2015/11/08

研究者の誠実

 ある本の合評会で報告をすることになり、まず浮かんだのが「ハビトゥス」という概念だった。

 佐藤先生の存命中に参加した科研費プロジェクト「情報化と大衆文化」で、『ディスタンクシオン』を知り、同時にブルデューという名前も知った。彼のアイデアは、自分の趣味を振り返っても腑に落ちることばかりだった。当時は、彼を単なるエリートとしか思わなかったが、加藤晴久の近刊『ブルデュー 闘う知識人』を読んで、自身の人生がいかに研究にかかわっていたかを知った。

 「序」でこんなエピソードが出てくる。

 東大での講演後、ひとりの学生が、ブルデューにぜひ聞いてもらいたいことがあると、通訳を務めた加藤さんに近寄ってきた。

 制度としての学校が、恵まれた階級の文化的遺産を伝達することによって、不平等を永続化する機能を果たすことはよくわかった。ならば、東大生である自分は何をしたらいいのか。

 自分で見出すべき問いではないかと思いつつも、加藤さんは質問を伝えた。ブルデューは遠くを見るような目をして考えたあと、こう答えた。

 「もし自分があなたの年齢で、こういう答えを聞かされたら、きっとがっかりするであろうと思う。しかし、わたしは社会学の仕事をやることによって救われた。社会的拘束を乗り越えることができたと思う」。

 終章「若い読者のために」は、若くない読者をも鼓舞する。

 これからの寒さに対する暖房具のような本だ。読後があたたかい。
終章では、「国際社会学会による(今世紀における)重要書アンケートの結果」(1997年実施)が紹介されている。『ディスタンクシオン』も入っている。いま調査すれば、『国家貴族』も「世紀の10冊」に入るだろうと加藤さんは言う。

フルネームで呼んでくれてありがとう

スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。  ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。  シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...