半年前に起きた神奈川県での事件。「知的障害者」施設で19人が殺された。
そのニュースでは加害者の「障害者なんて……」という言葉が繰り返し報じられた。何度も同じ刺激にさらされることの効果は「慣れ」として、マスメディア効果として無視できない。かえって同種の事件を促す可能性がある。
自殺報道同様、防止を上位目標に置く報道ができないものだろうか。
「バリバラ」の緊急座談会に500通強の手紙があり、その中には加害者に共感できるという意見もあったという(玉木幸則さんのインタビュー記事、東京新聞2017年1月14日「あの人に迫る」)。しかも、それは障害者と健常者の両方から。「何を言うてるかというと、『コスト』です」。「無駄なお金を使っているんじゃないか」と。
「どうして多くの障害者が一つの施設で生活せなあかんのか」。建て替えに70億円前後かかると言われているが、「それだけあれば一人暮らしの家やグループホームはいくつできるのか」。
他方、ある「高級」住宅地に障害者のグループホームを作ろうとしたら、地価が下がると反対運動。
子どもの頃住んでいた町内に、みんなから「めえさん」と呼ばれていた、いま思うと「知的障害者」がいた。通りを歩いていると、誰かしら声をかけていたし、みんな彼を知っていた。施設ではなく、家族と一緒に住んでいた。
障害を作るのは社会。その人にも合った状況をつくれば、障害は障害でなくなる。いろいろな人がいる中でともに暮す。
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NPO法人「メインストリーム協会」(兵庫県西宮市)