんとかデザイナーではなく、「デザイナー」の前に何もつけないのがいい)には結婚意思がある。質問は過去形だったが、回答も過去形にならないよう願うだけである。

2017/06/13

ダイ・ハード3の二重構造

 戸田山和久さんの連載「とびだせ教養」がおもしろい(ちくま)。第3回は「たかが知識、されど教養」。

知識がないと、ダイ・ハードだってわからない !
 「ダイ・ハード」はよく知られたアクション映画。
 しかし……

 ダイ・ハード3にこんな場面が出てくる。前段がわからないと雰囲気も事情もわからないが、そこは本編を読んでほしい。日本語字幕で再現すると、こんな感じになる。

マクレーン「悪かったよ」
ズース(アフリカ系男)「ジュースと呼んだな ?」
「違うのか ?」
「ジュースじゃない。俺の名はズース(ゼウス)だ。ギリシア神話に出てくる。ゼウスはたたりの怖い神だぞ。文句あるか ?」

 これを、彼が「ちゃんと訳すと次のようになる」。

「オーケー、ヘズース。巻き込んじまって悪かったな」
「どうして、さっきから俺のことをヘズースって呼ぶんだ。プエルト・リコ人に見えるか ?」
「さっきの奴がヘズースって呼んでたじゃないか」
「そうじゃない。あいつは「ヘイ。ズース」って言ってたんだ。俺の名前はズースだ」
「ズース ?」
「ズースだ。オリンポス山の。アポロンの親父と同じ。俺を怒らせるとケツの穴に雷落とすぞ、のズース(ゼウス)だ。文句あるか」

 ヘズースはイエスのスペイン語読みで、ヒスパニック系にはよくある名前らしい。ニューヨークでヒスパニックといえば、まずプエルト・リコ人。マクレーンがヘズースと聞き違えたのを訂正する際、ズースが「プエルト・リコ人に見えるか ?」と言うのはそういうわけだ。
 これでも、会話がよくわからない。実は単なる名前の間違いではない、と、このあとの場面を説明してくれる。よきサマリア人がの譬え話が出てくる。考察が一段と深まる。教養のなせる技だ。

 ジェームス・キャメロン監督は、ターミネーターについてインタビューでこう言っていると、紹介してくれている。

 プロデューサーのゲイル・ハードと僕は二つのレベルでうまくいく映画をつくろうと考えた。12歳の子が、こんないけてる映画見たことないと思うようなアクションとして、そしてスタンフォードの45歳の英文学教授には、社会政治的意味合いが隠されていると思ってもらえるようなSFとして。

 勉強がまったく足りない、と痛感。

2017/06/12

「合法」的兵役拒否

1873年、徴兵令が出る。はじめは免役規定があった。

  1. 一家の主人
  2. 一家の跡継ぎの息子や孫
  3. 一人息子や一人孫
  4. 養子

この免役規定知識を広める人間がいた。実質、兵役拒否運動家でもある。
 その人たちは、あそこに子なしの家があるということを教えてやっている。すると、子だくさんの親類からは非常に頼もしがられる。あそこに廃絶した家があるとそれを再興したりして、どんどん新しい名字を名乗って、家の長男とか養子にした。これを兵隊養子とか兵隊分家とか呼んだ。そのときに新しい名字をつくって、それを今日まで伝えている家は少なくない。自分の名字が、明治の兵役拒否運動のなごりであるという人は、いまも全国にたくさんいる。自分の名前の意義を深く考えれば、そのなかに先祖の兵役拒否の願いがこもっている。そこに思想史的な血脈がある。
鶴見俊輔 2016 「兵役拒否と日本人」『敗北力』所収


名字自体に特徴があるわけではないだろうから、該当者を発掘するのは大変そうだ。


2017/06/11

鶴見俊輔の『敗北力』から

「兵役拒否と日本人」(自著未収録稿)
 幣原を決意させた満員電車の声
  ……幣原喜重郎の自伝『外交五十年』という本がある。
 彼はそのなかで「よくアメリカ人が日本へやってきて、今度の新憲法というものは、日本人の意思に反して総司令部のほうから迫られたんじゃありませんかと聞かれるのだが、それは私の関するかぎりそうじゃない、決して誰からも強いられたんではないのである」「私は戦後、はからずも内閣組閣を命ぜられ、総理の職についたとき、すぐに私の頭に浮かんだのは、あの電車の中の光景であった」といっている。
 その電車の中の光景というのは(略)。
 二十代ぐらいの男が大きな声で、向こう側の乗客に向かって、こういっている。
 「いったい、君はこうまで日本が追い詰められていたのを知っていたのか。なぜ戦争をしなければならなかったのか。おれは政府の発表したものを熱心に読んだが、なぜこんな大きな戦争をしなければならなかったのか、ちっともわからない。戦争は勝った勝ったで敵をひどくたたきつけたばかり思っていると、何だ、無条件降伏じゃないか。足も腰も立たぬほど負けたんじゃないか。俺たちは知らぬ間に戦争に引き入れられて、知らぬ間に降参する。自分は目隠しをされて屠殺場に追い込まれる牛のような目にあわされたのである。けしからぬのは、われわれを騙し打ちにした当局の連中だ」 
 民衆体験から生まれた非戦憲法 
 戦争に対する反応の仕方は過去の問題ではなくて、われわれの未来に属する問題であった。このことは、その後もあらわれてくる。十五年間の戦争に対する各個人の抵抗曲線は、そのままいまの日本の軍国主義的傾向の復活に対する抵抗曲線としてあわられている。

