カバー袖に「赤児の名前は道路の完成を予祝して、道子と命名された。」(本文より)とあったら、読まないわけにはいかない。
石牟礼道子の自伝『霞(よし)の渚』。
出生から、『苦海浄土(くがいじょうど)』(1969年)が出るまでの40年あまりを扱っている(色川大吉さんの書評)。
命名者は母方の祖父の松太郎。
「道というものは、人それぞれのゆく手を定めるものぞ。心しておかねばならん。どういう未来が見えるか。足もとの用心をわれわれはつくっておかねばならん。人さまとの縁がつながってこそ、道というものは生まれる」。
松太郎は石工の棟梁として、道路工事や港湾工事を手広く扱っていた。「人は一代、名は末代」が彼の口癖。
気に入ったのだろう。彼女の長男の名前は「道生」(みちお)だ。
覚えのある場面が出てくる。
「ご飯粒を小さなうすい竹のへらをつくって、ひと粒ひと粒つぶして糊を作っていた」。
こうして内裏さまが作られた。