2017/10/08

『本』10月号から

川毅(たけし)さん。
ニューカッスル大学は新任の講師全員に、2年間におよぶ教育スキルの訓練コースを受講することを義務づけている。
私がはじめて自分の講義を受け持ったとき、着任から1年2ヵ月が過ぎていた。
着任してからそれなりの準備期間を与えられたこと、しかも私の専門に近い内容の科目を受け持たせてもらえたことは、未熟だった私のパフォーマンスを見かねた、同僚たちの優しさだった。
結果としての私の講義は、年度末に無記名でおこなわれた学生アンケートにおいて、教室全体の最高ポイントを獲得することができた。この場所で働き続けていいのかもしれないと、はじめて思うことができた瞬間だった。
人類と気候の10万年史』は、その授業のハイライト。

川惠子さん。
 (演劇人、引用者注)逮捕の根拠となったのが治安維持法です。この法案を提出した国粋主義者の司法大臣・小川平吉は、国会での説明で「この法律は共産主義者を取り締まるものであり、無辜(むこ)の民をとりしまるようなものではありません」と、最近どこかで聞いたようなフレーズを述べていました。小川の言葉とは裏腹に、国会を通過し成立した治安維持法は、その後当局が使いやすいよう次から次へと改正されていったのです。
 演劇人が一斉に逮捕された容疑は何か。昭和3年の改正で加えられた「目的遂行罪」の容疑です。従来の治安維持法よりも恣意的運用を可能にする改正でした。
 例えば、昭和14年に上演された『初恋』。
劇中の親が娘の恋愛相談にのるシーンが容疑になりました。「日本では親に忠義を尽くさなくてはいけないのに、友達のようになれなれしく会話をしている。しかも堂々と語られるべきでない恋愛がテーマになっている。これは国体を壊すべきものだ」というのです。
 さらに治安維持法は昭和16年に新たに改正され、「予防拘禁」という制度が作られました。執行猶予が付いて釈放された人間でも、「また何かやりそうだ」という予兆が感じられたら、すぐに検挙してもいいという制度です。
しかも拘禁の期間は最長「2年間」のはずなのに、実際には当局が自由に延長できるため終身拘禁を可能にするとんでもない法律でした。
 これがわずか七十数年前の日本の姿なのです。
戦禍に生きた演劇人たち』の著者による講演会から。法律の改定は、改悪であろうとなかろうと、時の権力者にとってはすべて「改正」。

信三恵子さん。
私たちの戦後は、「産み育てる装置としての軍国の母」という仕組みを無意識に引きずってきた。前回、「ステルスな戦時体制」と呼んだのは、そんな女性を押し込む仕組みだ。その仕組みから脱出することが、なぜ、そんなに難しいのか。
保坂正康の「正方形の檻」で考えてみよう(『昭和史のかたち』岩波新書)
第1辺は、大本営発表などによる「情報の一元化」。第2辺は、国定教科書などによる「教育の国家主義化」。第3辺は「弾圧立法の制定と拡大解釈」。治安維持法の恣意的拡大解釈、特別高等警察による恣意的検挙。第4辺は兵士テロや官憲拷問といった「官民あげての暴力」。
保坂によると、この檻から抜ける方法は3つ。面従腹背、自決(自殺)、亡命。
この檻は戦後を機に解体されたはずだった。だが。
中秀征さん。
「君ね、憲法なんて百年変えなくていいんだよ」とインタビューで答えた首相角栄は、1972年総選挙で街頭でこう演説した。
「みなさん、戦争もやってみたではありませんか。戦争というものがどんなにつらいものかということを骨の髄まで知った日本人じゃありませんか。その日本人が全世界に新しい平和を求めて新しい日本を作ろうとしておるんです」
岸と角栄の戦争観の違いは、戦争を指導した側と指導された側の立場の違いによるものだろう。
もう一つ。角栄思想として欠かせないのが自主独立外交。向米一辺倒の吉田外交、日米の軍事一体化を志向する岸路線と一線を画した。角栄の路線を阻止しようと、とりわけキッシンジャー大統領補佐官はさまざまな妨害工作をしたと伝えられている。

フルネームで呼んでくれてありがとう

スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。  ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。  シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...