出勤途中、目の前を幼稚園の送迎バスが走り去っていく。それを見送る母親やおばあさん。なぜか、やるせない風景だ。
あの子たちにとって、自宅から幼稚園までの道のりは車窓でしかなく(実際には見ていない可能性も高く、とすれば車窓ですらない)、コミットする空間になっていない、のではという気持ちだ。
自分の家の周りがどうなっているのか、どんな人がいるのか、知らないまま大きくなる。小学校も中学校も電車やバスで通うような場所なら、事情は変わらない。地元が意味のある空間になりえない。
地域行事が衰退するのもやむなしという気がする。地元のお祭りに行っても知らない人ばかりなのだから。
「地域」が住むだけの「点」でいいのだろうか。「場所」の意味をないがしろにしつつある。