東直子さんのエッセイ「身体の中の川」に「川」の話が出てくる(日経朝刊、11月3日)。
乳がんがリンパ節に転移し、リンパ節を郭清。「失われた通路の代わりに、細い脇道ができ、そこをリンパ液が流れることで浮腫は免れるらしい。なんらかの原因でせき止められた川の流れが、新しい流れを作るように、身体の中の新しい通路を体液が滞りなく流れてくれれば、このむくみは消えてくれるかもしれない」。
「身体には、地球の水脈のように血液やリンパ液などの体液が身体のすみずみまで巡っている。巡り続けることで、生きていられる。私たちは一人一人、それぞれ大事な川を持っているのだ」。
「川」といえば、方丈記冒頭の惹句「ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず」がすぐに思い起こされる。常に変化していることをさし、流れるものは常に入れ替わっているという、そのイメージが川については強かった。今回、東さんの文章で、それとは異なる川の隠喩もあることを知った。流れる中身、つまり水ではなく、川があることの重要性である。同時に循環することの重要性である。
名前の再定義・再発見は名字についてもある。川を含む名前でよかった。