読むきっかけになったのは、一連の名前インタビューで、ある人が鶴見俊輔のことにふれたことだった。
「俊輔」とは、伊藤博文の、博文に変わる前の名前である。総理願望の強い父親が、その期待を息子に託そうとしたのか、あるいはそう命名することで自ら総理になれると思ったのか、さだかではないが、とにかく「博文」と名づけた。その名前は、後の鬱病の引き金となっていく。
名前には、たとえ善意であっても、願望など託さない方がいいのかもしれない。
スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。 ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。 シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...