「#ママ戦争止めてくるわ」が、国内の「トレンド」1位になったとの記事が今日の新聞に載った。が、選挙が終わってからの報道というのがやるせない。報じるなら投票日前。選挙が終わってからの政権批判はおためごかし。政権は痛くも痒くもない。
原発再稼働や新党結成を報じる記事の見出しには、たいてい「期待と不安」が付く。不安のほうが強くても、だ。やれやれ。
「#ママ戦争止めてくるわ」が、国内の「トレンド」1位になったとの記事が今日の新聞に載った。が、選挙が終わってからの報道というのがやるせない。報じるなら投票日前。選挙が終わってからの政権批判はおためごかし。政権は痛くも痒くもない。
原発再稼働や新党結成を報じる記事の見出しには、たいてい「期待と不安」が付く。不安のほうが強くても、だ。やれやれ。
日経「私の履歴書」で、大石芳野さんの連載が始まった。第1回は2月1日、全27回。その第6回「古代の魂」で、ドキッとする記述に出会った。1971年、パプアニューギニアに撮影で出かけたときの話である。
夢中で撮っていたある日、集落に住む男性に突然、妙なことを聞かれた。「日本人は人を食うのか?」
一瞬、なんのことかわからなかった。が、次の一文で、その疑問が解けた。
パプアニューギニアは太平洋戦争中、大規模な戦場となった地である。日本軍の物資補給が破綻し、兵士は飢餓に苦しんだ。この男性は「日本の兵隊が人を食べているのを見た」と言う。/彼の表情に嘘やからかいは感じられない。たしかにその情景を見たのだろう。私がそこに暮らす人々に深く魅惑され、魂の故郷のような愛着をおぼえていた地に、戦争の、それも日本人が関与した戦争の影が刻まれていることに強いショックを受けた。
大石さんがどう応じたのかは書かれていないが、私だったら、どうだったろうか。私も書けそうにない。
心理学の教科書では、人の行動は見えるけど、心は見えない。というフレーズを目にする。そして、だから心理測定が欠かせない。とし、議論は心理尺度の説明に移る。
しかし、行動も見えないのではないだろうか。録画するにしても、視点は限られる。そのことを考えるだけで十分だろう。
シニアメガネさんの今年の目標もぜひ。そう(賛同の意)。「ムリしない」
* * *
今年の新春は大室山で。こんな山が、こんな地形が実在するとはびっくり。実は、行った日は強風でリフトが運休。ここは環境保全のため登山道がなく、リフトでしか上に上がれない。しばらく待つも凪ぐようすはなく、翌日出直すことにした。朝から快晴で無風。ホームページで動いていることを確認、チェックアウト。リフト乗り場は、前日乗れなかった人たちもまざってか、長ーい列。乗るまでに40分かかった。が、待った甲斐あり、絶景。
下山後、伊東駅前の「SAZANKA」本店でMt. Omuro Sweet(マウント オオムロ スイート)なるフレンチトースト(一個200円)を購入。家に戻って、そのパンにリフト(のようなもの)を設置。今年初の作品(まあしばらくは、すべて今年初ですね)。
朝、奄美新聞(左写真)で目にして、風葉感がいいなあと思いつつ(目にした回はススキが主役。風でゆらゆらしていたススキ。風が止んで一息かと思いきや、「することがないなあ」と一言)、その足であまみ庵に行くと、なんと、そのセレクションが入り口に置いてあった。すぐに出会えるとは思いもしなかった。作者の自費出版。206ページ、700円。
市内散策後、パン屋さん(サンドイッチカフェ奄美)で読み始めた。
2022年刊とあるので、続編は?と思い、調べたら、Kindle版が出ていた(全7巻、各32ページ、99円。Kindle Unlimited会員は無料)。ボリュームからすると、いま手にしている紙版を分冊にしたもののようだ。
ほしい人はまず奄美共同印刷か。ほかに連絡先がない。0997-52-9899。
一年ぶりの奄美。あたたかい。
***
追伸 ダウンロードしたKindle版は違う内容だった。全巻購入。
静岡新聞デジタルの記事「誰が?なぜ? 富士山登山道に無数の矢印 富士宮口6~8合目の岩などに塗料で 登山ガイド「許せない」」から。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5ad0b8dc96ba614210b27bf0b92e38f35154b499
「洋上の楽園」から「地獄」へ…ダイヤモンド・プリンセス号集団感染は人災だったのか?
