2015/10/06

うん、うん

「生きていれば、うれしいことも悲しいことも、波のように繰り返しやってくる。でも、それらは自分のせいではない。有頂天のときもどん底のときも、そのことを思い出して、ちゃんと元の居場所に戻ること」。

 木皿泉(キザライズミ)の連載「ぱくりぱくられし」の冒頭に引用されていた自著『6粒と半分のお茶』から。

「四十にして惑わず」と思っていたら、違うらしい。まず孔子の時代に「惑」という字はなかった。「或」ならある。不惑ではなく、不或。したがって、「四十にして或(くぎ)らず」となり、これは「四十にして自分を限定してはいけない」ではないか、というわけだ。安田さん曰く、「そんな風に自分を限定しちゃあいけない。もっと自分の可能性を広げなきゃあいけない(安田登「野の古典」第5回「ふつうの人のための論語」)。
 戦争の話もおもしろい。「自衛のためというもっともらしい理由づけがなされますが、孔子はそれを『言い訳』としています」(略)「いつの世も戦争は起こり得ます。戦争を始めるには何らかの『言い訳』が常に必要です。私たちはこれを回避するためにも『言い訳』を見極められなければなりません」。
「小人」も勘違いしていたようだ。
 五経の一つ『尚書』を読むと、小人というのは「ふつうの人」「大衆」という意味で使われている。したがって、論語の中で「小人は」と出てきたら、「ふつうの人は」と読めばいい。であれば、思い当たることばかりと、安田さん。
「君子」の解釈もおもしろい。

 以上、無料で手に入る『scripta』2015年秋号から。見開き部分は「紀伊國屋書店出版部60周年」の綴じ込み付録。

フルネームで呼んでくれてありがとう

スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。  ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。  シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...