文化学院を作った西村伊作(1884-1964)。彼の作った自邸を紹介した『
愉快な家』に、年譜が載っている。なんと子どもが9人。何と言えばいいのか。
長女アヤ、長男久二、次女ユリ、三女ヨネ、次男永吾、四女ソノ、五女ナナ、三男八知、六女九和。
一見して判るように、男と女で命名の論理が違っている。彼は「先進的」な思想の持ち主として知られるだけに違和感は拭い得ない。
子どもの命名の背景を知りたい。自伝『我に益あり』か、『大正の夢の設計家』『
きれいな風貌』に出ているのだろうか。
近々、社会心理学会で名古屋に行くので、その前後に行ってみようか、新宮にある彼の
記念館(3番目の自邸)。
◎名前の話題
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父親はためらわず伊作と名付けた。なぜ伊作なのか。この名前は旧約聖書の「イサク」なのである。イサクがどういう神話上の人物かということは、265夜にも、『虎の巻』にも『世界と日本のまちがい』にも書いておいた。ユダヤ・キリスト教の父祖アバラハムの子であった(双子の一人)。余平は自分を“新宮のアブラハム”に見立てたのであろう。
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◎おまけ
彼の思想と違和感のあるのがもうひとつ。今の文化学院の
ウェブサイトの雰囲気だ。