Text / Touko Suzuki
晩年の吉野は、『世界』でさまざまな議論を重ねて政策提言を続けたものの、肝心の政治を動かすことができなかったという点で「全面的に敗北だった」と吐露している。社会の不正や真実を訴えるのに必要なのは勇気だが、それだけでは政治も社会も変えられない。全共闘運動には温情を表しながらも、“戦術の欠如”をやんわりと指摘している。それは吉野自身が直面していた課題でもあった。
ただ「8月15日の終戦記念日」を提唱し続けたのも『世界』だった。(略)玉音放送が流れた8月15日にしたのは、国民が「自分で考え、自分で決める主体」になった日を“国民の記憶”として刻むためだった。(略)
たとえ敗北の連続でも、決して立ち止まることなく挑み続けること。それは『世界』の常連だった丸山眞男が「民主主義は制度としてでなくプロセスとして、永遠の運動としてのみ現実的なのである」と言ったように、吉野は民主主義を〈実学としての哲学〉として実践した活動家だったと言える。
『君たちはどう生きるか』(岩波、マガジンハウス)
『人間を信じる』(岩波)
◆
方法論。戦術と言い換えてもいいが、進め方を考えないと変わらない。8月15日もその実践の一つ。もし別の日が、終戦記念日、敗戦記念日(呼称も大事)だったら、ポツダム宣言受諾の8月14日だったら、降伏日の9月2日だったら。
正義だけでは、意思だけでは、変わらない。それらをどう仕掛けるか。たとえば自民が電通を組み込んで展開しているように、反自民も戦術に本腰を入れなければならない。