2012/08/28

「そう」意識

今日の東京新聞「こちら特報部」は秘密保全法制。その記者コメント、以下のように書かれている。

「国がそうひどいことをするはずがない」という了解がある。だが、それが単なる思い込みでしかなかったことは福島原発事故で学んだ。秘密保全法制と付随する秘密裁判もそうした類だ。遠い話と思うなかれ。ナショナリズムは排外主義が充満した社会では、ちょっとした弾みで社会は暗転する。(牧デスク)

 戦争も「ひどいこと」なのに。それとも、戦争は「そうひどいこと」に入らないのだろうか。

 「了解」は生きている。文中にある「そう」という意識も、そのおばけに貢献している。もし、これが「国がひどいことをするはずがない」であれば、大半が否定するはずだ。ひどさの程度を問わないからだ。あいまいな形容詞は要注意。実際、論文では形容詞の使用は原則禁止。

フルネームで呼んでくれてありがとう

スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。  ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。  シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...