2016/12/08

寄席に行く

ゼミの学生たちと新宿末廣亭へ。

江戸時代のことをどうやっていまにつないでいるのか、を知る、が教育上の目的。

夜の部だったので、艶小話もちゃんと。

演目は「ざる屋」「身投げ屋」「金明竹」「目薬」……。

黒崎さんのを読んでいたら、落語の魅力が語られていた。
一人芸であることのおもしろさ 
 文字のない時代の知識伝達は口伝。落語も同様。落語は演出も役者も小道具もすべて一人がこなす。文字にして外化する必要がない。そこが演劇と違う。
 落語には、声の文化が持っていた1回限りの、喋ったら消えてしまうけれど、魂から出てくる魅力があると言えるのではないか。 
噺家と噺が一体化する魅力 
 文学は書き手と書いたものが分離できて、書いたものだけが残っていく文化。対して、落語は噺家と噺が分離できない。録音・録画時代には、過去に蓄積されたすべての噺家がライバルになる。とはいえ、落語の魅力はやはりライブであり場の共有である。噺家と噺が不可分の魅力は、録音・録画では享受できない。語りの面白さのみで聴衆を沸かす落語は聞き手の想像力を喚起する。江戸の長屋も生き生きする。落語の面白さは文字文化と声文化の対比を浮かび上がらせる。文字・録音・録画というテクノロジーの功罪をも考えさせてくれる。
場内は少し寂しかった。寄席ブームはここには届いていないのだろうか。それとも平日の夜だからだろうか。

 4時間たっぷりのライブで学生2500円、65歳以上2700円。しかも、ふだんは入れ替えなし、最大で8時間楽しめる。異空間だ。



 入口の上部に書かれている出演者の名前看板(橘流寄席文字)は農大の落研メンバーが書いたもの。と、農大からの編入生が教えてくれた。

フルネームで呼んでくれてありがとう

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