2011/03/31

Yukawa 2008:勉強日和

3月最後は論文読みで締めてみた。

Yukawa, S. (2008). Relationship between diary-keeping and tendencies toward alexithymia and rumination. Psychological Reports, 103, 771-778.
湯川進太郎 (2008). 「日記と、アレキシサイミア傾向と反すう傾向との関連」

◎要約 日記をつけることと、アレキシサイミア(失感情症)傾向と反すう傾向との関連が、118名の日本人参加者によって検討された。参加者は、以下の質問紙に答えた−ふだんの日記習慣(ふつうの日記とウェブ日記・ブログのそれぞれについて、書く頻度=「書かない」「ときどき」「毎日」。内容=「叙事詩風」「叙情詩風」「両方」が、たずねられた)、失感情症傾向(下位尺度=感情特定の困難度、感情記述の困難度、外部指向的思考)、反すう傾向(下位尺度=ネガティブ反すう特性、ネガティブ反すうのコントロール困難度)。ふつうの日記を書いている人30名、ウェブ日記を書いている人45名(両方書く人の人数は示されていない)。ふつうの日記に、日々のできごとを叙事詩風(つまり活動や出来事中心の日記)に書く人は、叙情詩風(つまり情動中心の日記)に書く人よりも、自身の感情を特定・記述し、ネガティブ反すうをコントロールすることができている。ウェブ日記をときどき書く人は次のように答えている。ウェブ日記を全然書かない人よりも、自身の感情を特定・記述することやネガティブ反すうをコントロールすることに困難を感じている。
◎考察から ウェブ日記は誰にもアクセス可能である。したがって、より情動的混乱状態にある人(自身の感情の特定と記述に困難を感じているか、ネガティブ反すうのコントロールを欠く人)が距離を置いて自身の感情を見ようとしてときどき書かれるのかもしれない。その際、書かれた情動を他者が読むことを意識していることだろう。以下は現時点での結論である。ふつうの日記は一般にプライベートかつ秘密のうちに書かれ、何をどう書くかは自由である。しかし出来事を記すことは情動経験の処理に効果を発揮するのだろう。ウェブ日記は、パブリックで開かれているにもかかわらず、感情の認知的再構成の有力な手段となる可能性がある。なぜならば未知の他者が読者となりうるからだ。

Abstract
Relationships between diary-keeping and tendencies toward alexithymia and rumination were studied in 118 Japanese participants. Participants completed a questionnaire that assessed diary-keeping habits (both regular and Web diaries), alexithymia, and rumination. Individuals who wrote about their daily events epically (i.e., focusing on actions and events) in a regular diary considered both identifying and describing their feelings and controlling negative rumination to be less difficult than those who wrote lyrically (i.e., focusing on emotions). Those people who sometimes kept a diary on the Internet reported it was more difficult to both identify and describe their feelings and control negative rumination than those who did not write at all.

★ふつうの日記とブログの違いの一部が明らかになっている。この研究をさらに進めるためには、両方書いている人の使い分けを調べることが欠かせない。

フルネームで呼んでくれてありがとう

スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。  ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。  シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...