鶴見俊輔 2016『敗北力』編集グループSURE



 ただでさえ、いいものはいい。ましてや中から生まれたものであれば、それは希望だ。

2017/06/10

Okulicz-Kozaryn 2016:住む場所と幸福

Adam Okulicz-Kozaryn
2016
Happiness and Place: Why Life Is Better Outside of the City

This book is about places - cities, suburbs and towns - and happiness of people living there. Taking an interdisciplinary approach, Okulicz-Kozaryn examines the relations between human happiness and the infrastructure of the places they live. This thought-provoking(示唆に富む) book argues for the overlooked idea that we are happiest in smaller areas.

Sample
https://books.google.co.jp/books?id=IdtTCgAAQBAJ&pg=PT73&lpg=PT73&dq=Happiness+and+Place:+Why+Life+Is+Better+Outside+of+the+City&source=bl&ots=pm5yTDPbGI&sig=10Y1i5Pzb457-7wHleIq_dx0MaE&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwj-6obZ-7LUAhVGgLwKHUb3C0gQ6AEIUjAG#v=onepage&q=Happiness%20and%20Place%3A%20Why%20Life%20Is%20Better%20Outside%20of%20the%20City&f=false

Book review
http://blogs.lse.ac.uk/lsereviewofbooks/2015/12/18/book-review-happiness-and-place-why-life-is-better-outside-of-the-city-by-adam-okulicz-kozaryn/

2017/06/09

痕跡学事始め

6月1日、りえこさんの「メディア制作ワークショップ」でゲスト講義。
その記録がアップされた。
第1回は、痕跡学
のびのびやっています。
服装がりえこさんとシンクロ。モノクロ、丸と三角。



第2回は7/20。名前学。
服装,シンクロするかな。

2017/06/08

オープンエンド会話のすすめ

 ニュース画面でクロール(画面に流れる文字情報)が始まったのは1981年。イラクの米国大使館人質事件が起きたときだ。最新情報を知りたがった視聴者にこたえて。「人質事件は終息したが、私たちの注意力を分割するスクロールは残った」。

シェリー・タークルの『一緒にいてもスマホ SNSとFTF』(日暮雅道訳)から。

 本書の主張は「会話の復権」。ただのおしゃべりではなく、オープンエンディッドな会話。つまり、イエス・ノーで答えられないような会話だ。デジタル依存へのレジリエンスがあるうちに、ネットなし時代を経験している人がいるうちに、生まれついてからネットあり・デジタルあり世代だけになる前に、という意味でもある。
 手書きで原稿を書いてきた経験があると、ワープロのありがたみはわかるが、ワープロで書いてきている人はどうなのだろう。

さて、この本で知った用語がいくつかある。
  • ファビング phubbing スマートフォンをはじめとするモバイル端末に熱中するあまり、現実社会で居合わせている人へ意識を向けず、コミュニケーションが阻害されてしまっている状況を指す語である(「IT用語辞典バイナリ」から)。
  • グレイジング grazing あちこちで、いろいろなことを拾い上げ、そうした断片をかき集めこと。まとめサイト作成もこの一種だろう。


 なぜふれたのかわからないが、訳者あとがきの最後に、「シーモア・パパートは、タークルの元配偶者」と出てくる。知らなかった。

つながっていても孤独?」(TED)は、彼女のシリーズ3作めAlone togetherの内容。

2017/06/07

「かな」の効用かな

 壺は夫も好きなので、家の中にごろごろとたくさんあります。そのまま置いたり、花を生けたり。この中国の壺は、偶然どちらも蓮の花と唐辛子のモチーフ。小学校の先生が私の"かれん"という名前に『花蓮』という字を当ててくれたのがきっかけで、ロータスは私にとって大切な花になりましたし、幸福や繁栄を象徴する子供のモチーフも好きです。

「桐島かれん、アジアで見つけた私だけのもの。」から。

madame FIGARO Japon 7月号



「可憐だね」では広がらないけど、花蓮だと、花の話題に行ったり、台湾の花蓮に行こうかとなったりする。「かな」はことば遊びができる。

2017/06/06

発想としての「3」

ある座談会で、外語大の沼野恭子さんがこう言っている。
 相対化について言いますと、日本語と英語だけではなく、もう1つ別の言語を学ぶということがとても大事だと思います。3つの言語を知ることによって三角形が形成され、ものの考え方がより相対化されます。
 二点では直線にしかなりませんが、3つの点があって三角形になることで空間化する。さらに多ければ円に近づき、ますます相対化することになる。これが人間の幅につながるのだと思います。
 最近の日本の風潮としては、第二外国語をとらなくていいという学校が増えています。これはとても残念なことで、言語の初歩をかじるだけでも、「こんなに考え方が違うんだ」という発見のある場合があります。
ことば以外でも、3の意義はあてはまる。社会は3人から。だし、二分類がうまくいかない場合、いきなり4になると、4象限を構成する2軸を考えなければならない。しかし、うまく行く保証はない。4点は結び方によってねじれるが、3点だとねじれない、とか。「はい」と「いいえ」の中間も絶妙だし。

