日経夕刊20250306
「わたしの名前は」永井玲衣
永井さんは「対話の場」では、いわゆる「自己紹介」をしてもらわず、代わりに「自分で自分に名前をつけてもらい、由来とともに教えてもらうことにしている」という。「ここではふだんとは違う場をつくるので、できればふだん呼ばれていない名前にしてほしい、ともお願いする」。
そこには、こんな背景があった。以下は抜粋。
学生時代に参加したある対話の場でも、同じように呼ばれたい名前を言う機会があった。わたし以外の参加者は、むしろ嬉しそうに自分の名前を名乗っている。ひとりがある名字を伝えたあと、こう言った。「ここでは、旧姓で呼んでもらえるからうれしい」。わたしは胸を打たれた。そして、ようやく、この行為の意味がわかった。あれは、主体性の手触りを感じる時間だったのだ。名前を教えてもらうのは楽しい。いつも開け忘れてしまうから「カーテン」。昨日の夜に半分だけ食べたから「キャベツ」。そのひとのことを知れるような気がする。「コスモス」という名前を教えてくれたひとがいた。目が見えていたときの記憶からつけたという。そのひとは全盲だった。「思い出すとかなしい気持ちにもなるんだけれども、でもやっぱりうれしくもなるから、ね」。自分で自分に名前をつける。そのときにひとは、たくさんのことを乗せている。大切なそのひとの生がきらめいている。わたしはそれを忘れたくないと思う。
改名の敷居は低くてよい。と思う。マイナンバーが付与されているのだから、せめて。