高二の学年末実力テストはクラス最下位、学年でもビリから数えた方が早い。当時の著者は精神状態も思わしくなく、自殺も浮かんだらしい。「それでも最下位はまったくの想定外」。
大学に進学するつもりはなく、進路面接でも「就職したい」と告げた。先生からは、両親とよく話し合った方がいいとアドバイスをいただいたが、身の振り方は一人で考えた。
そのつぎの文章だ。
「嫌いでたまらない自分の名前」。
? どんな名前なんだろう。冒頭に戻って確かめた。すると「千葉大学」とある。
そのあとの文章だ。
「だが、高卒で『大学』という名前から逃げた先に、明るい未来が描けるという結論はどう考えても導き出せず、花を育てることだけに気持ちが救われていた私の進路は、消去法的に」園芸関連の学部に「決まった」。
「しかし落ちるだけ落ちた学力がすぐに向上するわけもなく、一浪してようやく私は名前に追いつくことができた」。
「大学4年間は楽しい思い出しかない。名前に対するコンプレックスもいつの間にか消えていた」。
命名の由来はわからないが、この人は「大学」を機関としての大学と解釈していた。もしかしたら、「大きく学んでほしい」と思ってつけられたのかもしれない。
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堀口大學(1892年生まれ)は、「出生当時に父が大学生だったことと、出生地が東京帝国大学の近所であることに由来する」という(Wikipediaから)。こういう命名もある。当時の学生数は400人ほど。