2014/12/03

社会心理学的歴史家

阿部謹也著作集の第9巻「自分のなかに歴史をよむ・北の街にて」を読み始めた(装丁がいいと思ったら、毛利一枝さん)。

冒頭は「自分のなかに歴史をよむ」

17年前、佐藤先生の葬儀で弔辞を読み上げたのが、当時、一橋大学学長の阿部先生だった。「この人が、あの『世間』の先生なのか」と、落ち着いた話し方が記憶に残っている。

大きいくくりで言えば、阿部さんは思想家。文章も内容もぴったり来る一人。関心が人に向いているからかもしれない。
私が知りたかったこと、それは西欧的社会(修道院という人間集団)と日本社会の違いがどこにあるのか。修道士がなぜ武器を持ったのか。これを論じた書物はいくらでもある。
聖地を解放するために武器をとったのです、と言われれば、「ああそうですか」というしかない。しかし、それでは「祈る人、戦う人、働く人」の3区分はどうなったのかといいたくなる。信仰と戦闘はどう結びつくのか。「汝殺すなかれ」を説く修道士が堂々と人殺しをする十字軍とはいったいなんだったのか、聞きたくなる。
この問いにいろいろな答えは出されているが、現代の修道士が武装している理由にはどんな本も答えてくれない(要約)。

この全集、2000年刊なのに、もう絶版。

フルネームで呼んでくれてありがとう

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