「台湾の非情の根源は、日本の植民地であったことだと思います。台湾人と日本人とのあいだには、個別的には友情も親しみもあったでしょう。だが、植民地における支配民族と被支配民族との関係は、そうした美しい関係をもこわしていく。実際、日本人が台湾人をどれくらい理解していますか。理解できないのはなぜですか。やはり、支配者の立場にあぐらをかいていたからではありませんか」
田村志津枝『悲情城市の人びと 台湾と日本のうた』から。
先日、「湾生回家」関連のイベント会場で、映画に出演し、台湾で子供時代を過ごした日本人が、現地の人とのあたたかい交流(林さんの前半のような話)を語った。その話にほっとしたのか(あるいは、そう思いたかったのか、差別したわけではなかったと思い込んできたのか)、ある日本人参加者が「必ずしも日本はひどいことをしたわけではなかったのですね」と確かめるように発言した。壇上の日本人は「私が経験した範囲では、ということです」と、限定付きで答えた。
個別事情と大きな事情は並存しうる。大きな事情と異なる個別事情はどんな場面でもありうる。「友情」(個別事情)は、ときに「美談」となり、支配(全体)がなかったかのようにみなされる。