2012/01/14

名前インタビューの難しさ

名前は文化そのものなので、話をしていても、文脈を共有していないと受け答えが頓珍漢になる。
それなりに準備はしていくのだが、あるときは、それを書いた手帳を間違えて、別のものを持ってきてしまったり。頭に入っているつもりでも、今の話と結びつくことがすぐにわからなかったり。とりわけ、沖縄、韓国、台湾では苦労した。ポーランドはもっと苦労した。その分、文字おこしの時間もかかる。話の流れをうまく作れない。

もうひとつは記録の作り方だ。そもそも対象者を匿名にできないのがつらい。ファーストネームだけで話が完結する場合は少ない。すると、フルネームにならざるをえない。話の中にはいろいろな人が名前付きで登場する。しかし、人名を出すのは原則として本人のみ。それだけに書き方がむずかしい。

これまでは、最終原稿を本人に確認してもらう方法で、なんとか切り抜けている。

インタビューの承諾をもらっている人が、あと3人。これからアタックする人が1人。文献読みも同時に進めないといけない。

ある年長者にインタビューをお願いしたら、学者先生は、こんなご時世に気楽な研究していていいねと言われ、それ以上、話ができなかった。そのときは思わなかったが、これも一つの名前観かと考えることにした。

フルネームで呼んでくれてありがとう

スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。  ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。  シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...