もう今年は母の日も祝えないと思っていたので、母に感謝。
納骨すべく、お墓の重い石をずらした。48年前に納めた父の骨を久しぶりに見た。そのままだった。母の骨をその脇に置いた。母の骨は姉の墓にも納めた。
お斎で和尚さんと話した。分骨する人は珍しいのだろうか、と。
「お骨を一体と考える人には抵抗があるようです。もともと一つだった身体を分けるようなものだからです。ただ、人は死ねば宇宙に帰るわけですから、そう思えば、分骨も散骨も、それによって、その人が遍在することになるわけですから、それもありです。要は考え方次第でしょう」。
昨日の東京新聞夕刊に、こんな記事が載っていた。
なぜ、母の日にカーネーションが贈られるようになったのか。そして母の日の由来は?亡母の活動がきっかけになっていること、社会活動・平和活動への評価が母の日のきっかけになっていることを初めて知った。
1908年5月10日、フィラデルフィアの教会で、アンナ・ジャービスさんという女性が亡母を追悼するため、母が好きだった花、カーネーションで祭壇を飾り、出席者に配ったのが始まりと言われる。
アンナさんの母は…平和を願い社会活動した人で、その後もアンナさんは平和を願う母親たちの社会改革への貢献を讃えて祝日にしようと運動を続けた。
1914年、当時のウィルソン大統領が5月の第2日曜日を「母の日」と制定、祝日とした。
日本の場合は違う。