2017/10/09

『ちくま』10月号から

田山和久さん
「とびだせ教養 7:われわれは何に向かってわれわれを教養するのか」

 教養はたしかに一人一人が備える資質なのだけど、その目指すところは社会の担い手になることにある。だから資質の一種としてみた場合、教養には、社会の担い手であるために必要な能力と、自分は他者と共に生きる社会の一員だという自覚が含まれることになるだろう。この点を強調する教養論は多い。
 たとえば、
自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のためになにができるかを知っている状態、あるいはそれを知ろうと努力している状況を「教養」があるというのである」。阿部謹也『「教養」とは何か』からの引用、強調は戸田山さん)
たとえばクルマ雑誌『ENGINE』の鈴木正文編集長は、「教養がない」という形容を、社会のなかにおける自分のポジションが見えていない人について使うんですよ。たとえば運転マナーの悪い人、タバコのポイ捨てなんかをしてしまう人。自分の行為が社会に及ぼす影響を想像できない人々です。彼らには他人が見えていない。つまり近代的自我がないということですね。永江朗(斎藤美奈子との対談から。強調は戸田山さん)

 教養には、自分を社会の担い手とみなし、社会で共存している他者との関係のうちに自分を位置づけるということが含まれる。そうすると逆に、教養は社会の中で他者との出会いを通じて育まれるということになる。



教養の関係性


フルネームで呼んでくれてありがとう

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