2014/05/04

いまも変わらない

木下直之『戦争という見世物:日清戦争祝捷大会潜入記』ミネルヴァ書房。
「祝捷」は「しゅくしょう」と読む。「捷」は「勝」と同義。

いま生きている著者が1894年(明治27年)の日清戦争祝捷大会に潜入できる訳がない。
夢でタイムスリップするという仕掛けだ。まるで見てきたような。

※長山靖生による書評

12月9日の上野公園。寒い日曜日。

以下は抜粋。
何事も、渦中にあっては見えなくて当たり前かもしれない。しかし、まれに行く末のみえるひとがいる(※海舟の『氷川清話』からの引用が続く)。
以下は、その引用の一つ。
ともあれ、日本人もあまり戦争に勝つたなどと威張つて居ると、後で大変な目にあふヨ。剣や鉄砲の戦争には勝つても、経済上の戦争に負けると、国は仕方がなくなるヨ。そして、この経済上の戦争にかけては、日本人は、とても支那人には及ばないだらうと思ふと、おれはひそかに心配するヨ。
ふたたび著者の言。
飲食禁止、おしゃべりも禁止という百年後の美術展につながる最初の試みが、浜町で行われていたことになる(※高橋由一の自宅での展覧会)。
荷風の『日和下駄』からの引用もある。
「東京の都市は模倣の西洋館と電線と銅像のためにいかほど醜く」 
知らなかった。
目を凝らせば、一画足りない「烏」である。足りない横線は目だという。……全身黒ずくめで、目があるのかないのか、よくわからないからこの字になったという。
この時代、ゾウに名前はつかなかった。名前がつくようになる経緯を知りたい。
このゾウ当時は名前をつけない)は長く生きて……(※シャム国王から贈られた上野動物園のゾウ)
広目屋(廣目屋)はいまも健在。
広目屋といえば現代でいう広告代理店であり、顧客の命じることなら何でもやる(※会社名は広める、から?)
横須賀の諏訪公園で、「定遠」か「鎮遠」の一部らしき鉄板を見つけたり、上野公園で「鎮遠之碑」を見つけたりと、最後までドキドキ。

遊び心満載の本。


2025年もムリしない

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