2020/01/18

名前を言えるのが人!?

植松被告、映画見て「名前言えるのが人」。したいこと「障害者の安楽死」。
相模原殺傷 元交際女性が証言
東京新聞朝刊26面 2020.1.18 丸山耀平・福浦未乃理

 相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月、入所者ら45人が殺傷された事件で、殺人罪などに問われた元施設職員、植松聖(さとし)被告(29)の裁判員裁判の第5回公判が17日、横浜地裁(青沼潔裁判長)で開かれ、証人尋問が行われた。

当時、被告と交際していた女性は「映画の登場人物が人間性の基準に『名前を答えられること』などを挙げたのを見て、被告が『俺が言いたかったことはこれだ』と目を輝かせていた」と証言した。

 映画は、クマのぬいぐるみが主人公の米国の映画「テッド2」。命を宿したクマのぬいぐるみ「テッド」が、親友と巻き起こす騒動を描いたコメディー。テッドが市民権を得ようと訴訟を起こし、人間なのかどうかを争う姿が描かれる。

 証言によると、2016年4月に映画のDVDを2人で家で見ていた際、植松被告がそう語ったという。

 植松被告は15年冬から重度障害者について「いても意味がない」などと話し、「俺がやる」と殺害をほのめかす言葉を口にしていた。16年5月には、被告が実現したいことを書いた紙に「障害者の安楽死」という言葉があるのを見たという。

 14年8~12月ごろは散歩している入所者を見て「あの人かわいいんだよ」と楽しそうに話していた。態度が変わった理由について「コミュニケーションが難しく、給料も安く、何のために仕事をしているのか見えなくなったのだと思う」と女性は話した。女性が「それぞれ特性があって生活している」と反論すると「おまえ、マジで言ってんの」と返されたことがあったいう。

 被告が大麻を使用していたことは知っていたが「元気になったり、楽しそうにしたりしていたが、異常な状態になるようなことはなかった」と述べ、影響は限定的との見方を示した。

 女性の姿が被告や傍聴席から見えないよう、法廷内にはついたてが置かれた。証言中、被告は首を左右に振ったり、白い厚手の手袋で何度も顔を触ったりして落ち着かない様子だった。

 この日の公判では、園に侵入する事件直前に植松被告と会話を交わした園近くの住民男性も証人として出廷。植松被告に薬物の影響とみられる不審な点があったかについて「一切なかった」と証言した。



 「重度障害者について『いても意味がない』」と発言した植松被告。いまの自分についてどう思っているのだろうか。自分はいる意味があると思っているのか、それとも、いても意味がないと思っているのか。第三者から「あなたはいても意味がない」と言われたら(死刑に値すると言われたら)、どう答えるのだろう。

 人は生まれた以上、生きるしかない。あるのは、どう生きるか、だけ。人は誰もこれまで連綿と続いてきた命のリレーの一走者。走るのに意味は不要。

 人以外の生物が名前なしで生きているように、人にとって、名前を言える、言えないと生きることとは関係がない。名前は、それがあることによって、その人の存在がより多くの人に共有されることを担うだけ。「髭を生やして眼鏡をかけた、あの人」よりは、名前のほうが伝わりやすい。それだけのこと。思いを託すような命名は新しい名前観だ。

 名前を言えようが言えまいが、人は人。

 今回のこの事件を結果と考えると、何が原因だろうと考える。彼が、重度障害者はいても意味がない、と思うに至った社会背景は無視できないからだ。現に、ときの為政者が彼の行為を批判しなかったことの意味は大きい。是認と変わらないからだ。
 本殺傷事件の2年前、2014年2月、東京のいくつかの図書館で「アンネの日記」のページが破られる事件が起きた。その際、菅官房長官は記者会見で「わが国として受け入れられるものではない。極めて遺憾なことであり、恥ずべきことだ」発言し、下村文科相は「断固許されるべきことでない」と非難。翌3月、突然のように安倍首相はアンネの家を訪問、「大変残念で、二度と起こらないように希望する」と語っている。これらの外面のよさとは対照的に、政府は相模原事件に対してなんら非難することもないまま現在に至っている。植松被告は自分の行為が評価されていると思っているのではないだろうか。