2011/08/13

黎紅堂があった時代


学生時代、三鷹駅前にあった黎紅堂(貸しレコード屋さん)でLPを借り、カセットにダビングしていた。 記憶にあるのは、大瀧詠一、ナベサダ、五輪真弓…。そのときのちょっとしたむなしさを穂村さんが「ひとりドミノ倒し」というエッセイで、うまく表現してくれている。

学生の頃、大量のCDをテープに採りながら夜を迎えると、その日が充実していたのか、それとも虚しかったのか、よく判らなくなった。(略)その原因は今日という日を明日のために費やしてしまったという倒錯感だったと思う。

さらに話は続く。

そうやってドミノ倒しのように順番に今日を使ってゆくと、今日のために今日を生きるって事がなくなってしまう。(略)生活の時間には、多かれ少なかれこうしたダビング的な倒錯が含まれているのではないか。

『もうおうちへかえりましょう』を読んでいて、思い出した。

iTunesでダビングしないで、CDで聞くことが多いのは「むなしさ」が少しあるのかもしれない。

おまけ NHKFMの「ひるの歌謡曲」も録音していた。アーティストごとのベストアルバムのような構成で、学生にはありがたい番組だった。内容は、FM fanでチェックしていた。