2014/06/13

柏木博『日記で読む文豪の部屋』から

余が「おぎゃー」の一声と共に娑婆に生まれたるは明治11年11月28日の事なりけり。その生まれたたる所は東の都麹町平河町となん言う所にして、ここに住する事1年にみたず。父上は名古屋鎮台に転任したまいければ家族一同引き連れてその任地におもむきたまいぬ。この地にありて記憶せるは庭の木に登り太鼓を打ちたる一事のみ。ここにある事3年目の12月、この所を発し土佐(父母の生国)に向かい、
寺田寅彦の日記の冒頭(1892年)。このとき、彼は満13歳。時代のせいなのか、能力ゆえなのか、大人が書いたような文章だ(原文はカタカナ表記、漢数字)。

さて。
親しい友だちなどが死んだ後に、ひとりで町の中を歩いていると、ふとその友が現に同じ東京のどこかの町を歩いている姿をありあり想像して、言い知れぬさびしさを感ずる……
晩年の寅彦の夢想。「親しい友だち」の箇所は、もちろん親しい友だちに限らない。ボクにも経験がある。寂しさとともに落涙。

ようやく本題。

「どこで仕事をしようがかならず戻って行く場所(家)がある。何が起こっても家に戻る、それは、誰でもあたりまえの行動としてある。2011年3月11日の東日本大震災の直後も、わたしたちは、なんとか自宅(家)に帰るために、……さまざまな手段を使った。かけがえのない自分の住まい、そして部屋に戻ることでわたしたちは安堵する」(柏木)。

本書には、漱石、百聞(門に月)、荷風、賢治、啄木が紹介されている。住まいに執着する人、しない人、は保守と革新と重なる、という。ボク? 器に凝るという意味では前者、出かけることが好きという意味では後者。

夜は研究会。早くも暮れの原稿の予告。

フルネームで呼んでくれてありがとう

スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。  ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。  シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...