2020/06/25

うしろめたいと思わせる国

『世界』2020年6月号のグラビアは「COVID-19, A nation in self-isolation」。撮影者はフォト・ジャーナリストのエリック・メッソーリ。印象的な写真が8葉。

 フランシスコが話すテレビの画面を見ながら祈る人の写真がある。その次が「ガゼッタ・ディ・パルマ」紙 Gazzetta di Parmaの3/17付け紙面。写っているのは死亡記事面。本文で、エリックと行動を共にしたジャーナリスト、ピーター・ウィルソンが一文を寄せている。「イタリア、封鎖された街から」。
人々はまた、家族や親類の高齢者を介護施設に見舞うことも禁じられている。死にゆく人や病人を見舞い、慰めることもできない無力感や心の痛みは、葬式もできないことによって倍増されていく。こうした異常事態のなかで重要味を帯びてきたのが、新聞の死亡欄だった。普段は見過ごされがちだったこの記事が、以前よりずっと熱心に読まれるようになったのだ。犠牲者のニュースを知るだけが目的ではない。ここでは、それが死者に敬意を払い、人々が彼らを追悼することができる唯一の方法だからだ。パルマの新聞『ガゼッタ・ディ・パルマ』紙では、昨年の3月の平凡なある一日、死亡欄が載っているのは1ページの片隅だけだった。それが今年の3月には、4ページ半全面に膨れあがっている。人々は日々、こんなにも多くの家族が苦しんだ喪失を、重苦しい気持ちで確認する。そして、友人や近所の人が訃報を知ってできることといえば、電話をかけてお悔やみを言うだけなのだ。 
「私は、この国が経験しているぽっかりと開いた傷口の痛みを感じる」と、今週、コンテ首相は言った。「統計的な数字の背後に、名字と名前、個人史、それに引き裂かれた家族がいる。イタリア国家は苦しんでいる」(※苦しんでいる、に傍点)

 イタリアの新聞の死亡記事欄については、今月初め、共同通信も注目して、配信している。



 昨夜の「クローズアップ現代」。番組内で、髙山義浩さん(沖縄県立中部病院感染症内科、厚生労働省参与)が、元感染者が抱える悩みとして「なぜか感じるうしろめたさ」をあげていた。それに関連するデータとして、三浦麻子さん(大阪大学大学院教授)が、3月から4月にかけて行われた調査の結果を紹介した。
日本を含めてここにある5か国で新型コロナに関する意識調査を行いました。この項目をご覧いただくと分かるんですけれども、「新型コロナウイルスに感染する人というのは自業自得だと思うか」ということを問うたところ、ここにあるように非常に大きな違いがあるんですね」。
 大きな違いとは、以下の数値である。

 アメリカ1.00%、イギリス1.49%、イタリア2.51%、中国4.83%。日本は11.50%。

 こんな国であれば、イタリア各紙のような死亡記事が実現するわけがない。調査では「自業自得」として尋ねているが、多くの日本人回答者は自己責任ということばを思い浮かべたのではないだろうか。「自己責任」という言葉はおそらく他国では通じない。だから、こういう聞き方をしたのだろう。

 なぜ患者が責められるのか。責める人には、自分だけはぜったい感染しないというジシンでもあるのだろうか。