乗客だった千田忠(79=元酪農学園大教授)は「記録しなければ」と、客室の内線電話を使い、乗客の聞き取り調査を始めた。
「持病の薬がもうない」「熱がある」。悲惨な状態にメモを書き留める手元は震え続けたという。
千田さんたちは、あの時の乗客らとつながり、週に1度、「あの船内隔離は何だったのか」と勉強会を開催している。
千田は憤慨する。「政府は独自の検証検討をせず、無責任に見切り発車させた。再び感染症が起きたら、責任を寄港する自治体に丸投げする構造はまったく変わっていないのに」「この国はどれだけ命の犠牲を払えば気が済むのか。再び同じ轍てつを踏むことにならないか」。
家の解体工事現場。コンクリートを破壊したり、廃材をトラックに積んだりする音がそれなりにする。トラックの荷台の上では、作業員の人が積み具合を調整している。そこに、近所の人が家から出てきて、1枚の紙を彼に手渡した。何のやりとりだろう。気になって立ち止まると、少し声が聞こえてきた。
そのA4の紙には時間が書かれているようだ。その時間にZoomをやるので(取材か出演かはわからない)、工事音を入れたくないらしい。そこに書いた時間帯だけ作業をやめてくれないかというお願いらしい。作業員の人は振り返って「中断できる?」とか聞いている風だった。その時点で、その場を去ったので、最終的にどうなったかはわからないが、これもコロナ禍の新しい風景と思った次第です。
さて、同業の友人から「ストピ」情報が届いた。もっか、よみぃ君ただなか。
2日後の動画↓
その広告が今日も載った。
調べると利子は1.68%だ。いま普通預金の利子は0.001%。
国がやることではない。政府がやるべきなのは奨学金(利子ゼロ)。本来は給付、あるいは無償。教育ローンではない。
受益者負担を言うなら、教育の受益者は社会。いまを生き、これから生まれる人たちだ。
紀要に「インタビューとコミュニケーション」という大雑把なwタイトルの論考を書きました。
冒頭「ある時期から、授業でインタビュー法を取り上げるようにしていた」。
最終行「あとはインタビューするだけだ」。
前々号に書いた「インタビューを書く」とセットです。内容的には、こちらのほうがあとなのですが、書きやすいほうから書いた結果です。
どちらも、「過程としてのインタビュー」、つまり企画から読まれる文章にするまでをインタビューととらえ、それを大学教育に取り込んでほしいとの思いで書きました。
マスクをめぐるシュピーゲルの記事は、コロナ感染で重症化する危険の高い難病の女性が「自分にとってマスクは危険からの自由を意味する。友人たちがそれを理解したうえで着けてくれるのがうれしい」と述べたという件で締めくくる。
マスクは思いやりの証であるとの認識が、ドイツでも広がりつつあるようだ。
マスクの着用は思いやりではなく、感染防止。言うならば安全のため。なぜ、それが思いやりという個人の問題になってしまうのだろう。
同じ新聞に、こんな記事が載っていた。これは記者の文章ではなく、都庁の話。
「都庁、7ヶ月間利用休止。おもいでピアノ再開」
新型コロナの感染拡大で2月末から休止していた都庁展望室のピアノの利用が再開した。本体を草間彌生がペイント。駅ピアノとか空港ピアノのようなものだが、なぜか利用時間を11時から12時、14時から15時と限定している。不自由な話だ。このピアノ、なぜ「おもいでピアノ」とネーミングしたのか、都庁の人の発想がわからない。ただの都庁ピアノでよい。
いま都庁のプレスリリースを見たらこう書かれていた。
見出しは「都民の方から寄付を受けた、思い出のつまったグランドピアノ」。
ボクなんか、むしろ思い出から自由にしてあげたいと思う口だ。弾き手も場所も変わったのだから。
思いやりとか思い出とか、なぜ、わざわざ感傷的な表現を採用するのだろう。
方方 1955年、中国・南京生まれ。武漢在住の著名な女性作家。2010年、中国で最も名誉ある文学賞のひとつである魯迅文学賞を受賞。武漢を舞台に、社会の底辺で生きる人々の姿を丁寧に描いた小説を数多く発表。
武漢日記は中国版ツイッター「微博」(ウェィボー)で毎晩公開された。これを読まないと眠れないという人まで出てきた。この日記、吉岡桂子さん(本当は吉の上の横棒が短い)が『世界』8月号でしている。「『武漢日記』に宿る特殊の中の普遍」。
