その彼の講義録が出ている。
『知の訓練:日本にとって政治とは何か』。
授業は「比較政治学」。
毎回、「はい、こんにちは。授業を始めます」で始まる。
明治神宮で祈願する人は明治天皇に祈願していることをどのくらい意識しているのだろうか。はじめ、時間、広場、宗教(神道の特異性)、神社(靖国の特異性)、都市、地方、女性が政治の文脈で語られる。印象に残ったのが以下のくだり。
たとえ政府が交代しても、権力が政府の側にあるという構造自体は変わらない。権力に吸い寄せられるようにして、何もかもが治者、つまりお上の周りに集まってくる。一方、被知者である一般民衆は権力と無縁な世界に生きていて、「官」と「民」との間には「高大なる隔壁が築かれている。ここから福沢(諭吉)は、「日本には政府ありて国民(ネーション)なし」という名言を(「日本文明の由来」で)残しています。
「官」は東京でもある。慶応で学んだの阪急の創設者、小林一三。福沢の思想を具体的空間のなかで実践しようとして、大阪を選んだ。
本書は政治実用書であると同時に、格好の大阪入門でもある。
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後編はいつ出るのだろう。4月からの放送大学での授業「日本政治思想史」も楽しみだ。