2016/05/11

「傍観者民主主義から参加民主主義へ」

内田博文 2015『刑法と戦争』。

サブタイトルの「戦時治安法制のつくり方」にドキリ。
「今、私たちが置かれている状況は、この昭和三年に似ている」。
昭和3年は1928年。満州事変始まりの年である。

「おわりに」は「『人間の尊厳』が法規範化されてきた道のり」がタイトル。
その最終節「傍観者民主主義から参加民主主義へ」からの引用。
戦時治安刑法で処罰されるのは「普通の人々」である。「私には関係ない」という世界はあり得ない。戦争は「普通の人たち」も「普段の生活」にもっとも大きな犠牲を強いる。それは戦時治安刑法による人権蹂躙、あるいは戦時刑事手続による人権蹂躙の場合も同様である。
戦う術が一切奪われるということも戦時下の特徴である。闘う武器があるあいだに喰いとめなければならない。「ルビコン川」を渡ってからでは遅い。渡る前に喰い止めなければならない。闘うために必要な武器は日本国憲法が用意してくれている。このことを記して本書を閉じることにする。
その後の著作『治安維持法の教訓−権利運動の制限と憲法改正』 (2016年刊)。



中川右介『戦争交響楽』。

「詠まざるを得ぬ」

「ふるさとの基地に殺された娘たち隆子に由美子徳子も里奈も」玉城洋子  天声人語(2025/01/11)で紹介。 「基地に殺された娘たち」三十一文字に詠まざるを得ぬ、目の前の現実  朝日新聞 2022年9月5日 10時00分 米兵に、そして米軍事故に。