1980年代、レーガンと中曽根が、ロン・ヤスとファーストネームで呼び合うというので、それが二人の親しさのように語られたことがあった。しかし、だからといって「特別な親密感情」が込められているとは限らない。
昨日、読んだエッセイ集『異文化理解の落とし穴』で、あらためて強調されている。
著者の張さんは中国出身で、いま日本の大学の教員。
「漢字の原音読み」という項が面白かった。留学生の名前のルビが人によって違うので、気になっていたからだ。ある学生は、名字が中国語読み(正確には中国語風)で名前が日本語。ある学生は全部、日本語読み。理屈上は全部、中国語読みもありうる。著者は、漢字は音を伴わないからこそ共有されている、と説く。「中国人は自分の名前が日本語ふうに呼ばれても、まったく気分を害することはない。それどころか、ほとんどの人が大いに面白がっている」。最大の理由は「中国語を原音で表記しても無意味だから」と。
名前インタビューで出てきた話と関連することが出ていたので、メモ。
・いまの中国では偶数が好まれる、とりわけ六。「福禄寿」の「禄」と発音が同じだから。ここ数年、異変があり、「八」人気が六を追い越した。「発」に発音が似ているからだと言う。発は、金持ちになるという意味。
・カメを、話し言葉で烏亀(ウクイ)と言う。発音が汚閨と同じため、カメは嫌われものになってしまった。
◎おまけ
「日本ではよほどの事情がないかぎり、誰もが毎日風呂に入る」。中国では珍しい。その代わり、就寝直前に足を洗う人が多い。とあるが、「 」内はそうなのだろうか。僕は一日おきが基本。みんな毎日入るのだろうか。