「帝国臣民」(天皇に忠誠を誓う人民)に生まれ変わらせる運動「国民精神総動員運動」が1937年から始まった。それは文化も歴史も違う植民地の異民族の人々に対しても強制された。その同化政策が皇民化政策である。
皇民化政策は、台湾人の外見と内面の両方を「日本人化」することをめざしていた。内面には国家神道(天皇崇拝と国家主義思想)の強制、外見には日本語使用、日本風姓名への変更が含まれていた。
著書『あなたとともに知る台湾』に、胎中さんの指導教員だった戴國煇さんの体験が紹介されている。
地元の名望家で、長男、次男ともに職業軍人だった戴家は家庭でも日本語を使用する「国語常用家庭」とみなされていた。四男の國煇少年は担任が太鼓判を押すほどの秀才だった。いわば「模範的な」家庭。あとは改姓名をするだけと周囲の日本人は父親を説得する。息子が出世するためにも彼が中学受験で合格するためにも必要だというのだ。戴家の当主には受け入れ難い要求だった。逡巡したのち、息子たちのためと役所に出向き、改姓を申し出た。日本語を使いたくない父親は三男を通訳として引き連れた。以下は、戴國煇「中国人にとっての中原と辺境」『民族の世界史 5』から。
窓口の日本人係官は雀踊りした。改姓欄は譙國(てるくに)だった。窓口はもちろん読めない。窓口が姓の由来を尋ねると、三男はわが家の黄河流域における出身地名であると告げた。父親は一族のルーツを名字に残したいと考えたのだが、当然係員は認めるわけもなく、考え直すようにと言われる。
後日、父はやむなく、戴を分解して「土田」と申し出た。痕跡が残っているので、と「吉田」を逆提案された。上の棒が短い、つまり「土」の𠮷田であれば、と抵抗を試みるが、痕跡が残るとの理由で「吉田」を飲まされた。明治期まで名字のなかった日本の庶民とは名字の重みが違う。日本は、その大事な姓を「分解」させてまで、痕跡を徹底的に消して、奪い取ろうとした。
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植野弘子 (2007). 台湾における名前の日本化 —日本統治下の「改姓名 」と「内地式命名」 アジア文化研究所研究年報(東洋大学), 42, 97-108.
