出典は『人間はどういう動物か』収録の「『人里』をつくる」。
「共生」に関するくだりがいい。
自然界の中では、動物も植物もそれぞれの個体がそれぞれ自分自身の子孫をできるだけたくさん後世に残そうとして、きわめて利己的にふるまっているように見える。最後で、人間も「これからは自然が自然の論理でふるまうのを許せるぐらいに『賢く利己的に』ふるまうべきではなかろうか?」と締めくくる。
ある個体が自己の利益を追求しすぎると、そのしっぺ返しを受けて引き下がらざるを得ない。こういう形で結果的にバランスが保たれているにすぎないのだ。
自然界に見られる「共生」についても同じ見方ができる。
人間も動物であるから、利己的にふるまうのは当然である。しかし動物たちは利己的であるがゆえに、損することを極端に嫌う。(略)もっと先を読んでいるらしい。どのようにしてそれを予知するのかわからないが、これはどうも損になりそうだと思ったら、もうそれ以上進まないのである。その点では、動物たちのほうが徹底して利己的である。きわめて賢く利己的だと言ってもよかろう。
問題は「賢く」にある。動物としての先を読む力が社会性で損なわれているからだ。とすれば、中途半端な利己主義をやめ、利己主義を徹底することで、はじめて共生とみなされる事態が生じる。
社会心理学の授業で「共有地の悲劇」にふれるとき、これは中途半端な利己主義の悲劇でもあることを強調するようにしている。本当に自分の利益を追求するのであれば、一人だけ勝手に羊を増やすことはできないからだ。
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ローレンツとの対談。
ローレンツが「歴史に学ばなければいけません」と言うので、ぼくが「しかし、そもそも人間は歴史に学べるものですか」と返したら、「たしかにそうだ。歴史からわれわれが学べることは、歴史からはわれわれは学べないということです」と言った。学ぶことばかりだ。
教養の役目はブレーキ。と、絲山秋子さんの解説。