最後の小見出しが「特殊の中の普遍」。日記という個人的記述が持つ意味を、この言葉で吉岡は強調する。日記やインタビューといった個人的記録の重要性が凝縮された表現だ。
日記を始めた動機にも通ずるが、記録の大切さを訴えていた。「文章を書ける(ような教養のある)武漢人は(感染が拡大した)一月以降に自分が見聞きしたこと、感じたことを記録してほしい。今度の災厄に対して集団の記憶を残すのだ。(中略)身内を失った人々を探し、医師を探し歩くところから家族を失うまでの過程を記すことを助けてあげてほしい」(3月9日)。国家が都合よく編集し直した歴史でなく、人々がそれぞれに編む歴史の大切さを指摘したものだ。
「一つの国が文明国家であるかどうかの(略)唯一の尺度は、弱者にどう接するか、その態度だ」(2月24日)。
特殊の中に普遍がある。二〇二〇年の新型コロナウイルス禍を振り返るとき、世界で必ず読まれる作品になるだろう。
中国で出版される日が来ることを期待する。
ツイッター
https://twitter.com/MFATNZ/status/1291187048372568064?s=20
75 years ago the world saw the catastrophic humanitarian consequences of nuclear weapons. It must not happen again. Only nuclear zero is worthy of the victims of Hiroshima & Nagasaki. PM Ardern urges all States to join the Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons.
75年前、世界は核兵器の破滅的な人道的影響を見ました。それは二度と起こしてはならない。核ゼロだけが広島と長崎の犠牲者に値する。アーダーン首相はすべての国に核兵器禁止条約に参加するよう要請する。
アーダーン首相のメッセージ
世界が新型コロナウイルスに対応するチャレンジに直面し続けるなか、広島と長崎への原爆投下から75年を迎え、世界で起きた出来事の破滅的な影響を思い起こさせます。
1945年8月、世界は核兵器が何をもたらすのかを初めて目にしました。
最悪の結果を生み、爆撃の衝撃で亡くなっただけではなく、その後も長く続く放射能の後遺症で、人々に想像もできない苦しみや被害をもたらしました。
それ以降も、太平洋などでの核実験による悲惨な影響を目にしてきました。
現存する1万3000個以上の核弾頭の一つ一つが、広島や長崎で目の当たりにしたよりも強大な破壊力を有しています。
たった一つの爆弾が、破滅を意味します。そして、核戦争がそこで終わるとは誰も信じてはいません。
数百万人の命を一瞬にして奪い、環境に取り返しがつかないダメージを与えます。専門家は、いかなる国家や国家の集団、国際的な組織も、核戦争の影響に備えたり、対処したりすることはできないと警告しています。
備えることができないのなら、食い止めるしかないのです。
国連のグテーレス事務総長も言うように、国際的なコミュニティは、核の非武装化に向けた取り組みを再度活性化させなければなりません。人間性を守ると呼んでいます。
他人や将来の世代に残すことのできる課題ではありません。
ですからニュージーランドは、大多数の国連加盟国とともに、核兵器禁止条約を採決したのです。
私は、核兵器根絶に向けて必要不可欠なステップとして、そして全ての核保有国の核兵器ゼロの達成を含めた地球規模の交渉を求めて、他国もこの動きに加わり、このランドマークな条約を広めることを要請します。
このことが唯一、広島と長崎への原爆投下や、太平洋などでの核実験によって苦しめられた人たちに対する報い、レガシーとなるのです。
濵田理央訳
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f2b76d1c5b64d7a55ee98d7?utm_hp_ref=jp-homepage