2015/03/26

万国博の日本館

安藤忠雄をどう論じているだろうか。ミーハー気分で『現代の建築家』を借りた。
残念ながら、あの1件にはふれられていなかった。

別の収穫があった。

坂倉準三

万国博の日本館。

(1867 パリ博 茶店:6畳敷きの茶室と土間)
 1873 ウィーン博 神社風の小屋と日本庭園 ※様式機械の展示も検討されたらしいが、西洋から見れば未熟に映ると判断し、見送られた。それ以後、手工芸品が並べられるようになった。
 1893 シカゴ博(平等院鳳凰堂の平面をなぞった)鳳凰殿
 1900 パリ博 法隆寺金堂を模したもの 
 1937 パリ博 鉄とガラスのモダンなパビリオン(坂倉準三設計)

1900年までの日本館は西洋に媚びた「エキゾティックな」建物。それが日本側事務局の意向だった。1937年のパリ博も当初はその方向だった。しかし、その慣例が偶然の理由で破られた。結果として破ることになったのは板倉だった。その後の1940年のニューヨーク博では、神社型の日本館になっている。その後もしばらく、この路線が続く。

 1964 ニューヨーク博 城壁の石垣をしのばせる
 1967 モントリオール博 校倉風

西洋では異国情緒を強調した日本。東アジアの旧植民地では西洋化された姿を見せつけようとした、という。

 1933 満州博 現代的建物
 1940 朝鮮博 モダンなつくり

フルネームで呼んでくれてありがとう

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