2011/03/11

M8.8

今年度最後の教授会が終わり、定年で退職する人の送別会まで、少し時間があり、だべったり、仕事していたり。そのとき、急に揺れ始めた。いつもの地震だろうと思ってたかをくくっていると、それを裏切るような大きな横揺れが始まり、なかなか止まない。だんだん怖くなってきて、柱に近寄った。
その後、館内放送で避難指示が出、階段で外に出た。しばらくすると、余震が止まったため、いったん避難指示がゆるめられ、研究室に戻った。部屋のようすを確認すると同時に、荷物を持って、避難場所(葵稜会館と仮設校舎)へ移動した。
JRの運行休止が長引くことがわかった時点で、食事が用意された。コンビニで調達したのかと思ったら、今日、生協で開かれる予定だった送別会が取りやめになり、その料理を転用したのだという。食事しながら、防災研究家の同僚が、いろいろ解説してくれた。春休みで、学内にいた学生も少なく、残されたのは200名弱。帰れない人は学内に泊まることになり、その点呼が始まる前に、弟が車で駆けつけてくれ、なんとか帰宅できることになった。甲州街道は歩く人の列が絶えない。なかにはヘルメット姿の人もいる。
家に帰ると、子どもがおにぎりを用意してくれていた。妻は職場で泊まることになった。
時間とともに、惨状が判明していく。

★「3月11日午後2時46分頃に、三陸沖を震源とする強い地震がありました」

フルネームで呼んでくれてありがとう

スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。  ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。  シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...