2012/06/12

「ぱーっ」とやりたい

卒論指導がてら、世間話になった。

ひとりの学生は昨年一年、日本中を旅していた。青森ではことばが聞き取れなかった経験をし、沖縄ではおばあたちの歓待を受け、しかも泊めさせてもらったそうだ。都会を離れると、人なつこい人によく出会う、とも。「東京にいると、息苦しくて」。今年は、日本語の通じない海外に行きたいと言う。就職面接では、将来、海外で○○になりたいので、30ぐらいになったら辞めるかもしれないと言って通ってしまった学生だ。

もう一人の学生は進学をめざしている。「大学に来て、ようやく勉強したいことがわかった」。高校時代に、こうした経験ができればよかったと高校不要説。高校時代の話に及ぶと、ニュージーランドにホームステイし、のびのびできた。人もフレンドリーで楽しかった。「日本は息苦しい」。進学できなかったら、できないで、やろうと思っていることはあるので、そちらに行きたい、と。

何か事件があると、そのたびに規則や規制が増え、ますますがんじがらめ。小学校では、男も女も「さん」で呼びましょう、はじめ、こまかいところまで管理される。男女平等はわかるけど、強制は嫌だ。ふたりの一致した意見だった。池に人が落ちても柵を作らないニュージーランド。すぐ柵を作る日本。

若者の不満は、人の力を削ぐ日本の現状に向けられている。

フルネームで呼んでくれてありがとう

スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。  ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。  シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...