安藤忠雄をどう論じているだろうか。ミーハー気分で『現代の建築家』を借りた。
残念ながら、あの1件にはふれられていなかった。
別の収穫があった。
坂倉準三。
万国博の日本館。
(1867 パリ博 茶店:6畳敷きの茶室と土間)
1873 ウィーン博 神社風の小屋と日本庭園 ※様式機械の展示も検討されたらしいが、西洋から見れば未熟に映ると判断し、見送られた。それ以後、手工芸品が並べられるようになった。
1893 シカゴ博(平等院鳳凰堂の平面をなぞった)鳳凰殿
1900 パリ博 法隆寺金堂を模したもの
1937 パリ博 鉄とガラスのモダンなパビリオン(坂倉準三設計)
1900年までの日本館は西洋に媚びた「エキゾティックな」建物。それが日本側事務局の意向だった。1937年のパリ博も当初はその方向だった。しかし、その慣例が偶然の理由で破られた。結果として破ることになったのは板倉だった。その後の1940年のニューヨーク博では、神社型の日本館になっている。その後もしばらく、この路線が続く。
1964 ニューヨーク博 城壁の石垣をしのばせる
1967 モントリオール博 校倉風
西洋では異国情緒を強調した日本。東アジアの旧植民地では西洋化された姿を見せつけようとした、という。
1933 満州博 現代的建物
1940 朝鮮博 モダンなつくり