2020/06/24

死者の名前

6/23は沖縄戦「慰霊の日」。

 当日開かれた沖縄全戦没者追悼式の会場は、糸満市の平和祈念公園。

 当初、県は例年の会場「平和の礎」付近から「国立沖縄戦没者墓苑」で行うことを検討していた。理由はコロナ禍による規模縮小である。ところが市民のあいだから「殉国史観と結びつく国家施設での追悼式は県民感情にそぐわない」との批判があり、会場は元の広場に戻された。

 平和の礎は平和ゾーン、かたや国立沖縄戦没者墓苑は霊域ゾーンにある。50あまりの慰霊碑が林のように並んで立っている。碑文に沖縄県民の犠牲に対する言及はほとんど見当たらない。その一角に墓苑はある。靖国神社のようであり、各地にある日本軍墓地のようでもある。

 東京新聞の取材に、北村毅さん(大阪大学・文化人類学)はこう語った。

  「墓苑は国に殉じた無名の遺骨の集合体。これに対し、丘の下の礎(いしじ)は亡くなった一人一人に名前がある。死者を自らの手に取り戻したいと願う沖縄の意思は丘の下にある」。


 近代日本は、戦死者の碑を立てるにあたって、名前ではなく数で示すようになった。と喝破したのは長田弘さん。アメリカの小さな町を回っての話である。
その小さな町々の中心には広場があり、そこには戦死者の碑がある。そこには死者の名前と、どの戦争で亡くなった (was killed) かが刻まれている。

日本に慰霊塔はあっても死者の名はない。明治政府以降、戦「没」したかれらは「御霊」になるからだ。しかし、明治政府に抗った白虎隊十九士の墓、薩軍兵士の墓「南洲墓地」、そして沖縄「平和の礎(いしじ)」にある刻銘碑は違う。

ワシントンD.C.にあるThe Wall(ベトナム戦争で亡くなった兵士の慰霊碑 Vietnam Veterans Memorial)にも名前が刻まれている。その名前をなぞる人も多い。


 慰霊碑群が丘の「上」で、礎が丘の「下」というのは象徴的だ。自衛官が訪れるのは、丘の上にある「黎明之塔」。沖縄戦を指揮した司令官をまつる。