元駐中国・フランス大使、木寺さんは中国と二つの縁があったと語る。そのひとつは昌人という名前だった。ちなみに、もうひとつは母親が大連で生まれ育ったことである。
「二つの縁」 木寺昌人
日本経済新聞夕刊 2025.1.21 「明日への話題」
日中関係が最悪のときに在中国日本大使を拝命する巡り合わせについて悩む暇はなかった。むしろこれから行く中国と自分との縁は何だろうと考えた。まず頭に浮かんだのが私の名前である。父から「おまえの昌人という名は中国の武昌(現在の武漢)から昌の字をとった。おまえは10月10日生まれ、1911年のこの日、武昌で武装蜂起が起き、そこから辛亥革命が始まった」と子供のころから何度も聞かされていた。(略)…… 60歳で在中国日本大使になった。私を名づけた父も、息子がこれほど中国と深い縁になるとは思ってもいなかっただろう。(略)中国のプレスからインタビューを受けたときに、この2つの縁を積極的に紹介した。北京紙も地方紙も好意的に書いてくれた。
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在中国大使に着任することの意義(本人からすると必然性かな)は自身のルーツ(名前の由来、母親の出生地)をたどることから始まった。