下條アトムさん(1946年生まれ)が亡くなった。1月29日、78歳だった。
スポニチのサイトに「下條アトムさん死去 「アトム」は本名…終戦翌年に生まれ両親が込めた願いとは 手塚治虫との逸話も」と題する記事が掲載されている。
そこにこう書かれている。
生まれたのは終戦の翌年で、日本はGHQの占領下にあったため、父が「将来は日本でもアメリカ同様“名前・苗字”の順に読むようになるだろう」と考え「A」から始まる名前をつけたと、テレビ朝日のインタビューで語っている。
「アトム」は原子力のatom。日本は原爆の被害にあったが、原子力は本来戦争ではなく平和のために使われるはずだ…という願いも込められているという。「A」が先に決まり、Aすなわち「あ」で始まる言葉の候補として、アトムが浮上、それに決定。
「平和のための原子力」Atoms for peace という言い回しは、1953年に米アイゼンハワー大統領が国連総会で行った演説ではじめて使われたらしい。アトムさんが生まれた7年後だ。ならば、原子力への期待が日本でも持たれたのはどういう経緯だったのだろう。なにしろ、1946年は広島と長崎に原爆が投下された翌年だ。
ひらがなのあとむさんにインタビューしたことがある。こちらのあとむさんは1949年生まれ。当初、漢字で蛙吐夢が予定されていた。蛙は蛙声の蛙。ネットで調べると、蛙声の意味として「カエルの鳴く声」に続き、「みだらな音楽」が書かれている。みだらはともかく、ご本人は、その後、音楽の仕事に就いている。偶然の一致に気づいているかな?
話を戻そう。吐夢は映画監督の内田吐夢(社会的に抑圧された人間の苦闘を描いたことで知られる)に由来。レ点を付けると、蛙吐夢は「蛙、夢を吐く」となる(科学者の父親は、自身の名前が平凡だったので、子供には奇抜な名前を付けたかったとよく口にしていたらしい)。しかし、蛙吐夢では当の子どもが書けそうもない、先生が読めないかもしれない。そこでひらがなに落ち着いたという。原子力由来のあとむでもないし、ましてや下條アトムの存在を知る由もない。
鉄腕アトムの原型、アトム大使が誕生したのは1951年。その後、1963年のアニメ化で鉄腕アトムが誕生。あとむさん、14歳のときである。以来、かれの名前は鉄腕アトムとあいまって独り歩きすることになる。
「あとむ」と読みは同じでも、二人の名前はルーツが異なる。かたやAで始まる名前として、り、かたや蛙吐夢を書きやすく読みやすくするために。
Yahoo!知恵袋を見ると、鉄腕アトム由来の命名を考えている人がいる。「主人が子供の名前を「アトム」にしようと言っています。主人は4月7日生まれで鉄腕アトムと同じ誕生日なので、子供の名前を「アトム」にしようと言っています」。