2013/07/12

シンポジウムのあと

夕方から学内で「(アンチ・)デジタル時代におけるカルチュラルスタディーズと人文学」というシンポジウムがあった。

途中から参加、そのあとの懇親会で乾杯のあいさつをした。その際、授業料の額を知らない学生の多さにふれた。授業料を個人が負担するのはどう思う?という話を学生にしたら、それは変。と大半の学生が答えたことも話した。

教育の受益者は自分(個人)だと思っているのだろう。しかし受益者はかれらも含む、われわれ。ひいては世界をも含む。社会(国)で負担すれば、「育てられた」という気持ちも生まれる。仮に個人が教育の受益者だと思っても「みんな」につながる。自己中心を徹底させれば、社会につながらざるを得ないからだ。いちばん厄介なのが中途半端な自己中心。

席上、桜井さんから「〈自己責任〉を問い直す」を頂戴した。『現代と親鸞』の抜刷りだ。自己責任はDrive at your own riskのat your own riskだと指摘した佐藤欣子さんにもふれなから、新自由主義の問題へとつながっていく。responceと無縁の日本語の「責任」。

人を育てるのは社会でなければいけない。まずはみんなでコストを負担しよう。

交流ゼミ用の印刷物も完成した。新聞には、今日も「熱中症で死亡」の記事が並ぶ。

フルネームで呼んでくれてありがとう

スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。  ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。  シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...