2023/08/08

「せめて……」

《女の子が2人生まれた家で、 次こそ男の子だと父親は願って待っていた》

 それが私。父はがっかりして、顔も見ないで産院から帰ってしまった。名前をつける気力もなくて、神田明神の宮司さんがつけてくれたんです。せめて親孝行になるように「孝子」って。
 といっても、優しい父で、叱られたのは1度だけ。

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麻実れい 2「語る 人生の贈りもの」朝日新聞 20230808

彼女は1950年生まれ。つまり1950年当時の状況。