荒井裕樹(ゆうき) 「相模原障害者殺傷事件」への「怒り」は足りていたか
「情報・知識&オピニオン imidas」(集英社)
この論考を中島岳志さんの「論壇時評」(東京新聞夕刊)で知った。
表題にもあるように、荒井さんは、あの事件に対する「怒り」不足をつく。なぜ、怒りの「熱量」が上がっていないのか。文中で障害者運動家の故横田弘の怒りに言及する。
彼の怒りの特徴の一つは共生のための怒り。もう一つは空気を読まなかったこと。
荒井は、怒りと憎悪の違いを強調する。憎悪は相手を拒絶する感情、怒りは相手を認め、つながることを意図している。
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ボクは、もしかしたら、その人かもしれない。ボクを含む誰もがその人かもしれない。ならば、「その」人に対して、誰が憎悪できよう。怒りはありえても、憎悪はありえない。自分を憎悪することになるのだから。
同じような問題を共感で解こうという人もある。しかし共感と言った途端、能力が問われる、共感能力として。能力とは個人のもの。その力量には個人差がある。そんなものに期待はできない。「もしかしたら、私かもしれない」。
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「空気を読まなかった」であることを思い出した。先日発表された内閣府の生活に関する世論調査である。満足していると答えた人の割合が過去最高だという。調査は対面式でなされている。目の前の調査員に「不満」と答えたら悪いだろうなあ。空気が読めない人と思われたくない。と思う人が増えているのかもしれない。もとより否定的な回答はしにくいもの。それを後押ししたのがこうした気持ちではないだろうか。
2017/08/29
フルネームで呼んでくれてありがとう
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