柳父章さんの『未知との出会い:翻訳文化論再説』。
以下は、インタビュー「翻訳との出会い」からの抜粋。
ケガレと差別。それが社会の格差を作っている。それが権力を支えている。
翻訳というのは、そもそも「境界」で生じる言葉を考えるものです。
中国の古典から「平」と「成」という字を持ってきて、「平成」という時代になりましたということを初めて聞いたときは、これは翻訳語の作り方と同じだな、と思いました(笑)。それが、とてももっともらしく響くんですね。
インタビュアーの「『原子力』と『核』という言葉も、もともとは同じ西洋の言葉nuclearを、見事に二つに使い分けて……それはまた、本音と建て前、ウラとオモテという、本書の問題ともつながることですか」という質問に答えて、
……ウラというのは、オモテからすれば「ないことにされる」だけではなく、「見えなくなってくる」ものなのです。
このインタビューで、あの『翻訳語成立事情』が他国語訳が刊行されていることを知った。ドイツ語や韓国語に。アイルランドでも。リービさんのお姉さん、インドラ・リービさんも一部を英語に訳している。