国際比較も3カ国になると、ひろがる。ボクがよく引用するのは米韓日の浮気調査(Buss, et al., 1999の研究)。回答者は大学生。身体的浮気と心理的浮気のどちらを嫉妬するか。

Buss, D. M., Shackelford, T. K., Kirkpatrick, L.A., Choe, J., Lira, H. K., Hasegawa, M., Hasegawa, T., & Bennett, K. (1999). Jealousy and the nature of beliefs about infidelity: Tests of competing hypotheses about sex differences in the United States, Korea, and Japan. Personal Relationships, 6, 125-150. 結果を要約した表はここにある。神野雄 2015「嫉妬研究の概観と展望」のTable 1。

2017/06/05

通名をつかう理由の世代差

金明秀さんと一緒にやった『在日韓国人青年の生活と意識』(東京大学出版会、1997)の質問紙調査で決着がついた。在日韓国人青年の8割弱が「まったく通名だけ」「ほとんど通名」もしくは「通名の方が本名より多い」生活をおくっているところ、「差別されないためには、通名を使わざるをえない」という意見に対して賛意を示した回答は3割に満たなかった。それに対して、「本名であれ通名であれ、自分になじんだ名前で生きることが自然な生き方だ」という意見に賛意を示した回答が7割を超えた。

以上、下記「あとがき」からの引用。このくだりは『在日韓国・朝鮮人』の59から60ページの記述と関連している。
オールポート, G.W. (1942)(福岡安則(訳)2017『質的研究法』弘文堂)



本書は『心理科学における個人的記録の利用法』の改訳。訳者は大場安則。上記の本で、大場さんが福岡さんであることを知った。

2017/06/04

握手の魔力

伊格言(エゴヤン)さんが、講演のおまけでいくつか台湾事情を紹介してくれた。先日の同性婚の公認に加え、「死亡之握」現象がでてきた。スライドには、馬英九さんが犬と握手している写真も出てきて、当の犬はそっぽを向いている。

死亡之握(死の握手)を検索するとヒットした記事がこれ。
「第1回は、馬英九総統が握手などで接触した人に不幸をもたらすといううわさが広まっている現象を紹介します」。
https://www.ys-consulting.com.tw/news/48725.html
例外は安倍首相とか。

辺見庸が『闇に学ぶ』で、(民主政権時代の)ポル・ポトと握手したときのことを書いている。
「彼の大きな掌はマシュマロみたいに柔らかで温かかった。『手とは不思議なものだ』。候補者に握手された選挙民みたいに『私はいっぺんでポル・ポトを好感』したほどである」。

辺見の分析はこうだ。
「偉くなるにつれ、徐々にマシュマロ化していったのではないだろうか。手が変化したのだ。いったんマシュマロになった手は、じかに手をくださない。『殺せ』と指さすだけだ。指示するものの手はますますふやける」。

当のポル・ポトは、自分と同じようなふわっとした手の人を殺害対象にしていた。労働者ではないという理由からだ。

握手は、いま相手に触れる貴重な機会でもある。ネットではできないし……。

選挙運動では、候補者名の連呼と「握手」がキー。

伊格言(倉本知明訳)『グラウンド・ゼロ 台湾第四原発事故』白水社



BBC Japan「トランプ氏との握手合戦は意図的と仏大統領 あれは「真実の瞬間」

2017/06/03

こんな日もある

ホームで、外国人に「この電車は初台に止まるか」と聞かれ、咄嗟に「止まらない、次の次の電車であれば」と発車間際の車内から答えた。それで正解なのだが、プラクティカルな意味では正しくなかった。

発車間際のこの電車に乗って、笹塚で各駅停車に乗り換えれば初台に行けるからだ。「止まるか?」と聞かれたので、そのレベルで反応し、「止まらない」と言ってしまったが、初台に行くための質問と考えれば正しい回答ではなかった。悪いことをした。

この日は一日じゅう頭がよく回らなかった。

2017/06/01

「辺」と「邉」

週刊文春の連載マンガ「タンマ君」(東海林さだお)。
6月8日号に、名前ネタが載っている。
タンマ君
「渡辺くん、ちょっと」
わたなべくん
「いま、どっちで呼んでくれました?」
のほうで呼んでくれました? それとものほうですか?」
タンマ君
「あ いや…」
「ついうっかりのほうで」
わたなべくん
「困るんです それじゃ」
タンマ君
「どうする? こいつ」
と、近くにいた同僚に相談すると「ヘタにあしらって将来出世された時に困るし」



確かに人の名前を呼ぶ時、文字が頭に浮かぶ。「」のときは、少し時間をかければいいのだろうか、画数分だけ。

フルネームで呼んでくれてありがとう

スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。  ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。  シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...