2012/09/09

「残酷な刃」としてのことば

たまっていた新聞を読んでいると、付箋の付いている紙面がある。
杉本真維子さんのエッセイだ(9月4日付けの東京新聞)。
「孤独死という言葉」
副題は、個人の人生、勝手に創作。

寡聞にして知らなかったのだが、杉本さんは長野市出身の詩人だ(1973年生まれ)。同郷なので、付けてくれたのかと確認すると、付けてくれたのは娘で、理由は中身だった。感謝。

「孤独死」という言葉を見直してほしい。個人の幸せな人生を、その人との幸せだった日々を、「孤独死=不幸」というイメージで括られるのはいやだ。どんなどんな死のかたちであろうと、死ぬときは誰でも一人だ。そこにわざわざ孤独と付すことで、付けられている差異は、死について何かを本気で考えた結果ではない。そんな言葉で人間の死を形容している現代こそが不幸ではないか。言葉が社会を作ることの重大さに目を向けてほしい。

杉本さんの詩も読みたくなった。

◎おまけ
記事の脇に、こんなイベントの紹介が載っていた。
「俳句」の創刊60周年記念イベント(シンポジウム「大震災と詩歌」と、公開「合評鼎談」)。10月7日、角川本社ビル。和合さんが来る。

フルネームで呼んでくれてありがとう

スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。  ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。  シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...