さて、『世界しあわせ紀行』のエピローグ。
空港のバーで時間つぶしする著者。
バーテンダーの名札に目がとまった。名札には「ハッピー」と書かれている。あまりの偶然に自分の目を疑ってしまう。
「それが君の本名かい?」
「ええ。私が生まれたときに父がすごく喜んでくれて、それでこの名前をつけたそうなんです」
「じゃあ、ちょっと教えてほしいんだけど……たぶんしょっちゅう聞かれることだと思うけれど、それって何なのかな?」
「どういう意味でしょう?」
「秘訣だよ。君みたいになる秘訣、つまり幸せになる秘訣って何なのかな?」
「笑顔を絶やさないことですね。悲しいときもどんなときも、いつも笑顔でいるんです」
はたして幸福とは本当に最高善なのか、わたしはその点に疑問を抱いていたのである。おそらく、シュリ・シュリ・ラビ・シャンカールの言葉は正しい。愛は幸福よりも重要なのだ。
「個人的な幸福というものは存在しない。幸福は100パーセント相関的なものだ」と彼は語っていた(引用者注:彼とは、癌から生還したブータン人の学者カルマ・ウラ)。
幸せになるには他者との関係が絶対的に重要だ。家族や、友人や、近所の人や、職場を掃除してくれる人たちとよい関係を結ぶ必要がある。幸福というのは、名刺でも動詞でもない。それは接続詞なのである。あるいは結合組織と言ってもいい。
私は100パーセントの幸せを感じているわけではない。五分五分がいいところだ。よくよく考えてみると、五分五分というのはそれほどひどい状況ではない。むしろ上出来ではないかと思う。地下化した小田急線下北沢駅で初めて降りた。地上に出るのに一苦労した。工事で撤去したのか、井の頭線ホームが道路から見える。開放感がいい。このままだといいのだが。
『熊取六人組』準読了。50年前の話で始まる「前史」。「低線量被曝に閾値はない」。あるとすれば、それは0。3.11以降、「放射能汚染にいかに向き合って、それに耐えるかという時代に入った」。
今日は憲法記念日。映画「日本国憲法」は5/10まで(東中野)。