もし日本という国が、地べたに這いつくばって生きる人々のことを真に思う国であるならば、作兵衛の絵を国宝と呼ぶのもよかろうが、現状がそうでない以上、作兵衛画を国宝呼ばわりしてはならぬ、と思う。国と民を混同してはならないのだ。
国宝と呼べる日が来てほしい。
サクべ—はなぜ描いたのか。
結局のところ、動機は「伝えたい」の一言に尽きるのではないか。(略)見てほしいという描き手の想いに応えなければその絵は完結しない。民宝を受け取る私たち世代の責任は重大だ。続きは東京で読むしかない。
スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。 ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。 シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...